Windows 95のリリースは、一般消費者にインターネットの世界を導き、コンピュータ市場の拡大を導いた発端となる出来事でした。その流れはいっきに社会の隅々に広がり、ハードウェアの低価格化、MS Officeなどのソフトウェアの大衆化を引き起こし、さらには2000年代初頭のITバブルで頂点に達しました。
ビジネスの現場でもインターネットを使うことが当たり前になり、それは企業の情報システムを根本から変え、たくさんのITシステム需要を生み出しました。それがITバブルの実態でした。
急激な需要のせいで、たくさんのひずみも出てきました。企業の現場で起きてきたことを俯瞰すると、ユーザ側では「システム管理者」へのシステム導入と管理・運用のプレッシャーです。一方、システムを作り・提供するインテグレータ側では、旧来のシステム構築のしきたりを継承したゼネコン型のシステム構築のひずみが表出してきたと言えるでしょう。
ふとしたきっかけで、『システム管理者の眠れない夜』『暗黒のシステムインテグレーション』というITバブル時代の混乱と破天荒な毎日を描いた技術エッセイを読み、これらの本が絶版になっているのは惜しいと思いました。どんなにクラウドコンピューティングやらソーシャルウェブだと喧伝されても、システムを支える現場の状況はもしかしたら変わってないのかもしれないのです。当社からこれら2冊を復刊を企画した理由がそこにあります。
ITバブルが崩壊し、システムの運用や構築の情報を提供してきたIT系雑誌がその使命を終え、次々に休刊している昨今、さまざまな状況の変化がありますが、ここでITバブルを振り返り、新しい知見を考えてみるのはいかがでしょうか。
※以下の対談は、Windows Server World誌にて2004年に掲載されたものです。
目次
暗黒の「IT産業」――自分で判断する力を身につけよ
プログラマーにはおもしろくない時代……パッケージで創意工夫の余地が少ない
――今日は『暗黒のシステムインテグレーション』の筆者の森さんと『システム管理者の眠れない夜』の柳原さんの対談ですが、ウィンドウズ・サーバ・ワールド誌でこの2つの連載は読者の人気の1位、2位を常に争っています。したがって、ライバル対談ということになりますね。
森:いや、そんなことはないですよ。大先輩にお会いできて光栄でございます。
柳原:こちらこそ。このたびは第2巻の刊行、おめでとうございます。
――お二人とも今やIT業界の重鎮ですが、柳原さんは、この業界に入るきっかけは何だったのですか。
柳原:僕の場合、もともとは工場なんかの生産管理システムとかをオフコンでやっていました。一方で、NECのPC98とかもいじっていたら、パソコンのお守りのほうをやらされることになりました。最初のころはずっと一人でしたよ。
――そうやって、システム管理者は誕生していくんですね。
柳原:当時はシステム管理者って、表に出てこなかったもんね。企業の中の情報システム部門は、そこで何やっているかというのはほとんどやみの中(笑)。業界の中の飲み友達なんかに話を聞いたら、みんな苦労しているんだけど、それがあまり知られていないんですよ。雑誌や書籍なんかの情報もないし、みんなストレスを抱えていました。
――そして「システム管理者の眠れない夜」という連載が始まり、世間にシステム管理者なるものの実態が明らかにされた。実際、あの記事の影響は大きかったですよ。「システム管理者」という職業が一般に認知されるようになったのは、連載の単行本がベストセラーになったからだという人もいます。
森:すごいですねえ。日が当たらないところに、日を当てた。しかも、ぎんぎんのお日様を、ですね(笑)
――今や、システム管理者というのは立派な職種として認められていますよ。
柳原:職種としては認識されているけど、僕らの親の世代の人にしてみたら、息子や娘には絶対にやらせたくないでしょう、こんな仕事(笑)
森:「やめとけ」って言いますよね(笑)
――森さんのほうは、この業界に入ったきっかけは?
森:きっかけですか、きっかけは流されて(笑)。いや、わたしは高校、大学とずっとベタな文系ですから、もともとコンピュータをやりたい、好きでって入ったわけでは全然ない。ただ、コンピュータって、わたしが高校・大学のころに盛り上がっていて、何やるんだろう、何か新しそうでおもしろそうだとは思っていました。
――おもしろそうだから、SIベンダーに就職した?
