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第175回Figma買収から見えてきた⁠Adobeが向かう目的地

「Adobeが、Figmaを200億ドル(約2兆8,700億円)で買収する⁠⁠。Adobeの四半期決算が発表される2022年9月15日の朝(日本時間9月14日深夜⁠⁠、海外の経済ニュースから驚くべき速報が飛び込んできました。

Adobeが200億ドル(約2兆8,700億円)で買収したFigmaが提供するクラウドベースのデザインツール「Figma」のウェブサイト。⁠Nothing great is made alone(一人ですごいものは完成できない)⁠のタグラインが印象的
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Figmaは、2022年度に4億ドル(約530億円)の年間経常収益を見込む、従業員約850人の企業です。新型コロナウイルスの感染拡大で、企業が在宅勤務を進める中、提供しているクラウドベースのデザインツール需要が急増。直近の企業評価額は100億ドルでしたが、Adobeはその約2倍の額での買収を決めました。

大型の企業買収を何度も行ってきたAdobeにとって、200億ドルの買収は過去最大の案件です。なぜ、大型買収を決定したのか。いくつかの観点から、Adobeの買収の意図を探っていきます。

Adobeが買収した「Figma」とは何か?

Adobeが買収したFigmaは、アメリカのブラウン大学で学んでいたDylan FieldとEvan Wallaceによって、2012年に創業された企業です。⁠すべての人がデザインへアクセスできるようにする」ことを目的として、2016年にデザインツール「Figma」を一般公開しました。

動画 デザインツール「Figma」のコンセプトを紹介する動画「What's Figma?」

ブラウザ上で動作する「Figma」は、無料でモバイルアプリやウェブサイトなどのデザインを作成・編集できるツールです。ソフトのインストールも必要ないため、特定のOSやデバイスに依存せず、すぐに利用が始められます。

ブラウザから利用した場合の「Figma」の画面。基本的なツールの使い方さえ覚えてしまえば、すぐに使えるのが魅力。動作も軽く使いやすい
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デザインツールでありながら、⁠ユーザーの3分の2以上が非デザイナーであること⁠も特長です。基本操作が簡単で使いやすいことから、各種SNS用の画像作成やプレゼンテーションなどの書類、資料作成にも使われるなど、デザイナー以外の幅広い職種で利用されています。

動画 「Figma」と連携できるオンラインホワイトボード「FigJam」を紹介する動画「Welcome to FigJam」。チームでブレーンストーミングやフローのマップ作成など、共同制作する際の情報共有が円滑に行える

「Figma」最大の特長は、すべての関係者が参加して、最高のデザインを作り上げることを目的に作られた「コラボレーション機能」です。権限を与えられた複数のユーザーが、リアルタイムで同時に作業できるため、これまでのデザイン設計手順を大きく変える機能として注目されています。

会社の規模はまだ小さいものの、すでにGoogleやNetflixなどの大手企業が「Figma」を採用しています。2022年3月には、アジア初の拠点となる日本法人が設立され、2022年7月には「Figma」日本語版が発表されるなど、日本でも積極的な活動で利用者を拡大しています。

Figma買収に対する反応

2021年に、Figmaは100億ドルの企業評価を受けています。現在の収益も黒字の優良企業で、今までの急成長を考えれば、今回の買収金額も妥当と言えます。それでも市場は「Figma買収は、あまりに高すぎる」と判断しました。Figma買収の発表日、Adobeの株価は約17%下落しています。

Adobeの過去の大型買収例。2005年のMacromedia買収は、年間収益の4.7倍と破格の買収額だったことがわかる。今回のFigmaの買収も年間収益の3.27倍と、近年ではかなり思い切った買収といえる
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Figmaの買収発表後に開催されたイベント「Adobe MAX⁠⁠。基調講演では買収したFigmaに関する新たな情報も提供された。
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2022年10月18日には、毎年恒例のAdobe主催イベント「Adobe MAX」が開催され、その模様がライブ配信されました。基調講演ではAdobeの幹部たちが、Figma買収の経緯や共同作業が可能になる同社製品への追加機能の説明を行いました。その際、コメント欄にはAdobeへの辛辣なコメントが飛び交い、最終的には主催者側から注意が発せられる異例の展開となりました。

Adobeの成長の一部は、企業のM&A(企業の合併・買収)で支えられてきました。過去には「敵対的な買収ではないか」と疑われた事例もあり、買収された製品を愛用していたユーザーにとって、非常に苦々しい経験となったはずです。今回のFigma買収でも、ネガティブな意見や感想を持つユーザーが少なくないのは当然かもしれません。

