はじめに
今回はいつもの「LinuxCon/Japanの歩き方」の拡大版として、今回最も重要な初日の基調講演のスピーカであるIBM オープンシステム開発担当バイスプレジデントのDan Frye氏に、IBMとLinuxの取り組みについて詳しく伺いました。(編集部)
顧客がそれを求めたから
私がLinuxのことを初めて耳にしたのは1998年の5月でした。そのとき私は仕事で取り組んでいたハイ・パフォーマンス・コンピューティングに関する会議に参加しており、国立研究所から来た優秀な人々の中にLinuxを知っている人がいました。そこでオープンソース・プロセスの話も聞きました。そのときは、面白いとは思いましたが何もしませんでした。
同じ年の後半、私は戦略策定のために本社へ異動しました。そこで私だけでなく他のメンバーもIBMのLinux戦略に関して尋ねられましたが、IBMには戦略はありません。このため、我々は1998年の秋に正式なLinux戦略を調整する任務を与えられました。このLinux戦略に基づきLinuxテクノロジー・センターの設立が求められたのです。1999年のことです。
つまり、ほんのわずかですが、私が1998年にLinuxを耳にした時点よりも前に、すでにLinuxは明らかに大きな動きとなっており、それに私たちが参加したというわけです。
最初に私たちが採用した戦略は、「着手」(Get Started)と呼んでいたものです。つまり、IBMの製品、ハードウェア、ソフトウェア、サービスの一部を利用可能にするということでした。私たちは、Linuxを自分たちにとって新しい市場であると捉えていました。インターネット・サービス・プロバイダなど、企業でもLinuxを使用しているところはありましたし、もちろん(Linuxを使っている)国立研究所や大学など、IBMを導入していないサイトや顧客もいました。そこで私たちは、これらの市場に参入するチャンスのひとつとしてLinuxを捉えたのです。私たちは、標準仕様を確立するチャンスがあると考えましたが、最初はLinux周辺で何かを行うという戦略を構想しました。
よく言われている「Linuxに10億ドルを投資する」という話は、それから約2年後のことです。そのころには私たちの戦略は、「着手」から「Linuxの発展」(Accelerate Linux)へと変化していました。Linuxがエンタープライズシステムとして早く成熟すればするほど、顧客、業界、そしてIBMにとって良いことであると判断しました。最初、私たちはLinuxがこれほど大規模なプロジェクトになると考えていなかったのです。しかし、考えが変わるのに長くはかかりませんでした。
我々がLinuxにこれほど注力したのは、顧客がそれを求めたからです。私たちがLinux戦略を開始したとき、本社の首脳陣はLinuxを知りませんでしたが、現場の人々はLinuxを知っていました。顧客がLinuxのことを尋ねていたからです。「自分たちはLinuxを搭載したIntelサーバを導入しているが、LinuxでDB2を使えますか」といった質問です。顧客はLinuxを使用し始めており、気に入っていました。また、安定しており安価でした。
Linuxはすでに標準となっていたため、何か新しいものを私たちがクライアントに押し付けるという形にはなりませんでした。クライアントの方からそれを求めていたのです。だから仕事は進めやすかったです。私たちは顧客を訪問して、何か新しいものを紹介するという形はとりませんでした。
ちなみに、「10億ドル」は私に任されたものではありません。ご存じのとおり、私はIBMという大きな組織の一員です。Linuxテクノロジー・センターは1つの駒であり、他の駒もありました。私がLinuxのリーダーというわけではなかったのです。
大きな課題もありました。1つは、私というより会社にとっての課題でした。私たちがLinuxでの活動を開始し、アーリーアダプターがそれを使用している中で、私たちは成熟したビジネス、つまり銀行、保険会社、病院を経営する人々へアプローチする必要がありました。私たちは彼らを訪問し「Linuxは信頼できます」と説いてまわりました。
ご存じのとおり、オープンソース・プロセスの成熟には一定の時間が必要です。IBMのLinuxへの貢献の1つは、多くの企業のCEO、CIO、そしてCTOの信頼を得たことでした。これは大変な仕事で、多くの時間と努力を必要としました。たとえば、名前は挙げませんが、日本の大手銀行の一部ではLinuxを使用しています。しかも、ミッションクリティカルな処理にそれを使用していますが、ここにLinuxが信頼できるのだということを説明するためには複数回の対話が必要でした。
コミュニティ文化とIBM文化
もう1つの課題は、私のチームが直面していた課題です。それはIBMの社員がオープンソース・コミュニティでうまく働けるかという課題でした。コミュニティでは非常に大きな集団力学が働いており、異論が多いもののコンセンサスに基づく環境でもあります。結局、私たちはその中で非常にうまく働けるようになりましたが、ひとつのチャレンジではありました。私たちが慣れ親しんだ環境とは非常に異なっていたからです。
