2026年6月16日、名古屋コンベンションホールにて
なぜ今、フィジカルAIなのか
フィジカルAIとは、AIがデジタル空間の中だけで完結するのではなく、工場、物流倉庫、ロボット、車両、設備などを通じて物理世界に働きかける技術である。カメラやセンサーで現実の状態を読み取り、状況を判断し、機械の動作へ反映する。
この領域が注目されている背景には、LLMやVLMの発展がある。LLM
ただし、物理世界に働きかけるうえでは、テキストや画像、動画を扱えるだけでは足りない。たとえば製造業の現場では、目の前の部品や設備の状態を認識し、作業指示と照らし合わせたうえで、ロボットアームなどをどのように動かすかまで決める必要がある。そこで注目されているのが、VLA
VLAは、視覚情報と言語指示を入力として受け取り、行動に対応する出力を生成するモデルである。ロボットアームの制御に限らず、自動運転車両の操作判断など、フィジカルAI全般に適用される概念である。LLMが言語を扱い、VLMが視覚情報と言語を扱うのに対し、VLAはそこに行動を加える。フィジカルAIにおいてVLAが重要なのは、AIの処理結果を、物理世界での動作に接続するためである。
フィジカルAIを活用できれば、製造業の現場における人手不足や、熟練技能の継承といった課題への応用が考えられる。日本では生産年齢人口の減少が進んでおり、現場の省人化や自動化の必要性は今後さらに高まっていく。従来の自動化技術では対応しづらかった領域を補える可能性が、フィジカルAIにはある。
フィジカルAIは従来の自動化技術とどのように違うのか?
これまでも製造業の現場では自動化が行われてきた。それらとフィジカルAIはどのように異なるのか。樋口氏は、製造現場の自動化を
教示型
教示型は、人があらかじめ動作や条件分岐を設定し、その指示どおりに機械を動かす方式である。
導入しやすく、同じ環境では高い再現性を得られる一方、想定外の変化には弱いという特徴がある。現実の複雑な状況をすべてif-thenルールとして書き出そうとすると、設定項目が膨大になってしまう。
人が直接ロボットに軌道を覚え込ませるという意味で、教示型は
モデルベース型
より複雑な環境に対応するために用いられてきたのが、この分類におけるモデルベース型の自動化である。
センサーから得た情報をもとに状態を推定し、数理モデルやアルゴリズムによって行動を計画し、アクチュエーターを制御する。古典制御や経路計画などが、その代表例だ。
モデルベース型では、対象物の動きや機械の特性、環境条件を、専門家が数式やルールとして記述する。そのため、想定した条件の範囲内では、高い精度と安全性を実現できる。一方で、対象や環境が変わるたびにモデルの設計や調整が必要となり、開発に手間がかかる。人がモデル化しきれないほど複雑な環境への対応も難しい。
教示型が振付であるのに対し、モデルベース型は専門家が実装する
フィジカルAI
従来の製造業の現場で取られてきたのが先の
フィジカルAIと先の2つとの大きな違いは、判断方法を人が一つひとつ数式やルールとして与えるのではなく、AIが大量のデータから学習する点にある。人間が動作の答えをコードで書くのではなく、AIに大量のデータを学習させることで
ここまでフィジカルAIの可能性を紹介してきたが、今後すべてがフィジカルAIに置き換わるわけではない。直近では、これら3つの手法がハイブリッドで用いられるだろうと樋口氏は見ている。
フィジカルAIが難しい三つの理由
近年、LLMによる自然言語処理は急速に発展している。一方で、フィジカルAIの導入は同じようには進んでいない。樋口氏は、その理由を大きく三つ挙げた。
扱うデータの次元と複雑さが高い
一つ目は、扱うデータの次元と複雑さが高いことだ。
LLMや拡散モデルが主に扱うのは、テキストや画像、動画といったデジタル上の情報である。それに対して、フィジカルAIは、カメラの画像やロボットの各関節の角度といった各種センサーから得られる物理情報も入力として扱う必要がある。
たとえば、50個の関節を持つヒューマノイドが少し先の動きを予測する場合、1,000次元もの高次元な情報を、瞬時かつ連続的に出力する必要がある。さらに、その出力は現実の物理法則に従っていなければならない。そのため、難易度は非常に高い。
学習データが量・質ともに不足している
二つ目は、学習データが量・
LLMは、インターネット上のテキストなど、人間に換算すると数万年から10万年分ともいわれるデータを学習している。一方、フィジカルAIの世界では、最もデータを集めている企業でも50年分程度にとどまっており、データは大きく不足している。
さらに、現実世界から取得するデータには、さまざまなノイズが含まれる。たとえば、光が反射していたり、対象物が透明だったりすると、正しく認識できないことがある。ロボット自身の手や周囲の物体が死角を作ることもある。
樋口氏によると、フィジカルAIが商用利用できる精度に達するまで、あとどれくらいのデータが必要なのかは明らかになっていないという。また、大量のデータがそろったとして、商用利用できる精度にたどり着けるのかも、現時点ではわかっていないとのことだ。
