アクセシビリティを組織で向上させる ──たった一人から始めて、社内に認知されるまで

第7回アクセシビリティの社内オーナーになる

本連載はWebアプリケーションアクセシビリティ─⁠─今日から始める現場からの改善の第7章「アクセシビリティの組織導入」を公開するものです。
改正された障害者差別解消法や、デジタル庁の取り組みからの影響を受け、アクセシビリティ向上への機運は日ごとに高まっているように感じます。著名な企業がアクセシビリティへのスタンスを表明するケースも増えてきました。
しかし、こうした情報が目に入っているのは、あなたがアクセシビリティに関心がある側の人だからです。多くの場合、社内でのアクセシビリティへの意識はまだまだ高くないのが実態です。
個人や有志による非公式な取り組みでも、アクセシビリティは徐々に改善することは可能です。しかし、いずれは限界を迎えます。企業が提供するWebサイトやWebアプリケーションは組織で開発されており、大規模であり、かつ成長していくからです。
継続的に取り組み、成果を出し続けるためには、こちら側も組織として取り組むことが重要です。組織全体へアクセシビリティを啓発し、開発プロセスに組み込む必要があります。本章「アクセシビリティの組織導入」では、いくつかの場所で筆者が試してきた事例をベースに「一人から始めるWebアクセシビリティ」のステップを解説します。
なお、続編としてアクセシビリティを組織で向上させる─⁠─社内外の認知・効果測定から、新規開発への組み込みまでも公開しています。


アクセシビリティへの取り組みをボトムアップで進めていると、やがて社内で活動が認知されます。しかし、アクセシビリティという分野はまだ多くの人にとっては理解が薄いものです。どういったものか知らない、なんとなく知っていても自分たちと何の関係があるのかわからないという人もまだまだたくさんいます。

状況を変えるには、有志チームの活動から会社の公式活動へとステップアップする必要があります。そのためには、まず自分自身で、あるいは仲間やマネージャーとともに「この会社でアクセシビリティに取り組む理由」を言語化し、意識合わせをすることが必要です。

個人の配慮というレベルで進めていて、人によって言うことが違うような活動では、有志の取り組みという範囲を抜け出せず、会社としても投資できません。逆に、自分に近い人たちと認識がそろっていれば、それが活動の土台となり、取り組みを広げていく際にあなたの後ろ盾となります。

言語化と意識合わせを行ったうえで、自分がアクセシビリティ推進の社内オーナーであると明示的に宣言しましょう。

自分がなぜアクセシビリティに取り組むのかを言語化する

これまでアクセシビリティに取り組んできた、あなたの原動力はどこにあるのでしょうか。まずそこを明らかにするところから始めましょう。

あなたがアクセシビリティを意識した瞬間、取り組みをはじめようと思ったきっかけ、ここまで継続して意識してきた理由、活動として前に進めようとする動機があるはずです。他者と共有できるように言語化を試みましょう。

過去のことを思い出すには、アクセシビリティに限らず、一度自身のこれまでの足跡を洗い出してみるとよいでしょう。自身が関わった会社や、取り組んだ案件、役職の変化、社内での動きなどを思い返すと、それがヒントになって自身の考え方の軸を見いだせます。

チームビルディングの一環として、上記をテーマに仲間と相互インタビューを実施するのも良いアプローチです。人から問いかけられると案外答えられるものですし、ほかの人の回答を聞くことで自身について思い返す材料も得られます。

参考として、本書の著者陣がアクセシビリティを意識するようになったきっかけを記載します。ヒントになれば幸いです。

アクセシビリティを必要とする人と出会い⁠Webのロマンが現実に─⁠─桝田草一の場合

私がアクセシビリティに取り組む理由を思い返すと、一番初めはWebのロマンに魅せられたことでした。ブログテーマのカスタマイズのCSSを書くところからWeb開発を始めた私は、HTMLのセマンティクスを視覚表現として伝えるデザインの楽しさを感じていました。そしてそのセマンティクスはWeb標準として策定されており、視覚表現に頼らなくても、言葉が通じなくても、能力が違ってもアクセスし得る、そんなロマンに魅せられていました。

