共通授業の社会では、1972年にロッキング・オンの創刊に携わって以来、数多くのメディアに関わってこられた橘川先生より、これからの参加型ネットワーク社会の持つ可能性についてお話いただきました。
本気で何かを始めるということ
前半は自己紹介も兼ねて、1972年の『ロッキング・オン』、1978年の全面投稿雑誌『ポンプ』などの創刊時のエピソードを体験的に語られました。「JAZZやクラシックとロックの違いは、ライブハウスなり日比谷野外音楽堂なり、場そのものがメディアだった点だと思います。アーティストがその技術を披露し、それを観客が評価するのではなく、ステージ上のプレーヤも観客も一緒になって場を盛り上げることに意味があると考えていました」と橘川氏は当時を振り返ります。ここで語られている「場の共有」というテーマは後々の橘川氏の携わってきたメディアの仕事でも共通したテーマとなっていたそうです。
1972年、橘川氏は「ロックは新しいムーブメントで、場の共有に意味がある。自分達は今までの商業誌が扱ってこなかった“場としてのロック”を表現していこうではないか」という情熱から有志4人でロッキング・オンを創刊しました。場としてのロックというコンセプトの対象はライブ会場に留まらず、楽器ができなくても投稿という形で言葉でのロックをするということも含んでいます。反響はあったものの初期は資金繰りも厳しく、スタッフが持ち出しで印刷費を工面することも少なくなかったようです。
しかし、橘川氏には次のように言います、「何かを始めるときに、本当に始める人はゼロから始めます。何にもないところから『これを始めよう』とするのが本当に始めるということです。人が何かをしているのを見て「面白そうだから参加する」という人は辛くなると一番先に辞めていきます。本気でやりたいのではないのです」。
場の共有とネットワーク
1978年に全面投稿雑誌『ポンプ』を創刊したとき、橘川氏ははじめてネットワークという概念に触れました。まだパソコンもインターネットもなかった時代です。「ネットワークというのは、知らない人をつなげるのではなく、繋げられる人を繋ぐということです。そして参加型メディアで大事なのは、共有するテーマを持つということです。つまり、参加型ネットワークメディアの本質は、何かについての意見を共有するところにあります。したがってネットワークの編集者は、始めに作りたいイメージの種を投げ、それに対するレスポンスを想像する必要があります。
機械を使って表現をするということ
絵であれ文章であれ、何かを表現する際に手書きで書く以上は、間違いも含めてその表現の可能性は無限にあるといえますが、パソコンなどの機械で書くとなると、決められたフォントやスペースを使わなければならず、制限の中で表現をすることになります。橘川氏は言います。「つまり機械で書く以上は、すべてがコラージュだとも言えます。インターネットの時代において、すべての表現は、何かのレスポンスであり、既成の物のコラージュ、Remixです。そのRemixをいかに今の時代に合わせるかというチューニングが大事になります。つまり、完全なオリジナルというものはないのです」。
ビジネスにおいても、インターネット以降の社会は、近代以降に培ってきたビジネスの形とはまったく異なる様相を呈しているといえます。「近代以降のビジネスは、切り離されているものの間で商売をすることで成り立ってきました。貿易もそうです。メディアもそうです。ものがある人とものがない人、情報を持っている人と持っていない人をつなぐ所にビジネスが生まれます。しかし、インターネット以降は人がほしいものに直接アクセスできてしまうので、それまで間にあったビジネスが必要なくなります。つまり、インターネットは近代以降のビジネスを超えてしまうのです」。
個人対組織
「これからの時代、一番大きな問題は、20世紀が組織と組織の戦いであったのに対し、21世紀は個人と組織の戦いだと思います。最近のニュースを見てもバッシングの対象は個人で、バッシングをしているのは組織という構図になっています。それは個人と組織の戦いが始まっていることを示しています。まだ皆さんは古い仕組みの中で仕事をしていると思いますが、その中に次の時代の種は必ずあるはずです。少なくとも新しい流れがあるということを理解してください。その中でメディアの役割はますます重要なものになっていくと思います。そこでメディアの本質と非本質、メディア本来の姿とそうでないものとの戦いをしなければならないと私は思います」と来場者へのエールを送りました。