AR三兄弟自体が1つのメディアになっていますよね。AKB48とかと同じで。
川田:数では負けたくないので、今増やしています。100人超えたらイナバの物置(昔100人乗っても壊れないというCMをやっていた)にチャレンジしたいです。
阿部:なるほど(笑)。ARの話に戻しますが、僕がこれまで手がけてきたARは手段としてのAR、要はARアプリがほとんどです。ただ、現在の技術においては位置情報かマーカー前提になってしまうため、シミュレーション的な使い方にマッチするように感じています。
森田:たしかにWebのキャンペーンでダイレクトに活用するのは難しいです。
阿部:今の段階では、キャンペーンで使ったとして必ず最初に「マーカーをダウンロードしてください」とかなるとそこまでして本当にやるのかなと。そういった観点から見ても、今、AR三兄弟が取り組んでいるアプローチは本当にうまいと思います。
川田:ありがとうございます。僕たちは自分たちのARについて「システムを作った」とか言われたくないんです。だから、「拡張しました!(=価値が大きくなった)」というような表現を用いて。その気持ちが成果物に現れているのかもしれません。
長谷川:コンセントでは、AR単独に着目するというよりは、ARが入っているシステム全体のプロトタイプやコンセプトモデルを作っています。そこには、ARを含めたいろいろなものが織り込まれているわけです。なので、デザイナーにはまずARが普及した世界を想像できることが求められます。そのために、たとえば『電脳コイル』を観たり、あの世界観が日常になったときの想像力を持てるように、普段から心がけています。
川田:(『電脳コイル』とか)わかりやすいですよね。実は、僕はまだ観ていないんです。その理由の1つに、ARありきの世界も好きなのですが、ARじゃない世界からの何かを作りたいと思っています。たとえば、『ジョジョの奇妙な冒険』や『キン肉マン』のようなマンガを見て、それをヒントにしたりします。『ジョジョ~』であれば、スタンドの場合、声や動きをマーカーに置き換えるわけです。
最近の活動の1つに、『笑っていいとも』に出演させていただいたことがあって、そのとき、まさに「人の動き」をマーカーにしたデモンストレーションを行いました。具体的には、タモリさんが観客に呼びかけて、観客の皆さんの拍手に対するリズムを取るアクションと同じように、「ユーザがカメラに向かってタモリさんのような動きをすると、観客の拍手音がする」というものです。他にも、オードリーの春日さんの「トゥース」というネタを使わせていただき、声に合わせて画面上に文字を出す「声の可視化」を行ったりしました。
森田:そう考えると、何がARかARでないのかという判断も大事ですよね。単なるリアルタイムレタッチなのかARなのか、という意味合いで。
川田:おっしゃるとおりで、ARは30年以上歴史があって、いろいろなARがあります。学術的な研究も多数あって、概念の設定が非常に複雑です。
ですから、自分たちの思いとしては、「僕たちがやっているものは広い概念としてのAR」だと認識されるようにしたいと思っています。
ARのビジネス的ターニングポイント
阿部:これまで取り組んできた中で、どのあたりがAR三兄弟にとってのターニングポイントになりました?
川田:初めて(対価をもらえた)仕事になったARが日産の広告でした。あの当時は、AR三兄弟はもちろん、ARすらまったく認知されていない時期で、かつiPhoneも普及していませんでした。つまり「前例のないもの」という点で、ターニングポイントになったARだと思っています。
あれ以降、僕は、
この3つがあればARが実現できると考えています。そして、これを固有に実現させた最初のデバイスがiPhoneだったように思います。
iPhoneが登場してからは、街に出ればなんでもできると思いましたし、可能性が広がりました。日産の事例で言えば、iPhoneや携帯電話を使い、パルコ前広場をジャックする、いわば広い世界を拡張するというARをいきなりやったことが大きかったですね。
森田:ちなみに、川田さんから見て、セミトラ(Semitrans parent Design)のSONY「Bravia」の事例(銀座ソニービルの壁の色をネットから遠隔で操作できるクロスメディアプロモーション)はどうですか?