森:そういうわけじゃないです。当時、バブル経済で華やいでいた銀行や保険なんかには就職したくなかった。親には公務員になれと言われましたけど、公務員もなぁと。学歴に関係なくできるところってどこだろうと探したらこの業界で、人もいっぱい採っていてたまたま入ったんです。不思議なもので、入ってからほんとうにおもしろいと感じるようになりました。
柳原:往々にして、おもしろさってあとからついてくるよね。
森:仕事ですからおもしろいだけではだめなので、自分がいったいどのくらいどういったことができるのか、自分のやっていることが独りよがりではないのかということなんかを常にチェックしていたつもりです。
柳原:この業界って、そういうのをちゃんと指導してくれる人が少ない。
森:僕がいた会社は、その辺りは進んでいました。教育にすごく金をかけていましたね。そこで学んできたので、フォートランの“フォ”の字も知らないわたしがここまでやってこれた。感謝しています。
柳原:かなり体系的な教育だったのですか。
森:もうすごいですね。それこそOSIから、X.25から、OSの中身から、メールシステムやらデータベースやら、とにかく全部みっちりやらされました。それがあったので、この「暗黒のシステムインテグレーション」も執筆できているのかな(笑)
柳原:基本的な教育だけをちょこっとやって、あとはOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)だとかいって現場に出すところも多いじゃないですか。森さんは、いい会社に入られたのですね。
森:いや、同じ会社でも開発をやっている部隊のほうは、CとかFORTRANを3カ月教えてすぐ現場に放り込んで、「おまえ、これ書け」なんですよ。
――そう言えば、森さんはプログラマー批判も書かれたことがありましたね。
森:批判しましたが、僕にできないことをやっているので、すごく尊敬しているんですよ。「そこまで知っていてできるのに、何でこういうことを見ないのかな。もったいないじゃない」という思いがあるのです。
柳原:「こんな枠に閉じこもるな」ということですね。
森:プログラマーの人たちは「何でこういうふうに動かないんだ」とかよく文句をたれる。それに対して「それはこのOSがこうなっているからだ」と言っても、「こんなのできてあたりまえなのに、バクだ!」と騒ぐ。「お前がバグだろ」なんて返して、よくけんかをしました(笑)
――光景が目に浮かびます(笑)
森:プログラムって、何でもできちゃうじゃないですか。美しいかどうかは別にして、とにかく書けちゃう。でも、出来上ったプログラムは、そのプログラマーでないといじれないというケースがよくある。「あなたは天才、すばらしい。でもさ、あなた辞めたらどうするの」ということですね。
柳原:たった今のこれはいいけど、それがユーザーの手に渡って、例えばそれが2年たったときに、あなたは同じようにそこに座っているの、という疑問はあるよね。
――プログラマーには、ある意味、作ったら終わり、みたいなところが多分にあるということですね。
森:ただ、プログラマーの方にとっても、今はつまらない時代だと思いますよ。みんなパッケージ、パッケージになっちゃって、自分が創意工夫する部分が少なくなっている。
柳原:パッケージ管理って、とにかくプログラマーさんの自由度が低い。規約ガチガチになっていて変数を1つ変えるのも自分の思うようにならない世界でやっているから、きっとおもしろくないでしょう。
森:おもしろくないから、“死んだサバ”のような目をした人もいる。
柳原:確かに、パッケージ系をやっているプログラマーさんが生き生きしたところって、あんまり見たことないですね。
森:「いったい、おれは何やっているんだろう。あと何カ月で終わるのかな」という感じですね。
「ウィン・ウィン」が出たら注意……裏があってはめようとしているぞ
――パッケージ、パッケージという流れというのは、他人から与えられたものを消費するだけ、という傾向の結果なのでしょうね。
森:そうですね。「作るところには興味がない、結果だけ欲しい」ということでしょう。今の資本主義のグローバリゼーションの中で勝ち残るためにそういった効率的なことは必要なのでしょうが、はたして、裏を知らないで、作られたものの価値を盲目的に信じるだけでいいのでしょうかね。
