コンピューターネットワークは、私たちの生活を支えるインフラとしての重要性をますます増しています。あらゆる電子機器がインターネットなどのコンピューターネットワークを介してつながるようになっています。このような現状を支えるのが「TCP/IP」と呼ばれる技術群です。TCP/IPはインターネットの誕生と並走して普及・高度化を続け、複雑化しています。これから先、あらゆるシステムに接する上で、ネットワーク技術とは何らかの形で関わることになります。
しかしながら、さまざまな要素から成る複雑なネットワーク技術について、基本から近年の動向までを踏まえて体系的に学ぶための書籍は意外と少なく、初学者にとってあまり優しくない面がありました。具体的なプロトコルについては標準のドキュメントのほか、機器やコーディングのレベルでの運用マニュアルや手順書は多く存在しますが、TCP/IP関連技術の基本から昨今の状況までを俯瞰しながら学ぶことができる文献の選択肢は少ないのが現状です。
このように初学者にとって敷居が高い傾向のある分野で、さらに近年、関連分野での日本の存在感の低下ということも指摘されています。5G関連デバイスの市場で、かなりのシェアを海外企業が占めているといったことは記憶に新しいです。こうした事象にはさまざまな要因が考えられますが、なかでも「今後を支える人材の育成」が極めて大切であることは、少なくとも間違いありません。
そこで筆者らは、今後IT/ネットワークシステムに携わり得る初学者の方にもわかりやすく、ネットワーク技術について体系的に解説することを目指して本書を執筆しました。
本書は、TCP/IPプロトコルスタックなどネットワーク技術の基本から、HTTP/3やQUICなどの最新動向まで、初学者にもわかりやすく解説することを目的としています。
マニュアルのような形ではなく、コンピューターシミュレーションや実機を用いた検証結果なども紹介しながら、それらを通じてなるべく汎用的な考え方を身につけられる解説となるように心がけました。なお、実運用のレベルになると、機器ごとのドキュメントや各プロトコルの仕様、標準などを読んだ方が良い場合が多いため、実際の運用方法については本書の対象とするところではありません。
また、新しい技術の研究開発にも役立つようにという点は本書の特徴の一つだと言えます。新しいビジネスやサービス、産業を立ち上げるためには新しい技術が必要なのは、今さらここで丁寧に説明するまでもないかと思います。もちろん、いわゆる枯れた技術を採用して安定したシステムを構築することが適しているケースもありますが、それだけでは自ずと限界が生じてきます。
あらゆるサービスの基盤としてコンピューターネットワークがある以上、ネットワーク技術そのもの、あるいはネットワークを利用したシステム/サービスを開発するためには、「ネットワーク技術に関わる研究開発力」のようなものが重要となってきます。さらに、産業的な側面から見わたすと、通信プロトコルには標準化が必須であり、標準仕様に則っていない製品は売れないリスクが高いです。そのため、標準化にあたって各企業が自社の特許技術を入れ込むように活動します。そのような技術を開発できれば関連企業や業界が盛り上がる一方で、失敗すれば海外企業の寡占状態を招くような事態も容易に起こります。海外企業の製品を買って設定の検証をして運用するという構造だけになってしまうのは、あまり好ましいことではないかと思われます。
次世代のコンピューターネットワーク/システムの研究開発を支える人の育成に貢献できればというのが本書執筆の動機の一つです。筆者らは現役のトップレベルの(あるいは、それに近い)研究者ですので、運用というよりは、研究開発に向けてという観点からの考え方なども含めて技術解説を行っていきます。
本書が、次世代を支える研究者やエンジニアにとって有用なものとなったなら幸いです。また、ネットワーク技術について日本語で学ぶ際の教科書として、幅広い方にとって役立つものの一つになればと願っています。