川田:あれ、かっこ良かったですよね。僕の中ではセミトラリアリティって読んでいます(笑)あれも1つのARではないでしょうか。
それから、阿部さんが以前にやったインターネットスイカ割り(インターネットを通じて、ブラウザで操作した水着美女が画面の向こうでスイカ割りをするというコンテンツ)は、すごい衝撃的で。あれもARですし、あの面白さに影響を受けました。
阿部:ありがとうございます。最近のカンヌなどで賞を取る表現やコンテンツもそうですが、今の時代はリアルタイムでインタラクティブなものが増えてきている。当然ながらそれらと同様のことだと思います。
川田:この概念を伝えるのが難しくて、ただ、たとえば(広告のように)受託するものについては、発注する側が概念から入りがちで、コンテンツとして難しくなってしまう傾向がありますね。
阿部:僕がインターネットスイカ割りを作った最大の理由は「コンテンツの面白さ」を追求したかったからです。Webのコンテンツってどうしても技術や仕掛けにフォーカスしがちで、コンテンツそのものの面白みが後付になっています。そこで、とにかく面白いコンテンツを作ろうという発想が、あのような形になりました。
働き方の拡張
川田:あと、ARを作る上で、働き方についても意識している点があります。たとえば、僕たちAR三兄弟の場合、
- 長男=企画+設計(音楽)
- 次男=映像+運営
- 三男=音楽+実装
というような役割分担です。ここにいるお三方は立場上偉いので(笑)、少しニュアンスが変わるかもしれませんが、僕がクリエイティブチームを作るときにどうすればフラットにできるかを考えた結果、「家族みたいに」という思いになり、兄弟に行き着きました。以前、『Web Designing』さん他が主催した「dotFes 2009 KYOTO」に行ったときなんかは、うっかり家族旅行になりましたし、そこで、兄弟というパッケージが強く印象づけられました。
持論ではあるのですが、日本人って家族が好きなんだと思います。たとえば、ウルトラマンとか。そこが日本的でもあり、没入しやすい環境なのかなと。おそらく、日本で仕事をするには「家族感」を持ち込めると成功しやすいんじゃないかと思っています。
森田:同じ釜の飯、っていう話ですね。
川田:概念はそうですね。ただ、実際の働き方でいうと、兄弟それぞれが自宅で業務をすることが多いので、その点は、今風に言うと「クラウド的」っていうことでしょうか。
阿部:無理やり今風の言葉を入れなくても(笑)
森田:その“家族感”で見る働き方、組織というのは面白いですね。僕自身、bA(ビジネス・アーキテクツ)時代に組織づくりやプロジェクト運営に取り組んでいたので興味があります。たとえば、阿部さんは僕から見ると「アニキ」的存在のように思います。
阿部:よく言われますよ。ただ、最近は社員も18名になり、自分の立ち位置のようなものが変わってきました。
森田:それって、社員をどう成長させるか、ある意味、拡張のさせ方にも通ずるところだと思っています。たとえば、アニキ的なポジションで組織を作るのか、額面通り「社長」的なポジションで組織を作るのかで、異なりますよね。
阿部:そうですね。理想は川田君と同じように、兄弟、今だったら18兄弟で、言いたいこと言える関係でいられる組織です。少しそれますが、先日うちのディレクターと話をする機会があって「ワンパクの価値、行きたい方向って何?」っていう話題になりました。そのとき、彼からは「対外的に楽しそうに見える、上下関係ではなく仲の良い雰囲気、マインドの共有」といった答えが返ってきました。たぶん、それですね。家族という呼び方なのかどうかはわかりませんが、マインドの共有というのを第一に置いています。
ただ、これから人数が増えると難しいと思っていて。そのあたり、長谷川さんはどうですか?
長谷川:コンセントは先日、グループ会社であったアレフ・ゼロとの合併がありました。もともと私が在籍していたコンセントの社員数は40名ぐらいで、今回の合併により新コンセントとしては150名ぐらいになりました。
それぞれWeb、エディトリアル(紙)といったメディアの違いはありましたが、根本の「伝わるしくみとしてのデザイン」を指向している部分は共通していたので、考え方のぶれはあまりありません。
人数が増えたことによって考えるようになったのは、どうやってフォーメーションを組むかということですね。
森田:それはどの立ち位置で考えています?アニキ的?お父さん的?