柳原:僕もそこはすごく危惧しています。例えば、いろいろ議論したうえでお互いに納得してシステム設計するのと、単に金を払ってシステムがポンとできるのとは大違いのはずです。
森:全然違いますよね。単に金だけを払って得るシステムなんて、共感を得られないし、愛着もわかないでしょう。
柳原:作り手側のSEとやり合うことも重要です。僕はソフトウェアに関して発注側にいたのでいろんなタイプのSEを見てきたけど、話し込んでいって「こういうふうにしたいんだ」「そう言うけど、この場合はどうなるんだ」「これはどうなんだ」と根掘り葉掘り聞いてくる人は、あとが安心できるんですよ。逆に、仕様の打ち合わせなんかを淡々と進めるSEは怖いですね。その時点では楽なんですけど。
森:「じゃあ、それはこの機能でやっておきますから」みたいに軽く終わっちゃうのって、ありますよね。
柳原:経験的にそういうスマートなSEというのは、まずだめ(笑)
森:わたしも同感です。
柳原:どんどん問い詰めていって、それこそユーザーを困らせちゃうぐらいのSEでなきゃ、プロだと言えないと思います。
森:わたしもお客さんに言います。「最初の1カ月間でぶつからないような生ぬるい議論はしたくない。そこでぶつかってお互いに腹を割って本音を出さないと、いいものができないじゃないですか」と。
柳原:最初にやり合わないのは、問題を先送りしているだけなんですよね。あとになればなるほど、ひずみが大きくなる。
森:でも最近、お客さんがあまり聞いてこなくなったんですよ。「それは、そっちで考えて」なんですよ、要するに他人に任せ。
柳原:でもね、丸投げするタイプのそういうユーザーというのは、昔からいましたよ。大抵そういうプロジェクトは、“火を吹く”ことになりますけど(笑)
森:“火を吹く”というリスクがありながら、それを知らなかったということでしょうね。例えば、安ければ安い分、ユーザーがリスクを負わなければならないというケースは多い。本来なら、それを明らかにして話し合い、どの程度リスクを取れるのかということをお互いに納得しなればならないはずです。
柳原:ともにリスクは取らないというのもありますね(笑)。「ウィン・ウィン」とよく言うけど、あれって「両方ともがボチボチかぶりましょう」ということなんだよね、実は。
森:ボチボチかぶって、ロスはだれかに振っちゃいましょうと(笑)。「原資は限られているんだから、だれかが損するんだよ」ってことかな。
柳原:ウィン・ウィンと聞くと耳障りはいいですがね。でも、うさんくさい。
森:いろんなソフトウェアベンダーやハードウェアベンダーと打ち合わせをしますが、「この案件はぜひウィン・ウィンの関係で」と言われた途端に、「こことはやめとこ」と思いますよ(笑)
――ちなみに、球界への新規参入を目指したライブドアの堀江社長も、楽天の三木谷社長もウィン・ウィンとよく言いますね。信用できなのかな(笑)
森:信用できなくてもいいんですよ。結局、お互いの欲なんて隠しようがない。会社も違えば業務目標も違うのだから、その中でお互いが歩み寄れる目標って何なのというところを正直に話せばよいのではないでしょうか。
柳原:お互いに「ぶっちゃけたことを言うと、うちはこうなんですわ」というのを出せるところはいいんだけど、それを最後まで出さないようなところが信用できないよね。
森:「大丈夫ですよ、柳原さん。ウィン・ウィンの関係でいっしょに頑張りましょう」って言われると……
柳原:「お前、はめようとしているな」ってことか(笑)
森:そうそう。「お前、何かはめる策は、もう決まっているだろう」みたいな(笑)。
柳原:役員クラスがウィン・ウィンと言うならまだいいんだけど、一線の営業や技術屋さんがマネしてそういうことを口走り出すと危ないよね。
成熟している自動車産業を目指す……IT産業はまだまだ発展途上なのか
――いわゆる“ITバブル”のころから、横文字のキャッチが増えましたね。
森:そこには、一種のブランド戦略があるのだと思います。「考えなきゃいけないのはわかっているけど、アウトソースするからいいんだよ」とかになってきた結果、選ぶのは何かといったら、結局ブランドなんですよ。BMWだろうがベンツだろうが、タイヤは4つあってエンジンがあって基本構造はそんな変わらない。違いはブランドだけ。
柳原:ブランドで買うのは、安心を買うようなものでしょう。
