2002年からLinuxを使ってきたCottonは、Red Hatに入社する前からFedoraユーザとしてドキュメントの執筆やパッケージのメンテナンスに貢献するなど、Fedoraコミュニティに深く関わってきた。プログラムマネージャに就任してからは「新しいコントリビュータが参加しやすい環境を提供する」ことを第一に掲げ、新旧のメンバー間の交流が円滑に進むように図ってきたが、これは「新しいメンバーの参加こそがコミュニティの活気を維持してくれる」というCotton自身の考えにもとづいた方針だったといえる。「僕のゴールは数ヵ月後、僕がいなくなったことに誰も気づかないことだ。それこそが僕の成功の尺度だから(my goal is that in a few months, nobody will notice that I’m gone. That’s my measure of success. )」という言葉にも、組織には健全な新陳代謝が必要というCottonの考えがあらわれている。