長谷川:お世話してもらっているのでおじいちゃんかな(笑)冗談はさておき、自分がディレクションするケースが多いのでリーダーシップを取ることは多いですが、組織の中のヒエラルキーはできるだけない状態でいたいですね。
法人格のAR、日本ならではのAR
森田:ちなみに、こういった組織、チームの関係性を可視化できる・拡張できるARってないんでしょうか。
川田:まさに今僕たちが考えていることの1つです。法人格って、いわば法に於ける人格なわけです。だから、(法人として見える)視覚情報を視覚情報にしてもしょうがなくて、たとえば、法律の視点から観た情報を視覚化する、法人格の感情を見えるようにするものといったアイデアはありました。実現には至りませんでしたが。
ここで、たとえば、社員の中にバス釣りが好きな人、登山が好きな人が集まっているのであれば、その観点から企業内の特性の尺度を視覚化するというアプローチがあります。それを専門性に当てはめれば、法人格の視覚化につながるわけです。
そもそも、ARは視覚だけではなくて、人間の五感、すべてを扱えるものでもあり、さらにそれ以上の、自分の体だけではできない、いくら修練しても身に付かないものを実現する手段だと思っています。ですから、最終的には、眼に見えないもの、耳で聞こえないもの、そこに価値を見出していかないと、真のARが生まれてこないのです。
ただ、視覚的な価値で言うと、すでにドイツのARメーカ「metaio」や、フランスの「TOTAL IMMERSION」のようなビッグネームが存在しています。なので、日本のARを考えるのであれば、たとえば落語であったり歌舞伎であったり、日本文化からの拡張に進むべきだと考えます。いずれも、古くからある文化であり、ARの概念に則っていますから。
森田:あと、日本のARと言うと、セカイカメラを思い浮かべます。セカイカメラが出たときに、僕なんかは、たとえば、いろは坂で「◎◎参上!」とか「夜露死苦」みたいなタグが増えるかと思ったんですけどね。実際はそこまで流行りませんでした。なぜでしょう?
川田:一番の理由は、ノイジーなタグが増えてしまったことでしょうか。それでも、(ARという概念を普及させたという意味で)役割を果たしたと思います。これは現実世界にも言えることで、人間が求めている部分だけを切り抜いたときに、そこにフォーカスした情報だけが見ることができる価値もあると思います。拡張現実に対して、「縮小現実」あるいは凝縮現実というような表現です。
人間のバグがARの種
川田:少し戻って、今お話しした落語や歌舞伎というのは、そういったノイズを含めた、いわば人間の視覚のバグ、聴覚のバグを利用していると言えます。たとえば、扇子を箸に、口から出す擬音がそばを啜る音になぞらえるのですが、そこの表現こそ、見ている人にとっては現実的な拡張になります。
とくに生物の視覚、人間の視覚というのはバグが非常に多くて、ARはもちろん、3Dにしても錯視にしても、バグの多いものに依存しているわけです。人間が足りていない部分を、何かの方法で拡大すれば、あたかも超人のように見せられたり、まさに拡張現実となるのです。
長谷川:元々私は認知科学という人の脳や認識のしくみの研究をしていましたが、こういった人間の錯覚や知覚はまさに今、注目されている分野です。こういった実際に起こる知覚のバグは、頭で考えていても出てこなくて、触った感触などの五感から入ってくる情報・感覚をもとに考えていかなければなりません。理論が追いついていないところもありますが、ある意味行為自体に考え方が埋め込まれてるという意味で、日本的であるとも言えます。
これに対して西洋的なアプローチは、まずコンセプト(概念)ありきから始まるので、すでに見えているもの、わかっているものの延長しか狙えない、というジレンマがあると思います。
日本の場合、たとえば落語なんかはその最たるものだと思いますが、言語化されたコンセプト以上のものが結果として表れてくるという側面があります。
クライアントワークとしてのAR
阿部:その、概念から入ってきがちというのは同感です。とくにクライアントワークになると、相手は概念から入ってきがちですね。そこをアイデアからアプローチしていく1つの方法としてARというのは活用できそうですね。一方で、クライアント自体が「ARってこんなものでしょ?」という、クライアントが考えるAR像ができあがっている場合ってどうします?