そんなロマンが現実になったのはユーザーとの出会いでした。Web業界で働く少し前、ボランティアでALS(筋萎縮性側索硬化症)をはじめとする、体が自由に動かせない方々のコミュニケーションを支援するNPOのWebサイトを制作する機会に恵まれました。ALSを患い指先しか動かせない方が、支援技術を用いてWebを通じてコミュニケーションする姿を見て、本当にWebはユニバーサルで人をエンパワーメントできるんだという実感を持ちました。その後、Web開発を仕事にする中で自然とアクセシビリティをテーマに活動していました。

コミュニケーションをすること、エンタメを楽しむこと、働くこと、いずれも生きていくうえで欠かせない大切なことです。Webはもはやインフラとなり、それらを支えています。どんなものを作るときも、それが世界中に届き得るというロマンと、アクセシブルなものを必要しているユーザーがいるという実感、それが私がアクセシビリティに取り組み続ける理由です。

自社の社員にすら使えない機能を開発した責任から─⁠─小林大輔の場合

私がアクセシビリティを意識したきっかけは、開発した製品の機能をロービジョンの方が利用するユーザビリティテストを見たことです。私が勤務するサイボウズでは、入社した方に対してユーザビリティテストを実施することがあります。2014年、サイボウズに入社したロービジョンの社員に対してユーザビリティテストを実施しました。ユーザビリティテストでは、私の開発した製品の機能を検証しました。この機能は製品のメインメニューで、主要な画面を遷移するためのいくつかのテキストリンクが並んでいます。当時、アクセシビリティについて特に詳しくなかった私は、おおよそ問題なく操作できると考えていました。

ユーザビリティテストの結果は惨憺たるもので、とてもショックを受けました。私の開発した機能はまったく使い物になりませんでした。メニューのテキストリンクは文字色と背景色のコントラスト比が低すぎるため、ロービジョンの社員にとって可読性が著しく低いものだったのです。ロービジョンの社員に「私には何が書かれているかわからないので、勘でクリックしますね」と言われたことが今でも忘れられません。私は自分が作り出してしまった結果に対する強い責任を感じました。

また、私はサイボウズが掲げる理想と現実の強いギャップを感じました。サイボウズは「チームワークあふれる社会を創る」という存在意義(Purpose)を掲げています。世界中のあらゆるチームに情報共有のインフラを提供し、チームメンバー一人一人の多様な個性を重視して、誰もがチームの理想に共感し貢献できる世界を目指しています。しかし現実には、自社の社員すら満足に使えず、チームに参加・貢献することを阻害してしまう製品を作り出してしまったのです。サイボウズがあらゆるチームのインフラになる理想を掲げるなら、サイボウズには、誰もがチームにアクセスできるように製品を開発する責任があるはずです。

私がアクセシビリティに取り組む理由は、私たちは自分が開発したものに責任があると思うからです。意識せずとも、私たちは開発したものによって、誰を社会に参加させ、誰を社会に参加させないのか決めています。私は、私が生み出したものによって誰かが排除されることに耐えられません。私はアクセシビリティに取り組むことで、開発者としての責任を果たしたいと思っています。

成功事例を作ればムーブメントが─⁠─伊原力也の場合

私がアクセシビリティを意識しはじめたのは、1998年、高校生のころのHTML 4との出会いがきっかけです。見よう見まねでWebサイトを作るうちに日本語訳のHTML 4.01仕様書にたどり着き、⁠構造とプレゼンテーションを分離することで多様なアクセスを実現する」というしくみに魅せられました。同じ文書に対してCSSを書き換えるだけでまったく違う表現にできることもおもしろく感じられ、CSSでいろいろな表現を試しているうちに、気が付くとWeb業界で働くようになっていました。

その後、当時勤めていたビジネス・アーキテクツでの社内勉強会で、視覚障害者でエンジニアである中根雅文氏にスクリーンリーダーでのWebサイト利用デモを見せてもらい、⁠自分が書くコードにはこんな重要な意味があるんだ」とあらためて衝撃を受けました。この経験により、アクセシビリティの意義が私の中に根付き、彼らが使えるような設計をしなくてはならないと考えるようになりました。

Webアプリケーションでのアクセシビリティ改善に取り組もうと考えたのも、前述の中根氏や、視覚障害者でアクセシビリティコンサルタントとして活動する伊敷政英氏とのやりとりがきっかけでした。私は2015年に共著で『デザイニングWebアクセシビリティ』という書籍を出版しており、その書籍に関する発信を行う中で、よりアクセシビリティに力を入れていきたいと考えていました。

