情報システムが、企業をはじめとする世界中の組織において必須のアイテム、あるいは活動の中核となったのがいつのころからか。正確に示すのは難しいところですが、遅くとも1990年代には、ITあるいはICTという言葉が、世間の間でも一定の市民権を得るようになっていたかと思います。
それから早30数年、時代が昭和から平成・令和へと変わり、コンピュータの技術が汎用機からクライアントサーバ、クラウドサービスへ変わり、AIまでもが組織活動に根差し始めました。そんな今日になっても、システム開発の失敗という悲劇は根絶されることなく、それが法的紛争に発展してしまうケースも、相変わらず発生し続けています。要件定義の不備や設計のミスなどの技術的な問題、開発の生産性やプロジェクト管理の不全、著作権や情報漏洩など、紛争の原因はさまざまです。日本中の裁判所では途切れることなく、こうした問題によって発生した被害の責任を巡って、システムの発注者と受注者、企業とその従業員、一般の市民に至るまで、さまざまな人たちが、苦しみながらも自身の正しさと相手の責任を主張しています。
大切なことは、そうした紛争の中身を見てみると、それらは決して特殊な、みなさんにとって縁遠い話ではないことです。
「ユーザーが仕様をコロコロと変えたから、プロジェクトが破綻した」
「ベンダーの作ったシステムの品質が悪すぎる」
「社員のパソコンからお客様の情報が漏洩してしまった」
「以前のプロジェクトで作ったソースコードを流用してプログラムを書いたら著作権法違反だと言われた」
こうしたことは、どこの組織でも、そしてみなさんの周囲でも起き得ることであり、実際にこうしたことを体験された方も少なからずいらっしゃることでしょう。実際のところIT裁判は、こうした誰にでも起きる可能性がある、言ってみれば“ありきたりの”事象が原因で発生しています。
これを裏返しに考えれば、今までに発生した情報システム法的紛争を研究すれば、今やろうとしているシステム開発が安全に遂行し、ユーザーや一般社会に真に役立つシステムを、ベンダーがしかるべき利益を享受しながら完成し運用するための、さまざまな知恵や注意点、工夫などを抽出できるとも言えます。本書は、そうしたことを目的に、ごく簡単ではありますが、これまでに発生した法的紛争を取り上げ、そこから得られる示唆や工夫を私なりにとりまとめたものです。
情報システムの開発、導入、運用、そしてそれによってなされるデジタルトランスフォーメーションは、発注者にも受注者にも人的、時間的、経済的に多大な負担を強いるものです。その失敗は時に組織の存在を脅かすほどの重大事に発展します。みなさんがさまざまな形で関わるシステムの開発は、ときにみなさんを幸せにすることもあれば、とんでもない不幸に陥れることもあるわけです。
みなさんが本書から得た数々の失敗を反面教師として、幸福なIT化、デジタルトランスフォーメーションをなし、その成果を享受されることを切に望むものです。
細川義洋(ほそかわよしひろ)
元東京高等裁判所専門委員(IT),経済産業省デジタル統括アドバイザー,独立行政法人情報処理推進機構専門委員。筑波大学大学院修了(法学修士)。
国内ソフトウェア開発企業にて金融業界向け情報システムおよびネットワークシステムの開発・運用に従事した後,外資系コンサルティングファームにて,システム開発・運用の品質向上を中心に,ITベンダーおよびITユーザー企業に対するプロセス改善コンサルティング業務を行う他,裁判所においてシステム開発をめぐる法的紛争の解決支援にあたる。内閣官房政府CIO補佐官を経て,現在は経済産業省においてデジタルガバメントの推進および情報セキュリティの整備を支援している。
著書に『成功するシステム開発は裁判に学べ』(技術評論社),『なぜ,システム開発は必ずモメるのか?49のトラブルから学ぶプロジェクト管理術』(日本実業出版社),『システムを外注するとき読む本』(ダイヤモンド社),『エンジニアじゃない人が欲しいシステムを手に入れるためにすべきこと』(ソシム社) 他。