Adobeから見た、買収のタイミング

Adobeが提供している「Adobe XD」は、2017年に発表されたデザインツールです。素早い動作と主力製品の「Illustrator」⁠Photoshop」のユーザーであれば、すぐに使いこなせる操作感が特徴です。

Adobeが2017年から提供している「Adobe XD」の製品紹介サイト。Adobeの他製品との連携や動作の軽さが特徴のデザインツール。タグラインでは、リアルなデザインを素早く作成するというプロトタイピングへの言及が目立つ
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2020年から世界的な新型コロナウイルスの感染拡大が広がると、働き方にも大きな変化が生じます。在宅勤務など、職場へと出勤せずに仕事を行う方法を採用する企業が増加して、インターネットを通じての⁠協業⁠が必要不可欠となります。

こうした環境下で「Adobe XD」はシェアを伸ばせませんでした。⁠Figma」は、もともと共同作業でデザインを設計するツールとして開発されています。このため、コロナ禍での企業やユーザーの要望に当てはまり、大きくユーザー数を伸ばします。

UX Toolsの調査「Design Tools Survey 2022」⁠4,260件の回答)のUI DesignTool部門の2017–2022年のユーザーの使用ツール率のグラフ。2017年には、わずか約8%だった「Figma」の使用率は、2020年に約70%、2022年末には9割近くまで上昇。ここ数年は「Figma」を使用するユーザーが大きく伸びており、⁠Adobe XD」との差は拡大していく傾向にある
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「Adobe XD」のシェアが伸び悩んでいた2020年11月の年次報告書で、Adobeは「Adobe XD」の競合他社リストに⁠はじめて⁠Figmaの名前を追加して、今後の見通しを「この分野で競争がますます激化していく」と予測していました。

それから2年、⁠Adobe XD」の単体での販売は終了し、⁠Figma」はAdobeの予測通りに急成長しました。さらに成長する可能性のあるFigmaを、⁠⁠会社が大きくなる前に買収するほうが理にかなう」と考えるのも不思議ではありません。

2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻も影響しています。インフレやドル高でAdobeの売上成長率は鈍化。Adobeの株価も大幅な下落へと転じました。厳しい経営環境が続く中で、株式の価値が目減りする前に買収を実行する必要があったのではと推測します。

Figma買収後に、Adobeがすべきこと

「Figma」は、強力なユーザーのコミュニティ文化を基盤に、急速な成長を続けてきたデザインツールです。⁠Figma」のために自発的に活動するユーザーも多く、熱心なユーザーの活動や招待によって、新たに使い始める人も少なくありません。

AdobeによるFigma買収合意を伝える、FigmaのCEOであるDylan Fieldのブログ。買収経緯の説明後、最初に語られたのは、過去と現在におけるすべてのFigmates、コミュニティのメンバー、そして顧客への感謝だった
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この強固なコミュニティを成立・維持していけるかが、Adobeの最初の課題です。経営への過度な干渉や料金体系の変更、基盤であるコミュニティでのユーザーとの対話に失敗すれば、熱狂的なユーザーは消え、⁠Figma」から別のサービスへと去っていくでしょう。

動画 2022年11月、日本で初開催された「Schema by Figma Tokyo」。「Schema」はFigmaが毎年開催するデザインシステムのカンファレンス。実際のユーザーによるノウハウや技術、実践例などを共有する機会が幅広く存在するのも、「Figma」のコミュニティの特長といえる

過去のMacromedia買収では、その後の「Flash」の爆発的な普及と業界標準化による莫大な利益で、株主をも納得させています。同様に今回のFigma買収でも、業界標準となれるようなユーザー数の拡大や利益の獲得ができるかが経営のポイントになるはずです。

求められる「デザインツール」の変化

ここ数年のAdobeの決算発表では、これまでの成長を支えてきた「プロ向けのデザインツール」の売上成長が鈍化しています。今後の成長戦略を考えれば、会社を成長させていく新たな収益源が必要不可欠です。

近年、SNSなどではバナーや短時間の動画が多く使用されるようになってきました。SNSで使用される画像や動画は、更新の担当者、いわゆる専門的なデザイナー以外が制作していることが多く、⁠誰もが簡単に使えるデザインツール⁠が求められています。

このような要望を受けて、昨年「毎月190か国の1億人以上がサービスを利用している」ことを発表するなど、ユーザー数を拡大しているサービスが、2013年にオーストラリアで創業された「Canva」です。