――責任を取りたくないということもあるのでしょうね。「あんなに著名なメーカーのを選んだのにダメだった」と言い訳できる。
柳原:「せっかく大々的にテレビでも宣伝しているような大きなところに頼んだのに」ってね。
森:結局、働いたのは“ブランド”ではなく現場の人間だから、同じなんですけどね(笑)。ただ、キャッチは必要だと思います。例えば、原始人に「キャデラックっていいですよ」とセールスしてもむなしいわけです。イメージできないものに対して必要性を訴えるときに、キャッチというかコピーというか、そういうものがないと説明しづらい。しかも、何かすばらしそうとか、夢を見させるような要素がないと話さえ聞いてもらえないかもしれません。
柳原:一歩まちがったら、霊感で壺を売っているようなものだと思うけど(笑)
――確かに、コンピュータを知らない人に、コンピュータがあるシーンをイメージしてもらうのはむずかしいですね。
柳原:そう。歩いてばかりいる人が、車を持つようになったらどういうふうに生活が変わるか、ほとんどイメージできないのといっしょ。なかなか情報システムについてわかってもらえなかった。
――でも、最近はこれだけ「IT、IT」って言われるようになると、イメージはできるようになったでしょう?
柳原:まあ、そんなに激変したわけではないね。確かに、電子メール程度とかならなんとかだけど、その先はまだまだ。
森:電気屋に行って「インターネット、ください」という人がまだいるぐらいですから。
――まだいるんですか?
森:います、います。
――昔、アキバの某電気店に「インターネット、ください」って来る客が結構いたそうです。その店では、「ありますよ」と言ってパソコン売り場に連れて行き、一番高い機種を売りつけていたとか(笑)。でも、今でも「インターネット、ください」ってヤツがいるとは思いませんでした。
森:ITは他の業種に比べて、まだイメージ戦略みたいなところが遅れているということなのでしょう。例えば、トヨタの営業さん、車を買いに来る人に「カローラは・・・」「マークⅡは・・・」「クラウンは・・・」というような車の説明はしないんですよ。
柳原:ライフスタイルからいきますよね。
森:そう、ライフスタイルからいくんです。「お子さんが生まれたんですか。じゃあ、気をつかいますね」とか「事故を起こされたことがあるんですか。車がぶつかったら怖いですからね」というように、ユーザーのエクスペリエンスに直結することを持ち出すんです。そして、「じゃあ、この車がいいですよ。ほらね、ここが便利で、しかも子供が指を挟まないでしょう」みたいに持っていく。
――なるほど。
森:ところがITのセールスの場合、特にエンジニアは、技術で話すわけですよ。「マークⅡとは、エンジンが何たらかんたらで」とか「このシートは本皮製でどうのこうの」とか。お客は、わかんないって(笑)
柳原:自動車産業の場合は成熟しているので、あらゆる車種のラインナップがそろっていて、さまざまなライフスタイルに対応できるのでしょう。こういう人にはこういう車、ああいう人にはああいう車というように。IT系は、それがまだそろっていないのでしょう。まったく足りないから、まだまだ開発も進んでいるわけです。だから、ユーザーの話を10聞いたら、そのうちの1つか2つ、ITを使って役に立つかもしれないというぐらいの謙虚さを持たなければならない。10を全部実現しようと思って、はまらないところに無理やりはめようとしてもだめなんですよ。
森:そのとおりですね。無理やりはめ込まないためにも、現場でしっかりとコミュニケーションすることが大切なのです。
――では、IT産業は自動車産業みたいに成熟していくことを期待すればいいのでしょうか。
森:そうとばかりは言えないでしょう。かつて自動車メーカーは、エンジンとかタイヤだけでなく、さまざまなパーツを全部自社で作っていました。でも今は、パーツメーカーが星の数ほどあります。今や自動車メーカーは一種の組み立て屋になっているわけです。IT業界もそういうふうになってきています。でもIT業界の場合、パーツそれぞれは個別に最適でも、出来上ったものはまったく役に立たないということが起こっているのです。
柳原:それって、顧客が何をしたいかということをちゃんと聞き出して、それをきちっと具体化できないということ?