E2Eでモデル自体を学習する必要がある
三つ目は、入力から行動の出力までを分割せずに一つのモデルで処理する
LLMは、プロンプト内に例や情報を与えることで、その場で対応を変えるIn-Context Learning
現場の環境変化に対応したり、新たな動作を獲得させたりするには、モデル自体に大量のデータを与えてチューニング
PoCで直面する二つの困難
岡谷鋼機は智元創新科技
わずかな環境の変化で行動に失敗する
樋口氏は、現在のフィジカルAIには、特定の
ロボットが動けば、その動作によって周囲の環境も変化する。環境が変化すれば、次に入力される状態も、動作前とは異なるものになる。こうした変化に対応するには、空間を正しく認識する力や、環境の変化に耐えるロバスト性が必要になる。
現在のフィジカルAIは、その空間認識能力やロバスト性がまだ十分ではないという。
開発工程が未整備である
もう一つの困難として樋口氏が挙げたのが、開発工程がまだ十分に整備されていないことだ。
フィジカルAIは、まだ技術として成熟した領域ではない。そのため、どのような手順で開発を進めればよいのか、どの工程にどれだけの工数がかかるのか、どのようなデータを用意すればよいのかといった知見が、十分に体系化されていない。
たとえば、フィジカルAIの開発では、人手によるアノテーション、つまり正解データの作成が必要になる。しかし、複雑な作業をどの単位に分解するのか、どの状態を成功とみなすのか、失敗した状態から復旧するパターンをどのように教えるのかは、あらかじめ明確に決まっているわけではない。対象となる作業や現場環境に応じて、手探りで設計していく必要がある。この作業が現場にとって大きな負担になるという。
さらに難しいのは、こうした開発の知見が、実際に取り組まなければ蓄積されない点だ。フィジカルAIでは、対象物、設備、作業手順、現場環境によって必要なデータや開発の進め方が変わる。そのため、外から一般論を学ぶだけでは足りず、実際の案件を通じて、どこで失敗しやすいのか、どの工程に時間がかかるのかを把握していく必要がある。
一方で、この状況は、企業が短期的な費用対効果を求める姿勢とは相性がよくない。成熟しきっていない技術で、開発工程も未整備のため、すぐには効果が表れにくい。そのため投資判断が鈍くなる。投資が進まなければ、開発の知見も蓄積されない。企業がフィジカルAIの実装に踏み出しにくい背景には、こうした状況があるとのことだ。
こうしたPoCで得られた知見をもとに、岡谷鋼機はフィジカルAIの実装時に生じる課題の抽出と、その解決策の整理を進めてきた。現在は、フィジカルAI開発に必要な工程や課題をパッケージ化している。
同社が目指しているのは、フィジカルAIの開発過程で必要になる作業を整理し、顧客が内製で開発を進められるように支援することだ。
樋口氏は、その役割をソフトウェア開発における
まずは小さくでもいいので内製化すべき
ここまでで取り上げたように、フィジカルAIは有望な領域である一方で、超えるべきハードルも多い。しかし樋口氏は、まずは小さくてもいいので、今から内製化に取り組むべきだと話す。
ここでいう内製化とは、AIモデルやハードウェアをすべて自社で作るという意味ではない。外部のAIモデルやハードウェアを使いながら、自分たちで手を動かし、何が難しいのか、どこに工数がかかるのか、どのようなデータが必要になるのかを判断できる状態を作るということだ。
フィジカルAIは、短期的な費用対効果だけを見ると、まだ割に合わないように見えるかもしれない。しかし、だからといって取り組まなければ、開発の知見は蓄積されない。フィジカルAIの本当のハードルは、モデルやハードウェアそのものだけでなく、それらを現場に合わせて動かすための開発ノウハウにもある。その意味で、企業にとっては、小さくても内製化に着手することが重要になる。
こうした内製化支援の担い手として立ち上がったのが、冒頭でも触れたmonomythである。フィジカルAI開発で得られた知見をパッケージ化し、内製化能力そのものを顧客企業に提供する新会社として、今後の展開が注目される。
この
たとえば、SO-ARMのようなロボットアームとサーバーを用意すれば、実際にVLAを動かす環境を作れる。VLAのモデル自体もHugging Faceから取得できる。もちろんハードウェアには一定の費用がかかるが、安価なロボットアームであれば4万~5万円ほど、サーバーは50万円ほどから用意でき、個人がまったく手を出せない価格帯ではないという。
フィジカルAIは、制御工学だけで完結する分野ではない。かといって、機械学習やデータサイエンスの知識だけで取り組める分野でもない。ハードウェア、制御、機械学習、データ作成が重なり合う領域であり、決定的な答えを持っている人がほとんどいない。だからこそ、先行して取り組む余地があると樋口氏は語る。
必要な時間も、データ量も、資金も、まだはっきりとは見えていない。それでも、先が見えない領域だからこそ面白く、今から手を動かして知見を蓄積する価値がある。フィジカルAIが気になる人は、まずは小さく試し始めるところから考えてみるとよさそうだ。