2013年にオーストラリアで創業されたオンラインのデザインツール「Canva⁠⁠。テンプレートをベースにした、SNS用のグラフィックやプレゼンテーションの書類作成などが作成可能。サブスクリプションサービスも提供している
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「Canva」は、用意されたテンプレートを利用して、誰もがグラフィックデザインやSNSの画像・動画、プレゼンテーションが制作できるサービスです。基本無料で利用が始められ、より便利な機能が追加される「Canva Pro」⁠Canva for Enterprise」などの有料サブスクリプションサービスも展開しています。

記事中に掲載している「Adobeの主な買収と買収額」「Canva」で制作しているところ。テンプレートから制作すれば、短時間で見やすい表を作成できる
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今回の記事では、⁠Adobeの主な買収と買収額」の表を「Canva」で制作しています。筆者も何度か利用しているツールですが、必要なデータを用意して、テンプレートから制作を始めれば、短時間で制作物が完成します。テンプレートの種類も豊富で、通常の業務内なら困ることはないでしょう。

非デザイナー向けのデザインツールの分野には、ベンチャー企業からMicrosoftのような大企業まで、規模の大小や会社の経歴を問わず、多くの企業が参入しています。もちろん競争も激化していますが、裏を返せば、今後の大きな成長分野であることを示しています。

現在、非デザイナー向けのデザインツールには、多くのサービスが参入している。紹介した「Canva」以外にも、VismeVistaCreatePiktochartなどが挙げられる。最近ではMicrosoftも「Microsoft Designer」でこの分野に参入することを発表している
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“誰もが簡単に使えるデザインツール⁠が求められる現状への対応として、Adobeも2021年12月から、デザイナー以外の顧客や中小企業をターゲットとしたクラウドベースのデザインツールAdobe Expressの提供を開始しています。

Adobeが提供する「Adobe Express⁠⁠。SNS用の画像やロゴ、ポスターなどが素早く作成できる。Adobe StockやAdobe Fontsなど、Adobeの他サービスが提供する素材も利用可能。モバイルデバイス用のアプリも用意されている
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「Adobe Express」の提供開始1年をえた直後の決算では、⁠月間アクティブユーザー数が数百万人」⁠米国では四半期比で訪問者数が40%増加」⁠顧客の継続利用意向を表す指標も50%以上」といった好調な現状報告がありました。アナリストからも質問が飛ぶなど、Adobeにおける「Adobe Express」の立ち位置にも注目が集まっています。

Adobeが目指す、次の目的地とは

「Adobe Express」の新規ユーザーの多くは、いわゆる専門職ではない人たちやデザインのキャリアが浅い人たちです。新規ユーザーの利用を継続させながら、将来より高度な製品へと移行できるための機会を提供していくことが、Adobeの今後の成長を支えていくはずです。

AdobeはFigmaの買収を「40年の歴史の中で、最大の変革の1つの目玉」と位置づけています。また「これからの生産性ツールは、ウェブベースで、マルチプレイヤーで、Adobeが独自に提供する新世代のクリエイティブな表現力が注ぎ込まれたものになる」とも述べています。

変革を裏付けるように、属人的で単独のアプリケーションとして利用されていた「Photoshop」「Illustrator」「Share for Review(レビュー用に共有⁠⁠」などの共有機能が追加されたり、⁠Photoshop Web」⁠Illustrator Web」といったクラウドベースのツールが提供されたりと、Adobeの製品群にも変化が現れています。

Adobeが次に目指すもの。それは、これまで関係がなかったユーザーへと、自社のクリエイティブツールを広げていくことでしょう。新型コロナウイルスの感染拡大を起点に、人々の要望は大きく変化しました。それまでAdobeが提供していた⁠属人的なプロツール⁠だけでは対応できないため、共同作業が可能な「Figma」の買収や非デザイナー向けの「Adobe Express」への注力という、大きな変革が必要になりました。

2022年12月6日、Adobeは設立から40年を迎えました。次世代を見据えた技術への投資や挑戦を続け、時にはビジネスモデルも変えながら、時代に合わせて成長してきた姿勢は、今後も変わらないでしょう。

新型コロナの感染拡大は、人々の要望を変化させ、今後のAdobeの成長に必要な新たな市場を登場させました。今回のFigmaの買収は、これからAdobeがさらに勢いを強め、新たな領域へと進出するための第一歩となるはずです。

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