この課題に取り組む際に、IBM社内の開発者同士で直接コミュニケーションを取ることを禁止にしましたが、それは私が初期の段階で取らざるを得なかった重要な措置です。私たちは、その当時はコミュニティのようには機能していませんでした。コミュニティの誰かが質問すると、私たちは自分たちだけで話し合っていました。そして、議論してから2~3日後に、会社としての回答を出していましたが、これでは遅すぎました。そして、あまりにも企業的なやり方でした。そこで、私はカーネルチームの社内コミュニケーションを禁止し、外に向けてのみコミュニケーションを取らせました。なぜなら、それこそがコミュニティの機能だからです。
しかし、私たちがコミュニティにうまく参加できるようになった時点で、私は禁止を解きました。私たちは今はそれに関して考えることもありません。開発者は十分に長い間それを実践し続けており、何がコミュニティ関連事項であり、何が社内関連事項であるかを理解して、適切に自制できています。これまでプロプライエタリーなソフトウェアを開発してきた人々が新たにグループに参加した場合は、彼らに対してトレーニングを行わなければならないことは事実です。つまり、オープンソースは他のとは違うのです、必ずしも優れているわけでなく劣っているわけでもなく、別物であるということです。
どのように利益を上げるのか
第3の課題は、私たちが営利目的の企業で働いていることをどのように認識するかです。そして、自分たちがコントロールしていない技術でどのように利益を上げるかです。そこで私たちが発見したのは、エンド・ツー・エンドのビジネスモデルです。
私たちは、形の上で、ハードウェア・ビジネスやソフトウェア・ビジネスをサービス・ビジネスとして考えます。Linuxの場合、私たちはクライアントの体験全体に関して考えざるを得ません。そこで私たちが利益を得る方法は、Linuxを搭載できるハードウェアを販売することです。私たちはLinux上で動くソフトウェアも販売しています。そして、私たちはLinuxに関連するあらゆるサービスを販売しています。私たちがオペレーティング・システムを販売していないという事実は問題ではなく、重要ではありません。
つまり、私たちは初めて本当の意味でハードウェア/ソフトウェア/サービスを1つに組み立てなければなりませんでした。私たちはその過程で多くの恩恵を受けました。それにより、私たちは「Linuxの発展に貢献できます。それを相殺できるように他で利益を上げるからです」という立場を取ることができるのです。
個人的な成功体験
そんな中、個人的に成功と達成感を感じたことを挙げるとすれば、1つは私のチームのクオートをコミュニティに受け入れてもらったことです。初めてコミュニティに受け入れられた、ちょっとしたクオート・スニペットでしたが、素晴らしい体験でした。そのとき「参加できた」のです。
もう1つは、大手の顧客にLinuxを購入してもらい、本番稼動に成功したことでしょうね。もちろん、うまくいかなかったこともあります。中でも顧客がLinuxのことで初めて非常に動揺して連絡を取ってきたことは、私たちにとって重要な体験でした。顧客が些細なことで動揺することはなく、動揺するのは重要なものが動かないときだからです。
また、長い期間で見た場合は、Linuxを別のチームとしてスタートできたことです。長い時間を経て、今、Linuxは私たちが主流と呼ぶ流れになっており、Linuxはすべての人々に何らかの形で関係しています。これも成功のポイントの1つでした。私たちだけでなく、たとえば営業部門が売上高や顧客数などを見るとき「ああ、自分たちは成功している!」という言葉を発する特定の瞬間というものは実際にはありません。成功というものは時間をかけて蓄積されるものだからです。
現在のLinuxとオープンソースのトレンド
Linux全体の流れとして、Linuxが作業負荷の増加にうまく対応し続けていることは興味深いですね。10年前、私たちは顧客に対してパイロット版のDNSサーバ、LANサーバなど、エンタープライズ・システムの端の部分でのみLinuxを使用するように言っていました。ところが次第に、私たちはLinuxがアプリケーション層や検索を実行する重要なWebサーバにも十分耐えうると言うようになりました。そしてこの数年間、私たちはLinuxがエンタープライズ・システムの中核においても十分耐えうると言ってます。初期の頃、私たちは「驚いてください! Linuxが○○に対応しています」と言っていましたが、現在は小声で言うようになりました。
IBMのハードウェアおよびソフトウェア・ビジネスを指揮するSteve Millsは、Linuxをできる限り早くエンタープライズ・システムの中核にもたらすことが自分の仕事である、と2000年に私に言っています。つまり、そうすることは私たちの戦略に含まれていました。市場規模の面では、もちろん正確な数字は思い出せませんが、私たちはLinuxがエンタープライズ対応になれば、市場にかなり普及するであろうと考えていました。ご存じのように、Linuxは公衆性と業界中立性を約束しており、ベンダに束縛されていません。Linuxは、UNIXに似たアーキテクチャを持っています。したがって、Windowsは使いたくなく、占有権付きのUNIXではなく、産業向けのUNIXに似たアーキテクチャが欲しい顧客はかなりいるでしょうし、それはLinuxということになります。そのトレンドは続いています。