森:それもあるのですけど、まとめ役がいないということです。例えば、トヨタだったらトヨタの設計主任とかが「こういう車を作りたい」と言って、各パーツベンダーに指示を出します。いわば、オーケストラの指揮者みたいなもんです。ITの場合、「客さんが求めているからこういうものを作りましょう」となっても、その指揮者が不在になりがちなのです。
何が起こるかわからないものを使う……ブラックボックス化の問題は大きい
――IT業界の現在の流れに対して、何か気になるところはありますか?
柳原:むだを許さないような雰囲気がまん延していることでしょうか。
森:それはありますね。
柳原:昔ネットワークが始まったころにしたって、パソコンとかウインドウズとかが始まったころにしたって、今から考えたら僕自身すごくむだな時間も使ったし、むだな経験もしたし、部下にむだなこともやらせました。でも、その中から一応ベストソリューションが生まれてきて、それを組み合わせた段階である程度の環境が出来上るのです。そんなことをこの10年間ぐらいやってきましたが、それなりに結果が残せたのは、むだなことをやったおかげでしょう。一方、そういうことをやっていない部署があって、むだなことは何もせず、メーカーさんと話して某社のシステムをポンポン入れた。その結果、批判が続出となったわけです。
――なるほど。
柳原:むだな経験をしていると、批判にさらされても「それが足りないのだったら、ちょっとこれを足しましょう」というように結構対処できる。だから、システムとして柔軟性が持てることになるのです。そういうむだな経験とか、むだな時間というのを一切認めずに「とにかく早く結果を出せ」という雰囲気がまん延してくると、たぶんこの業界はだめになっちゃうのかなと思う。
森:むだというのは自分で考えるという作業を伴うわけですから、それを排除する風潮は怖いですね。「自分で工夫しよう」「自分で何とかしよう」はなくなってしまい、「それはだれかが考えるよ」になってしまう。
――森さんが言われた「作るところには興味がない、結果だけ欲しい」ということにつながりますね。
森:そうです。大手コンピュータメーカーがよく「水道の蛇口をひねれば水が出るように、ITのリソースが簡単に利用できる」と理想を言うじゃないですか。確かに1つの理想でしょうけど、その水道の仕組みに興味を持たなくていいのかって考えてしまいます。すごい金と労力がかかるわけですよ、浄水場を作るわ、水道管を作るわ、塩素が混じらないようにするわ。でも、その仕組みをユーザーが全然知らなければ、ブラックボックスになってしまいます。水道はともかく、ITの場合はブラックボックス化は問題です。
――西暦2000年問題なんか、そのブラックボックス化も一つの要因として考えられそうですね。
森:そうです。何が起こるかわからないものを使っているわけですよ、結局。だれがどういう思想で、どんなふうに作ったのかわからないものを、疑問も持たずに自分で考えないで百パーセントそのまま受け入れちゃう。これは、まずいですね。やっぱり、どこかで自分で考えてほしい。
柳原:インフラなんか特にそうだけど、動いていてあたりまえ、金を払ったらそのサービスを受けられるというのは世間に山のようにあります。でも、そういうものは意外にやばい。例えば、航空機。金を払ったらだれでも乗れる、どうやって安全に飛んでいるかなんて知ったこっちゃない。たぶん、テロなんてのは、そういうところの間隙を突いてくるんでしょう。結局、ITも同じことだと思います。ブラックボックス化して「何か知らないけど動くものなんでしょう」という人たちは、ウイルスにバタバタやられている(笑)
森:ブラックボックス化したときに、人間の感性って麻痺しますね。水道なんかもそうですが、われわれの知らないところ、つまりブラックボックスの部分で奮闘努力している人も存在するわけです。だれかが何かやってくれているからというのを忘れて、与えられるのがあたりまえだと思い始めたら、人間って堕落すると思うのです。もちろん、そういった道徳的な意味だけではありません。下手すると、ブラックボックスのおかげで、つけ込まれてしまいます。ベンダーのほうは、そういう判断能力がない人に売るのは簡単ですから、いくららでもいいかげんなものを作れてしまう。
――そろそろ時間なので、最後に一言お願いします。
柳原:ブラックボックスの問題への対処にもなりますが、とにかく自分で使って、自分で経験して、それで自分なりの判断をしようよということが重要ですね。テクノロジーが社会で有効になるためには。その積み重ねが必要なのです。そのためには、むだを認めなければならない。なんでもかんでもお金に換算して考えようとか、開発効率を上げようとか、そういう評価のスタイルばかりに固執してはならないでしょう。