そこでこの2人に「アクセシブルになってほしいサービス」について聞いてみたところ、会計ソフトの「freee」であると答えが返ってきたのです。1.6節「なぜWebアプリケーションでアクセシビリティなのか」で挙げたとおり、会計ソフトがアクセシブルになれば、自力で個人事業主や法人として活動できるようになります。これは就労のチャンスを増やすことであり、また継続の支えにもなります。

このような、ユーザーとサービス提供会社の双方にとっての「アクセシビリティの成功事例」を作れば、SaaS(Software as a Service)業界やWeb制作業界といった、Webに関わる民間企業におけるムーブメントに発展させられるのではないか? という仮説が私の中に生まれました。その仮説に基づき、私は活動を続けています。

デザインと技術⁠そして社会や文化へ─⁠─山本伶の場合

私は学生のころ、より良いHTMLやCSSの書き方について調べていくうちに、HTMLによって意味の構造を表現するおもしろさに魅力を感じるようになりました。HTMLをきちんと構造化していくことでCSSが書きやすくなる利点があり、そしてマシンリーダビリティが向上することでページの内容を解釈するプログラムが容易に作れるようになるところにも可能性を感じました。そのころに知識としてアクセシビリティやスクリーンリーダーというものの存在にも触れていたはずですが、あまり自分に関係のあるものと感じていませんでした。

状況が変化したのは2017年に、本書の共著者である伊原力也氏が自分の勤務先であるfreeeにアクセシビリティに取り組むことを宣言して入社したことでした。

自分の作ってきたサービスのどこがアクセシブルでなく、中根雅文氏をはじめとする障害当事者がどこで困ってしまうのかを見せつけられ、ショックを受けると同時に、Webがもつ可能性を強く認識しました。Webは本質的にアクセシブルな性質があり、少しの工夫でさらにアクセシビリティを高められ、そして世の中をもっと便利にできるという確信を持つようになりました。

アクセシビリティは私にとって、デザインと技術と、そして社会や文化への意識とがすべてつながった先にあるものです。社会全体のアクセシビリティが高まるほど、より多くの人がより多様な形で社会に参画でき、より豊かな文化がはぐくまれていくはずです。そしてWeb開発者としてアクセシビリティを高めていくには技術とデザインの両面から取り組む必要があり、広い視野をもって課題に向き合うおもしろさがあります。私たちの住む社会がそうであるべきという想いと、それを実現していくこと自体のおもしろさが、私がアクセシビリティに取り組んでいる理由です。

アクセシビリティ向上のロードマップを考える

なぜ取り組むのかを考え、自身の目的が整理できたら、次は目標のイメージを作ります。何かを成し遂げるには目標の設定が必要です。いつ頃までに、どういう状態にたどり着きたいかを定義し、そこから逆算して何をしていくべきかを分解していくことで、アクション可能な内容に落とし込めます。

まずは大まかに3ヵ月区切りぐらいで、アクセシビリティに関してどういった歩みを進めるかを考え、アウトプットします。進めるうえでポジティブに働きそうなこと、逆に乗り越える必要がありそうなことを想定してメモしておくと、今後の取り組みを考えたり、仮説検証したりするときに役立ちます。

正しいステップというのはないことに注意してください。事例としては、本書を活用できるはずです。しかし、本書の記載はあくまで著者陣の過去の歩みをまとめたものにすぎません。これで正しいかどうかと悩みすぎずに、大胆に仮説をアウトプットして、トライアルアンドエラーで前に進んでいきましょう。

社内でまだアクセシビリティに関する目標やマイルストーンの設定がなければ、それを作るのはあなたです。⁠自分がそういうのを考える役割なのか?」と考えてしまうと、ものごとは前に進みません。アクセシビリティを推進する役割はあなたの会社にはまだないので、それを誰かから割り当てられることはないからです。ですから、自分で自分に役割を与えるほかに、役割を生み出すきっかけはありません。

アクセシビリティの推進を個人目標としてマネージャーと合意する

アクセシビリティ向上は、成果が見えにくい活動です。意義の大きさとは裏腹に、成果を明らかにするには試行錯誤が必要です。それでもなお、あなたが取り組みの意味を定義付けて「この会社で取り組むべき理由」「取り組みのロードマップ」を説明できるのであれば、それは一聴に値する話として関心を持たれます。

