日本人の真心は絵はがきで伝えよう

年末といえば年賀状。12月中旬ともなれば、親類や友人、会社の上司・同僚への年賀状作成で大忙しです。しかも、文字だけでは気持ちが入っていないと思われますので、干支・縁起物のイラストや写真を添えた「絵はがき」をせっせと仕立てなければなりません… しかし、元々江戸時代以前の年賀状は、年賀の挨拶文を綴った書状に過ぎませんでした。今のようなイラストや写真入りのカラフルな年賀状は、いつ頃から登場したのでしょうか?

絵はがきの始まりは「彩色絵葉書」から

日本の郵便事業の始まりは明治3年(1870)年。3年後の明治6年には早くも官製葉書が登場します。当初のはがきの郵便料金は市内5厘、市外1銭。郵便制度が整う明治30年代でも1銭5厘です。明治30年代の小学校教師の初任給が10円前後ですから、今の貨幣価値では30円程度とかなりリーズナブルでした。

その頃、欧米では観光名所の風景を印刷した絵はがきが一大ブームとなっていました。当時の絵はがきは「彩色絵葉書」と呼ばれるものです。モノクロのネガフィルムを原版としてコロタイプ印刷ではがきを刷り、それに手作業で彩色を施すという手間のかかる方法で作られました。これが欧米人の間で人気だったため、日本でもお土産用に横浜や長崎の風景を写した絵葉書が作られるようになります。

明治の観光ブームと絵はがき

日本人に絵はがきが普及したのは、日露戦争がきっかけでした。明治37~38年の戦時中、戦地の写真を元に作られた戦役記念絵葉書が政府から発売されます。当時の最先端技術である三色版印刷にエンボス加工を加えたもので、精巧な作りが評判となり爆発的な人気となりました。

折しも、日露戦争直後に公布された「鉄道国有法」により、全国の鉄道が国有化されて便利になり、明治末期に観光ブームが起こります。ブームに沸く観光名所や温泉地でお土産として人気を博したのが、彩色絵葉書でした。

明治44年から2年をかけて執筆された夏目漱石の『行人』でも、主人公の家族や友人が旅行先で絵はがきを出す光景が何度も出てきます。気軽にリゾートに出かけて旅先で絵はがきを出すという文化が定着したのが、ちょうどこの時期に当たるのでしょう。

年賀状と絵はがき

一方、年賀状はというと、官製葉書の登場後すぐに年賀はがきが一般化し、明治32(1899)年の年賀郵便開始、明治39(1905)年の年賀特別郵便規則の公布により、現代とほぼ同じ年賀郵便制度が確立します。私製はがきを年賀郵便に利用可能になったため、明治末期には、様々な工夫を凝らした絵入り年賀状が作られるようになりました。

第二次世界大戦のために年賀郵便はストップしますが、昭和24(1949)年の「お年玉くじ付き年賀はがき」の登場以降、景気の好転により年々取扱量は増加、昭和40年代には取扱量が戦前のピークの2倍に達します。

昭和50年代になると、文房具店やデパートなどで年賀はがきに図案を印刷するサービスが普及。さらに、昭和52(1977)年に登場した理想科学工業の「プリントゴッコ」の大ヒットにより、個人がオリジナル年賀はがきを自作するスタイルが普及します。また、富士フイルムがサービスを開始した「フジカラーポストカード」⁠そうでない方はそれなりに…」のCMで有名ですね)によって、フィルムから年賀状を作成できるようになるなど、昭和50年代にはあらゆる年賀状のバリエーションが出そろいました。

パソコンと年賀状

電子機器が年賀状作成に使われるようになったのは、1980年代になってからです。当初はワープロ専用機を用いた印刷が主流でしたが、1995年のWindows 95発売以降は、美しい文字のフルカラー年賀状が簡単に作成できることから、パソコンで年賀状を作成する人が急速に増えていきました。年賀状素材集の書籍も書店で数多く並ぶようになり、今ではすっかり師走の風物詩となっています。

年賀状の基本に立ち返ろう

平成9年にピークを迎えた年賀状ですが、今では年々その量が減少しています。携帯電話やインターネットの普及により、電子メールやメッセージで済ます人が増えたことが原因として挙げられます。確かに、電子メールでも年賀状を送ることはできますが、インターネットで一瞬で送られてくることに味気なさを感じる人も多いでしょう。

年賀状は、遠方にいる知人に向けて年賀のお祝いと日ごろの感謝を伝えるためのものです。手間ひまかけて印刷して郵便で送ってこそ、真心が伝わるのではないでしょうか。もちろん、印刷だけでなく、心を込めた一筆もお忘れなく!