Webの魅力―アート?いや、建築物として
人を惹き付ける要素
前田:
Webが人を惹きつける魅力ってなんでしょうね。小さなきっかけが世界を変える、ということがまだ感じられる世界が存在しているから、とかですかね。Webのほうが強く感じられる。
江渡:
Webは芸術といっても、建築に近いかもしれませんね。利用者には設計した人の意思が間接的に伝わるわけで、Webと建築はメディアとしての性質が近いですね。Webの悪い点は、後に何も残らないところ。でも、建築でも素晴らしい建築なのに2、3年で消えるものもあるし、何千年も残る建築もある。
アートは美しいものとは限らなくて、たとえば世界最初のWikiと言われているC2 Wiki[1]にはアートを感じます。10年前から存在していて、いまだに書き換え可能であり続けているというところが凄いですね。
前田:
この話って、すごく本質的な話ですよね(笑)。構造物として固定的な建築だと少し違うんですよね。それを枠を広げて都市にすると、街の魅力は建築が作っているのではなくて、そこに住んでいる人の魅力でできあがる。そういう部分がWebに似ているな、という理解の仕方もありますよね。
それで「ツリーとセミラティス[2]」のような話を聞くにつれ、Webは構造を持っているのに柔軟な部分があるというのが魅力というか。余白があるというか。
ユーザが作り出すメディア
クリエイターとオーディエンス
江渡:
最近よく言われているCGM(Consumer Generated Media)という考え方もありますけど、そもそもコンシューマーとクリエイターの違いは大量複製可能なメディアができてきてから作られた違いで、その前はそんなに明確には分かれていなかったはずです。それ以前の状態に戻ったと考えるべきですよね。
前田:
この議論ができるのは今年ぐらいまでですかね。10年くらい前は「あなたのHPが世界に!」みたいな感じだったけど、いまや「あなたもアルファブロガーに!」みたいな。それで、アルファブロガーが150万人くらいになったらそのステージは成り立たない。
メディアの中でWebという言葉は変容しているけど、「多くの中で個人が」という関係が崩れて、たくさんの小さなステージがその個別適合性をネットで実現しているなら、今までの話とは違ってロングテールが成立する、と。
だから、小さい集団というのは、おそらくこの言葉のどちらでもなくて、大きな集団がおそらくオーディエンスなんじゃないですかね。
著作権という概念
前田:
たとえばUNIXなら、昔からUNIXの世界での共通のマナーがあると思うんですけど、ユーザがジェネレートするコンテンツがあると認識された今、それまでネチケット[1]とか全然知らなかった人が参加することで、これまでのユーザにはなかったものが出てくるおそれがありますよね。
今までは法律での規制とかはしなくて、性善説で作り上げてきたんですけど、そのプロセスを知らない人が、有料サービスと同様の行動を取ったら教育しにくいですね。今はまだ悲観していないですけど、いずれは…という恐怖もあります。
江渡:
ライセンスとか著作権とか、書くほうも書かせるほうも意識していないですよね。昔は職業としてのクリエイターが主だったから問題ははっきりしていたけど、みんなが気軽に書き込んだものが出版物になったりするようになると、昔はなかった問題がどんどん出てくる。やってみて気付くことだから後で問題になるんだけど、本当は最初からちゃんと考えたほうが良いですよね。
あまり決め事は増やしたくないけど、でも政府が決めるよりはみんなで決めたほうが良いですよね。原稿用紙1枚いくらで原稿料が決まるというしくみも文藝春秋を立ち上げた菊池寛が考えたことだし、同じようにみんなが納得するようなフリーのライセンスがもっと普及すれば良いのにと思います。
前田:
僕達が『関心空間』を運営してわかったことは、ユーザにとっては、コンテンツの対価としていくらかをもらったりするよりも、まず褒めてもらったほうがすごく嬉しい、ということですね。
さっき話した「ステージを上げる」という考え方にもつながりますね。設立当初「関心空間に上下はない!」というコンセプトでやってたけれど、最近はそういう褒める場も意識的に作る方向に変わってきつつあります。
たとえば、作家にはなれないけど、まず文壇に上がれる機会がある、編集者や他の作家との接点がある、それからデビューして、◎◎賞を目指していくという考え方ですね。マイクロコンテンツもしくみの中で評価可能なステージやスキームが必要な気はしているんですよね。
Wikiはそういう意味でも転換期に来ているんじゃないですか。たとえば、今Wikipediaのように辞書よりも辞書らしくなっていて、一方であの膨大な量の中に内容にバラツキが出てくるわけで。その流れが進んでいくと、今度は情報の信頼度という付加情報が求められていくのではないか、と。併せて、その付加情報を付けていく人が必要になるし、もしそれを目指すならビジネスも可能なのかな、と。
(つづく)