第2のトレンドは、Linuxが至るところで使用されているということです。ご存じのように、携帯電話、DVDプレーヤー、DVR、交通信号灯、GPSシステム、そしてあらゆる種類の無線システムで使用されており、この分野ではあらゆるところで爆発的に普及しています。LinaroプロジェクトやIntelのPushなどを見ても、この傾向は続いています。従来、組み込み型の分野は非常に専門化したUNIX技術者により実質的にコントロールされていました。現在、この業界はLinuxに集約しつつあります。
第3のトレンドは、デスクトップPCにおけるLinux採用の流れが続いていることです。現状はもっと複雑ですが、Linux搭載のデスクトップPCの数は、明らかに一定して増加しており、新興地域においては初めてデスクトップPCを導入する場合、Linuxを選択するケースが増加しています。私はいずれ既存の市場においても人々はWindowsから移行するようになると思いますが、デスクトップとしてのLinuxは進歩を続けています。
第4のトレンドは? と聞かれれば、私はKVMを挙げます。というのは、Linuxの仮想化技術は急速に競争力を付けており、VMwareの仮想化技術に匹敵しつつあるからです。つまり、Linuxの仮想化は成長しています。KVMはおそらくLinuxに関する現在のIBM技術戦略にとっても最も重要な要素です。KVMは私たちのクラウド戦略の根本をなしています。また、Systemaxに関する私たちの仮想化戦略、VMware、そしてHyper-Vの根本もなしています。私たちのサービスチームはその活用方法を研究していますが、Linuxの仮想化に関して業界で競争力を付けることは私たちの計画の重要な役割となっています。
業界におけるベンチマークを管理しているSPECコミュニティをご存じでしょうか? このコミュニティが、初めて仮想化ベンチマークを発表しました。そして、第1回の勝者として最高のベンチマークの結果を出したのが、KVMを用いたIBMのベンチマークでした。私のチームにとっては、それがおそらく最も重要な重点分野です。
LinuxCon Japanでお伝えしたいこと
私はLinuxCon Japanで、LinuxとIBMの過去と未来に関して話す予定です。IBMがLinuxとの関わりで何を学び、Linuxがどのように機能し、いかに成功したかについてお話しします。日本はこのことを話すのに最高の舞台の1つです。それは、IBMのLinux戦略に最初に興味を持ってくれた国の1つが日本だったからです。私たちは1999年、社内で「IBM Linuxサミット」の開催を始めましたが、1回目はオースティンで、第2回は東京で開催されたのです。私たちはこのサミットの開始以来、Linuxを通じて日本、そしてアジアと関わってきました。
私は、自分たちが学んだことに関して話します。IBMはLinuxに対して変わりました。私たちのクライアントも、そしてビジネスも変わりました。それに関して話します。また、将来に向けた道筋についても話す予定です。LinuxはIBMの将来の一端を担っています。私たちは、それなしに成功することはできません。LinuxはIBMのハードウェア・ビジネス、ソフトウェア・ビジネス、そしてサービス・ビジネスに不可欠です。そして、IBMはLinuxに関する強力なビジョンを持っています。現在このビジョンは、私たちのすべてのビジネスの骨格に含まれています。私たちは、もはやLinuxを扱うべきか、あるいはLinuxをどのように扱うべきかなどについて議論することはありません。どれだけ早く、どのクライアントに対して、ということを議論するだけです。
日本の皆さんへ
日本で毎年LinuxConを開くことは極めて重要なことだと思います。日本の顧客は非常に要求が厳しく、高い品質、信頼性、そしてサービスを求めています。Linuxが日本においてもっと競争力をつけて成功すれば、それは世界中のユーザが、そして私たちIBMが利用することができるのです。そのために私は日本に行くことを非常に楽しみにしています。私が日本のある会議で基調講演を行ってから数年が経ちました。今後は毎年来訪するということも十分ありえると期待しています。
Linuxは、私たちのクライアントが信頼できるプラットフォームであり続けます。これはIBMだけではなく、日本企業の多くを含む業界全体の見解です。これらコミュニティがLinuxをミッションクリティカルなエンタープライズ対応のオペレーティング・システムにするために協力して取り組んでいます。
そして、日本で私はLinuxの素晴らしさについて皆さんにお聞きしたい。それを元に、私たちがLinuxをより良いものにするためにやるべきことを知りたいのです。Linuxの素晴らしさ、そしてその成功例について聞きたいのは、その情報が市場の信頼を促し、売り上げを伸ばすために役に立つからです。この点については、プレスの方にも協力していただきたいですね。
また逆に、Linuxに何が足りないかも聞きたいし、知りたいと思っています。私の部下の開発者はもちろん他のLinux開発者も、足りない部分を改善するために取り組んでいるのです。
- LinuxCon Japan:Dan Fryeさんのセッション
10+ Years of Linux at IBM
- URL:http://events.linuxfoundation.org/2010/linuxcon-japan/frye