WSEA(Web Site Expert Academia)

第8回Webの外側に生まれる余白を“検索”(その1)

第3回目を迎えた『Web Site Expert Academia⁠⁠。毎回、さまざまな分野の方をゲストに迎え、⁠関心空間』代表取締役 前田邦宏氏と⁠つながり⁠について対談を繰り広げます。

今回は、Webの「内側」を照らし出す検索エンジンの批判から、Webの「外側」の重要性まで。Webを取り巻く環境の話でつながりました。

水島:

お招きいただいてありがとうございます。僕はここ数年は、自分が何か話すのではなく、人に話してもらってそれを整理する役割をやることが多くて…。それはそれで楽しいんですけど、言いたいことを押さえているのでフラストレーションがたまるというか(笑⁠⁠。

前田:

そうですね。けっこうよくお会いしているのに、いただいた本[1]の話とか、専門の話を聞く機会がなかったですね。今日は、私にわかるように、生徒に教えるように、ちょっと紐解かせてもらうと、嬉しいなと思います。

左:東海大学文学部広報メディア学科助教授 水島久光氏。
右:関心空間代表取締役 前田邦宏氏。

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Googleの問題点

水島:

では、どこから話をしましょうか。あの本を書いてからね、ちょっと僕自身がデジタルメディアから引いていたときがあるんですよ、いろいろありまして(笑⁠⁠。ここ数年のデジタル系に関わっている人たちの意識のトレンドに、⁠あちゃー、ついていけねえやぁ」って感じたことがすごくあって、そのことに関して親しい人にメールで打ち明けたんです。⁠大きな問題が3つある」って。

前田:

その3つとは何ですか?

水島:

1つは、技術至上主義があからさまに見えているということ。もう1つは、エリート主義が強すぎるというか、なにか尊大な態度が気になって。もう1つは何だったかな…(笑⁠⁠。とにかく、ものすごく「独善的なもの」を感じたのね。それが気になって仕方がなかった。

前田:

それは今もですか?

水島:

うん、今も感じていますね。たとえば、Googleに対して。

昨年はGoogleというものの技術が思想的に何に裏打ちされているのかをいろいろ考えていました。そこで最近出たGoogle本をかたっぱしから読み漁ったら、1つの特徴が見えてきたんです。その特徴は、サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジ[2]の世界観の立て方に、すべてつながっていると。

Googleというシステムは、基本的にサーチエンジンじゃないですか。これはつまり、自分たちのサーバの中に世界のミニチュアを構築するシステムなんですよね。そもそも、Googleがあれだけの機能を持ちえたのは、⁠Googleの本質はソフトウェアではなく、ハードウェアの設計にある」という結論を出している人がいるくらい、サーバを手作りしたことに大きなポイントがあるわけですよ。いわゆる半導体の伸びに関するムーアの法則[3]を上手に使っていて、初期段階のWebの世界の広がりをとりあえず収められるサーバを作れば、サーバ技術の向上とともに全世界は治められる、という計算で成り立っているんですよね。

つまり、彼らの技術拡張は、結局、世界を自分たちの手の中に取り込むモデルなんですよ。ここに彼らが世界というものをどう考えているのかに関する問題がある。で、そういうことをやっていくと、どうなるかというと、すべてのことを自分たちでインデックスできるということから、自分たちの手の中にあるものが世界だという発想の逆転が生まれていくんですよね。

ところが彼らは何て言うんでしょうか…とても朗らかというか(笑⁠⁠、自分たちの手の中にない世界のことも知っているんですよ。

よく一般に「Googleは破壊者なのか」とか、いろんな言い方がされてますけど、彼らは別に破壊者だとか、そういった対立の構図を、頭の中には持っていないんですね。彼らは、自分たちにとって居心地の良い世界を構築するという1つの思想だけでやってきているわけです。で、それを作るために何をすればいいのかということについて、そうとう自覚的なんですよ。たとえば、どういうふうにデータを圧縮して、断片化して、それに簡潔にアクセスするか、ということに関しても。

だからそれができることの限界もよく知っていて、外の世界があることも知っている。だけど、自分たちが関わりたい世界はここだけだ、と。つまり、彼らの世界観は「自分たちに関係ある」世界と「自分たちに関係ない」世界の二重構造をなしている。

そうした意識はたとえば、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』の書き方なんかにも通じていて、僕にはすごくひっかかるんですよ。たとえば、これからは「総表現社会になるんだ」と。これは確かにblogみたいなものの動向を考えれば、ポテンシャルとしてはそうでしょう。けれどもその数行後に、⁠でも実質的にそれを利用できるのは1,000万くらい」と書いちゃうわけですよ…その安易さというか。日本の人口は1億2,000万だって知っているわけでしょう? 1億2,000万の中で1,000万の人たちが表現できることをもって「総表現社会」と表現しちゃうんですよ。

前田:

それが3つの問題のうちの「エリート主義」というところにつながるんですね。

水島:

そうです。それから、これからの時代、人間はもっと情報感度を高めなければいけないとか、もっとそういう社会の流れに乗っていかなければいけないとか、⁠べき」論が多すぎ。これは好意的に解釈すれば前向きなことですよね。ところが、それがどこかで転倒しちゃうんです。それをできる人だけを認める、できない人は認めない、と。ある種の格差を作っていく原因になるわけです。

だから、GoogleとかWeb 2.0的な動きを見ていると、その思想に共感できる人はどんどん仲間になっていく。ところが、単純に共感できない人はどうなるかというと、Googleのルールに乗ることを強制されるわけですよね。それがたとえばGoogle八分の問題で。自分たちの考えたことが、既定のアルゴリズムに対して挑戦的であるということになると、ユーザ主義の名の下にGoogle八分(アルゴリズムが支配する世界からの締め出し)を行うわけです。アルゴリズムに対する絶対的な信頼というものが、ある種の権力を生み出しているわけですよね。完全言語化というか。これは危険だな、と。

前田:

なるほど。3つ目の問題点がすごく気になり始めたんですけど(笑⁠⁠。

水島:

思い出しました(笑⁠⁠。ビジネスで世界観が閉じている、ということでした。たとえば新聞は『日経』しか読まないでそれで十分みたいな。

技術至上主義とエリート主義とビジネスで閉じている。この3つが気になるのは、3つが3つとも、僕らが生きている世界を一部の角度からしか照らしていない。その一部が世界のほかの側面から切り離されて、自律しているわけではないのに、それで完結している、言い換えれば、充足してそこに閉じていられるかのような語りが繰り広げられていることに、僕は非常に違和感を覚えたんです。

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