森:人に与えられたものじゃなくて、あるいは仕様とかキャッチフレーズとか価値だ、効率だとかという言葉じゃなくて、とにかく自分で判断する力を身につけていってほしい。そして、作り手側もマーケットに媚びないでほしいですね。
(初出:Windows Server World 2004年)
「システム管理者の皆さんへ」(柳原秀基)
正確な統計はないのだが、システム管理という仕事に付く人は、この10年ほどの間に急増したと思う。役職としてその名前が付いていなくても、企業などの組織の中で、そういう役目を果たす人は増えているはずだ。
友人などの話を聞いていると、従業員数が100人を超えるようなところでは、情報システム部として2人以上が配置されているようだ。それよりも小さい企業では、会計や給与関係のシステムに出来合いのパッケージソフトウェアを使っているのがほとんどなので、SIベンダーに丸投げしているのが一般的である。
そうしたところでよくあるのは、総務・庶務の中でパソコンの得意な社員を見つけて担当させるパターンだ。もちろん本業との兼務であり、片手間仕事である。社内で使われるパソコンの手配、ソフトウェアのインストール、ネットワークの設定、LANの配線、果ては自社Webコンテンツの作成まで担当していることもある。要するに、なんでも屋だ。
おまけに彼・彼女をきちんと指導してくれる人はいない。よほどの物好きでなければ、彼らの仕事を手伝おうという人もいない。もちろんシステム管理者としての権限が与えられているわけでもないので、社員や上司から文句を言われれば、それに逆らうこともできない。
最大の問題は相談できる同僚がいないことだろう。問題が起こった時に、どのような考え方で、どのような対策を採用するかについて、一人で悩むことになる。対策のための技術に手も足も出ない状態になると、自らの不勉強を呪うことになる。システムの更新や新規導入に際して、どのような手順と注意点があるのかも、誰も教えてくれない。
そこで、途方に暮れて、書店に足を運ぶことになる。書店にはSE(システムエンジニア)を対象とした書籍がたくさん並んでいる。そのほとんどは、情報システムを作り、売る側のSEを対象とした内容だ。どのようにしてユーザ(発注側)が求める要件をもれなく聞きだして分析すればよいか。同時にそのとおりに設計してしまうのではなく、ユーザ側が本来必要としているものを考える事が大切だと力説されている。こうした書籍のおかげで、情報システムを設計し、作るという仕事がどんなもので何が求められるのかということは、一般的に知られるようになったと思う。おかげで、SEとはどのような職業で、彼らとどう接するべきかについての知恵はつくようになった。
ところが、ユーザ側の窓口としてSEと接する機会の多いシステム管理者について、その行動指針や生態を明らかにした書籍はまだまだ少ないのが実態だ。そのせいかもしれないが「システム管理者」という言葉は、まだまだ社会一般に受け入れられたとは思えない。2000年に本シリーズの1冊目(通称、管眠本の青本)が出版されたとき、大手書店のコンピュータ関係の棚をいくら探しても見つからず、見つかった場所は「経営・ビジネス書」のコーナーだったこともある。「管理者」という文字から、そう分類されてしまったのだろう。当時は大手の書店でも、その程度の認識だったのだ。そう考えると、本の帯に書かれている「システム管理者という職業を世に知らしめた」という文言には少し無理がある。知らしめたにはほど遠いと思っているのが筆者の本音である。
『システム管理者の眠れない夜』は、企業や組織の中で、なんでも屋に陥りがちなシステム管理者が、どのようにして本来のシステム管理者の仕事を確立していったか、という実話だ。そしてここには、参考書のように理路整然とした話や教訓は書かれていない。あくまでも筆者が現場で遭遇した問題に、筆者がどう悩み、考えて行動してきたかが綴られている。もし、システム管理という仕事を任されて悩んでいる人がいたら、ぜひ本書をお勧めしたいと思う。そして、自らの体験と重ね合わせたうえで、明日からの仕事の糧にしていただければ幸いである。
10年以上、『システム管理者の眠れない夜』を書き続けてきたおかげで、僕はいろんな組織の、いろんな立場のシステム管理者と知り合うことができた。運用しているシステム規模も、その複雑さも、そしてそのシステムを利用するユーザ層もさまざまだが、そんな人々の「システム管理魂」に触れることができた。そこで生まれたパッションによって、僕は10年以上の連載を続けることができたのだと思う。そんなシステム管理者たちに、ここで感謝の意を表したい。
みんな、ありがとう! そしてこれからもよろしく!