川田:その場合は、クライアントのチャネルに合わせます。なるべく話を合わせながら、実現するための余白は広げておきたいので。結局、ARっていうのは手段であって、課題解決に対してどのように表現するかはAR以外の手法も取り込めます。AR三兄弟は、厳密にはARの専門家ではなくて、ユニークなアイデアをどうやってAR技術や他の技術を使って拡張させるかを見せることが本望だと自覚しています。
森田:これまでのAR三兄弟のARを観ていてTwitterやFacebookと違うと感じる点は、(表現のルールを)変えられるのが強みだと思っています。言い換えるなら、既存メディアに囚われているキャンペーンとメディア拡張型キャンペーンとの違いでしょうか。
しかも、AR三兄弟は、単なる思いつきで出てきた存在ではなく、「今だ!ここだ!」というのが、緻密に計算されて登場してきた印象です。
川田:ありがとうございます。それから、ARって、まだまだやり方がたくさんあるので、アイデアがつきないっていうところに魅力を感じています。新しい便利なモノサシを手に入れた感覚に近いです。
これからの拡張
川田:それから、ARの限界値がまだまだわからない、という点では、まさに、先ほどの身体性の話につながります。ARも身体性とともに考えてもらいたくて、画面の中や機械の中だけで考えてもらいたくはないです。電気だけの世界には限界がありますが、身体性で捉えることによって予想のつかない結果が生まれます。ですから、これからどんどんアンプラグドの世界にも広げていきたいですね。
少し話が逸れるかもしれませんが、「思い出し笑い」というのは不思議な機能で、何かを思い出したときがトリガになり、笑顔につながります。その「何か」が何なのか、というのはほんとうに難しいのですが、それを共通化させるアプローチというのはARに通じていると考えています。他にも、梅干を考えるとみんなほっぺたが痛くなる、というような感覚的な事象もあります。
これを広告につなげていけたら、ARの幅も広がるのではないでしょうか。
阿部:改めてARは視覚(可視化させること)だけではないと思いました。また、既成概念から入るものでもありませんね。
川田:実はすでに味覚を取り入れたARに取り組んでいる方はいらっしゃいます。マーカー模様に焼かれたクッキーをカメラに認識させて、専用の装置を使うことで、模様ごとに違ったクッキーのフレーバー(匂い)をユーザに送ることで、プレーンなクッキーがそれぞれの味に変わる(と思わせる)ARです。
この考え方の延長線で、たとえば臭気センサーを使ってクックパッドをリンクさせると、食のARを実現できるかもしれません。他にも、ビールの決めの細やかさを図るセンサーがあるので、それを使ったARも面白そうです。
長谷川:そういうのはほんとうに面白いですね。先ほどのお話にもあった、法人格のARに関して、視覚なり何かの感覚で法人を表現することができて、みんなが同じような感覚を持つことができれば、今度は同じように持った感覚の先にある、予想のつかない何かが、また面白い世界へと広げてくれます。
川田:わかります。極端な例で言えば、もしみんなが超能力者になったら、みんなが何かを失うわけです。その何かを考えて次を考えるのはとても大切です。
最後に、僕が取り組んだ新しい事例の1つに、アーティストグループのユニコーンの最新アルバム『Z』があります。このプロジェクトで、僕たちはPV制作に関わらせていただいて、1曲1曲にARによる仕掛けを取り入れました。ポイントとしては、一切マーカーを使わず、たとえばCDの盤面であったり、自分がデジタライズされたりと、今あるものを使って拡張しています。また、単なる視覚だけではなく、聴覚による楽曲拡張を行っている点もポイントです。
こういったコラボレーションというのは、数年前では考えられませんでしたが、ARに取り組み、また周囲がARを認知してくれることによって幅が広がってきています。まさに境界を超え、拡張した世界に踏み出すことができているのです。
今後もWebでやってきたことを現実に持ってきたり、今までにはなかったものを、何かを使って広げていきたいですね。
今やWebはもちろん、交通広告やTVなどさまざまなメディアに進出しているAR三兄弟の長男、川田氏。最後に述べているように、これからWebから現実へ、また、現実からWebへという動きはますます増えていくと思います。今回の座談会を聞いて、改めて、既存のWebサイト/Webサービスのデザインで身に付けたスキルを使うことで、新しい価値を生み出せる世界が始まっていると認識しました。読者の皆さんもぜひとも新しい価値の創出に、Webを活用してみてください。