今回は、テクノロジの激しい変化の中でUI/UXを学び続けるためのヒントとして、どういったフィールドを学べばよいのか、筆者がUI/UXの着想や考え方のヒントをどう得てきたかをいくつかのキーワードを通じて紹介します。
生態心理学
UI設計がなぜ難しいのかの根本を問えば、端的には「人間というテクノロジ」がわからないからです。
コンピュータは人間が作り出したテクノロジですから、設計した通りに動作します。一方で、「人間」はどのように動いているのかについては、さまざまな科学的実験や心理実験、あるいは社会学によって分析考察されてきていますが、その理解は一面的なものにすぎません。
たとえば、「あなたが家から駅までたどり着く」というごく日常のことであっても、そのしくみを客観的に説明することは非常に難しいのです。ほかにも、気分のような感情、心や意識と呼ばれている現象が、何に由来しどういう原因で変化するのかわかっていません。
とはいえ、難しいながらも人間の知覚、認知、心理に対するさまざまな研究がこれまでに行われてきており、UI設計のヒントになる情報はたくさんあります。中でも私自身がこれまで注目してきた分野が「生態心理学」という分野です。アメリカの知覚心理学者のJ.J.Gibson氏が作った比較的新しい知覚心理学の分野で、人間が何かとインタラクトする際の考え方に非常に役立ちます。
生態心理学と聞くとあまり聞き慣れないかもしれませんが、「アフォーダンス」という概念は有名です。アフォーダンスとは、環境にある行為の可能性を示す言葉です。人間が「あることができる」という能力は、自分自身が持つ力だと思ってしまいがちです。しかしアフォーダンスの考え方は、さまざまな行為が可能(能力)なのは、自身に内在する力だけでなく環境があって初めて可能になり、人間や動物の知性を記述するうえでは主体となる動物だけで語ることができず環境と切り離せないというものです。
アフォーダンスは認知科学者のD.A.Norman氏の著書『誰のためのデザイン?』(注1)でGibson氏の考え方が紹介されたことをきっかけに有名になりました。生態心理学では特にアフォーダンスという考え方が有名ではありますが、個人的にはアフォーダンスは生態心理学で一番難しい概念だと思います。
生態心理学では、たとえば「遮蔽」という知覚にとってとても重要な概念を扱っており、たとえば遮蔽の発生のしかたで「まだある」と「もうない」はどのように知覚されるのかを説明していますし、重なり合いが動くことで発生する「遮蔽」は、縁(エッジ)を生み出しその輪郭を露わにします。
これはたとえばディスプレイ上で情報が「まだある」ように見せるための手法としても応用されていることですし、iOS 7で採用されたパララックス[2]の発想にもつながってきます。パララックスによって、複雑な壁紙パターンを利用してもアイコンとの重なり合いの動きによって輪郭が際立ちますし、ディスプレイの境界との遮蔽の発生は、ディスプレイの中の広がりを知覚させます。結果的にハードウェア的には2次元平面のディスプレイであっても奥行きの知覚体験を与えます。
このようにパララックスを単なる格好良いエフェクトと考えるか、効果的な情報提示につながる知覚原理ととらえられるかによって、設計原理の理解のしかたが根本的に変わってしまうでしょう。
このような知覚原理の理解は、これからますます重要になります。
考えなしの行動
深澤直人氏というプロダクトデザイナがいます。深澤氏は無意識(考えなしの行動)に注目しデザインを発想します。
たとえば、傘立てをデザインしてくださいと言われたとき、あなたはどうするでしょうか。きっと上部に複数の四角い枠がある箱のようなデザインがすぐに思い浮かぶと思います。しかし深澤氏は、玄関の壁のすぐ近くの床に直線的な溝を引き、そこに傘の先端を引っかけて、壁に立てかけるという発想します。いったいこの発想はどこからくるのでしょうか。
着想の元は、写真1のように玄関でふと傘を立てている写真です。床のタイルの溝に傘をひっかけて壁に立てかけています。もうこれで「傘が立っている」という発想です。この傘を立てかけた人はとっさに傘を立てられる場所を探した結果であって、べつに特別なことをしたわけではないと思います。しかし深澤氏はこの無意識とも言える結果に注目し、こういった「よくやる」ことには無意識ながら人間が環境から価値を汲み取っており、それがデザインのヒントになると発想します。こう発想することで、「傘立て」という置物から発想を逃れることができ、人間の自然な行為から発想した合理的な傘立てへと到達できるというものです。
深澤氏はスタンフォード大学のすぐ近くにあるIDEOという独自の観察やデザインプロセスで有名なデザイン会社で働いていた時期があります。このIDEOからも無意識に着目したデザインに関する書籍[3]が出ていますし、深澤氏も日本に戻って以来without thoughtというワークショップをさまざまなテーマで実施しています。
行為に溶け込むデザイン
「考えなしの行動」の別の表現として、「行為に溶け込む(相即する)デザイン」という表現も深澤氏はしています。
私たち人間は常に動き続けています。ですから常に「行為」している存在です。その行為を中心に発想することが、デザインにとって重要であるという考え方です。先ほどの傘立てはまさに「よくやるよね」という行為を中心にデザインした例であり、行為に溶け込んだデザインというわけです。
このような行為に溶け込むデザインの発想はUIを考えるうえでも大切ですし、プロダクトデザインよりもUIデザインの発想に向いているくらいです。なぜなら、UIは人間の操作が発生する部分であり、製品やWebサービス上で行為を作っている部分だからです。したがって、UIのデザインは「行為のデザイン」なのです。画面のデザインという視点でUIを考えている人にとっては抽象的な考え方だとは思います。しかし、UIのデザインを行為のデザインと考えるのは、UXという体験の重要性も相まって、UI設計の基本と言えます。最終的には物なり機能に落とし込んで実装しますが、UI設計の発想は、物からではなく行為から、あるいは動詞で発想することが重要視されています。
もう少しわかりやすい話としては、携帯電話のデザインと考えると、携帯電話という物自体から考えると、その枠で発想してしまいがちですが、携帯電話を動詞で考えてみると「歩きながら話すデザイン」「どこでも誰とでも話すデザイン」という発想になります。そう発想することによって、携帯電話という既成概念を超えたデザインや機能にたどり着き、携帯電話というテクノロジのあり方自体を人間の感覚に近づけることができます[4]。
デザインはどこにあるのか
今回は知覚の話や、深澤氏の話から、UI/UXについてお話してきました。今までも本コラムでは、UIと言っても画面のレイアウトの話はほとんどしてきませんでした。今回もやはり画面のデザインの話ではありません。デザインはどこにあるのかと言えば、機器やサービスと人間の間に発生する現象なのです。
UIのデザインは行為のデザインであり、行為の連続が人間の体験へとつながります。だからこそUIの設計論はUXという体験論につながると言えます。最初にも書いたように、「人間というテクノロジ」がこれからも問題です。そのテクノロジを理解しながら、近代技術と結び付け、個々人の人生という体験を設計するのが、インタフェースデザイナ、ユーザエクスペリエンスデザイナの役割なのです。