「システムインテグレータの皆さんへ」(森正久)
で、なんですか。来春卒業予定の大学生の就職内定率が、史上最低の57.6%ですか。(文部科学、厚生労働両省による調査結果)こんな言い知れぬ不安な時代のど真ん中にいらっしゃる方々にとって、チャラケた筆者が何か言おうものなら、それこそテロにあっても「自業自得」って世論に刺されちまいますよ。剣呑剣呑。
そんな世情なのに、「システムインテグレータのエンジニアの皆さんへ一言」というコラムを書くことになった。う~ん、困った。基本、「暗黒のシステムインテグレーション」は娯楽本ですから。娯楽本の与太作者にそんなこと語らせるのは、政治家が海保による情報漏えいを吊るし上げるかのごとく、どっかズレてる……って、違うか。そうじゃなくて、AKB48にガラケーの将来ビジネス戦略を語らせるかのごとく無理難題……って、これは逆にナイス・アイディアじゃん?
ま、とにもかくにもでい、他人様と同じと見られるのが何よりでぇっきれぃ、外れっぱなしの逆張り人生まっさかさま。さりとてアウトローを気取るほどの冴えもどしょっ骨もないオイラの話を、ヨタのついでにチョイと聞いとくんな。
エンジニアとは、論理の落とし子。論理に照らして、今までの手順に手法、ビジネスの組み方やり方、常識定石常套なんてヤボ天は、まずは疑ってみるこった。そして、オカシイ、フニオチナイ、モシカシタラと感じたら、感じるだけじゃなくてどうしてそうなのか、こってり自分なりにぢぃーっと考える。「あーでこーで、昔はいとおかし」なんて大正浪漫にひたってる場合じゃねーぞ。考えてるだけじゃぁラチあかねーから、自ら動いて、周りがオモシロ楽しくて引きずり込まれちまう土俵を作っちまえ。そして、部署や会社なんていうシミったれた垣根なんてのはもちろん、国境(クニザカイ)も越えて仲間を集っちゃれ。
決して忘れちゃならねーのが、渡世の仁義。ひとさまをナメる、ハメる、裏切る、後ろから刺す、ってのは、今も昔も変わらぬご法度。そして、その手の輩が仕掛けたピットホールにはまらないために、内規に派閥に組織力学、なんちゃらマネージメントにコンプライアンス、カネ勘定から世間の目に至るまで、くだらねぇいやい、なんて言ってないで、覚えとくんだよ、八っつあぁん。いざって時に約に立つからね。
それでも、論理とシガラミの相克に悩んでる? そんな時にゃ、オイラはネットを離れ、近くのしょぼくれた日帰り温泉で汗ながし、ねっころがって本でも読むってなもんさね。『IT Doesn't Matter』で、IT業界の痛いところを突いたニコラス・G・カー氏も、著書『ネット・バカ』(青土社刊、原題 The Shallows:What the Internet Is Doing to Our Brains)で、「ネット社会は脳に変化をもたらし、判断は迅速だが深い思考が苦手な脳にする」ってなことを書いてるし。やっぱ、論理的な思考力あってのエンジニアってもんよ。ということで「皆さん、本を読みましょう」って、結局宣伝かよ!
お後がよろしいようで。テケテンテンテン