それでは、アクセシビリティの活動が社内で公認されたといえる最初の一歩はどこでしょうか。社内でやるぞと宣言したとき? 改善のPull Requestがマージされてリリースされたとき? 社外イベントでアクセシビリティについてプレゼンしたとき? そういったものも兆しではあると思いますが、筆者は「取り組みを進めていくことに対し、自身のマネージャーと合意したとき」が、公認の第一歩と考えています。

マネージャーはあなたを含めたメンバーをマネージし、組織的に会社に対する成果を上げることを期待される役割です。マネージャーが了解したということは、あなたの裁量という範囲を抜け出し、あなたというリソースの一定部分をアクセシビリティに投資することに了解したということです。また、マネジメント対象のチームの成長や、その中にいるあなたの成長という点でも、この取り組みは有効かもしれないと考えた証です。

これが、会社という組織の構造にアクセシビリティが組み込まれはじめたということなのです。

この段階を飛ばしてしまうと、組織的な活動を行ううえでは苦労がつきまとい続けます。周囲は、あなたの所属する部門やチームからは認められていない、あなたの個人的な活動だとイメージするからです。組織を動かすには、同じく組織の力が必要です。まず自分に最も近い、自身をサポートしてくれる存在であるマネージャーに了解してもらうことこそ、組織化の第一歩です。

公式なアクセシビリティ推進チームを立ち上げる

マネージャーの了解が取れたら、アクセシビリティ推進チームを社内に明示し、メンバーや役割、コミュニケーションチャネルなどを提示しましょう。

これまでの取り組みから、なんとなくあなたや協働する仲間が「アクセシビリティの人」と認知されているかもしれません。しかし周囲からすると、明確な宣言がなければ問い合わせはしにくいものです。進められそうな取り組みがあっても、チャンスを逃してしまうかもしれません。逆にいえばチームが存在していて問い合わせられることが明確なら、⁠これはアクセシビリティが関係するかもしれないから、一度話しておくか」という思考が周囲の人に生まれます。

チームを宣言するには、以下のようなことを明らかにします。

  • チームの目的
  • チームのリーダー
  • 参加メンバーと役割
  • チームを管轄する部署
  • 社内SNSなどでの連絡先
  • これまで取り組んできたこと
  • これから取り組もうとしていること
  • どのようなことでも相談を受け付ける旨
  • 反対に、アクセシビリティの話題であれば、こちらから話しかける旨

リーダーになってチームを立ち上げ、各所に宣言してまわるのは(前述と重ねてではありますが)あなたの役割です。あなた以外にも、誰もが一定の現状維持バイアスの中で日々を過ごしています。⁠話を広げると忙しくなるのでは?」⁠うまく行かなかったらどうしよう」⁠とりあえずできる範囲で手伝おう」という思考は周りもみんな持っています。誰かの挙手を待っていると、やがて取り組みは失速します。勢いを維持して前に進めていくには、一定の段階で、意志ある人が代表を買って出る必要があるのです。

「アクセシビリティは誰もが取り組むものだから、固定的なチームにせずにそれぞれが取り組みを続ければよい」という考え方もあります。それもひとつの考え方ですが、取り組みが社内全体に定着するまでは非常に長い時間がかかってしまうでしょう。参加している市場においてアクセシビリティが当たり前にならない限り、この状況は訪れないと考えます。

周囲の人たちは、ほかに大事だと考えることがたくさんあります。あなたがアクセシビリティを大事だと考えることと同じで、それぞれに優先順位や矜持があります。その中で新しい取り組みを始めることは、組織に異物を入れることです。

アクセシビリティが、ほかの大事なものと矛盾せず、長期的に必要な取り組みだと説明すること。そのうえで、相手の立場から何をしていくべきかを相談して、決めていくこと。それには、アクセシビリティについてほかの人より理解があり、先導していける存在として、あなたやアクセシビリティチームが必要です。一歩ずつ理解を得ることで、アクセシビリティは会社の活動に組み込まれるのです。

「アクセシビリティは誰もが取り組むもの」という状態は、ある程度取り組みが定着し、各所が自律的に動けるような環境やツールが整ったときに訪れます。むしろそれを次のゴールに見据えて、各所にアクセシビリティの理解者が生まれていくことを目指しましょう。

お知らせ 本連載では公式なチームを立ち上げるまでを紹介しました。そこからさらに取り組みを広げていくためのノウハウについては、続編のアクセシビリティを組織で向上させる─⁠─社内外の認知・効果測定から、新規開発への組み込みまでをご覧ください。

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