おもちゃコンピュータの志向

1983年に任天堂株式会社が発売したファミリー・コンピュータ(以下、ファミコン)で遊んでいた世代の方々も、すっかり大人となっていることでしょう。ファミコンはあまりにも完璧なゲーム機であったため、大人になってから思い出しても、実はそれが子供のことを考えて設計された「玩具」という側面を持つことは忘れられがちです。

たとえばイジェクターという、押すとカセットがポンと飛び出る、楽しいしかけがありました。また、元来、ビデオゲームのコントローラにはジョイスティックタイプが採用されていましたが、踏まれたらつぶれてしまうし、⁠踏んで子どもが怪我でもしようものならもっと大変」※1というわけで、ファミコンのコントローラでは十字ボタンが採用されています(遊びやすさ、コストなど様々な点でも極めて優れていました⁠⁠。そもそもファミコンの販売価格は子どもに手が届く範囲として、1万円以内におさめることを目標に開発が進められたものです。

ファミコンが家庭用テレビゲーム機として他のライバルを制した理由の一つに、グラフィックス機能の優位性がよく挙げられます。先行していたアタリ社のゲーム機などでは、ゲームは「本来マルと三角との世界」※2と言わんばかりにキャラクターは抽象化され、ゲーム性に特化されていましたが、比較してファミコンは視覚表現が豊かです。コスト削減を図りつつ、グラフィックに使用できる色数はぎりぎりまで落としているのですが、子どもが好きなマンガやアニメに近い表現が可能となるラインを担保しています。この設計思想は、おもちゃ市場を知り尽くした任天堂だからこそ出てきたと言えるでしょう。

グラフィックス機能以外にもハードウェアからソフトウェアにいたるまで、コンピュータ・アーキテクチャ的に様々なアイディアが詰め込まれていますが、それらの紹介は小社ファミコンの驚くべき発想力-限界を突破する技術に学べ-に譲ります。

現在では当たり前となった技術や発想も、当時の開発者が創意工夫を重ねた結果生まれたもの。何もない地平に新しい道を拓いた先人の努力を想像しつつ、お読みいただければ幸いです。