- 「あなたは技術者ですか」と聞かれた時に、自然に「はい」と言えますか?
はじめまして、平山尚と申します。
ここでは、プログラマなのにその質問に「はい」と答えにくい人たちのお話をしようと思います。ゲームプログラマという人種です。
ゲームプログラマもプログラマですから、技術者です。専門分野を持ち、その専門を生かして仕事をします。しかし私の知る限り、少し前までのゲームプログラマは、あまり専門特化を好みませんでした。
初めてだけど、いいの?
私は2004年に写実的な絵が売りの製品に参加し、コンピュータグラフィクス担当となりました。初めての分野でした。素人です。どう考えても専門家がやるべきだろうと、さんざん泣き言を言いました。
しかし今にして思えば、そう悪い選択ではなかったのでしょう。専門家一人に独占させると、他の人がその分野を学ぶ機会が失われます。また、専門にのめりこむ人は、何のための技術かを考えない傾向があります。多少技術で劣っても、製品を作る人間が自分で学ぶ方が、運用も応用もうまく行くのです。ブラックボックス化された技術をホイと渡されても、使いこなせやしません。
一夜にして別世界
もうひとつ、こんなこともありました。
10年以上C++でゲームを作ってきた集団が、突然C#に乗り換えたのです。
相手にする市場を変えると決まり、伴って製品の性質が変わり、開発環境が変わり、言語まで変わりました。ここは日本ですから、C#技術者を新しく雇うという選択はありません。そこにいる人間が乗り換えるのです。
一見無茶にも思えますが、ゲームは「楽しませてナンボ」であり、技術は単なる手段です。こういうことも起こり得ます。
普段から勉強を怠らず知識を溜めこんだ人よりも、「変数と関数とifとforがあればいいや」と言ってまるで勉強しない人の方が有能、というのはよくあることです。標準ライブラリすら良く知らない人はたくさんいます。下手に習熟すると、それに囚われてしまうのかもしれません。
非プログラマの存在
こういった文化ができる背景には、プログラマの比率が低いことも影響している気がします。私の経験上、せいぜい3割です。
大半がプログラマでない以上、プログラミングの論理で事は進みません。「メモリは余裕をもって使え」「その仕様はバグの源になる」はプログラマの論理です。バグのなさや性能は絶対の価値ではなく、「面白くなるならバグがあってもいい」という判断はありえます。そう口に出しはしないにしても、出荷寸前に大変更を求めるような人は、内心そう思っていることを行動で語っているのです。
今でもそうなのか?
さて、話が面白くなるように少し極端なお話をしましたが、さすがにこういう文化はかなり薄れてきた気がします。
ゲームがゲームであるというだけで新しかった時代には、ドット丸出しの絵でも楽しんでくれました。しかし今は違います。
車が出てくれば、車体に風景が写り込むことが求められますし、人がしゃべれば、唇の動きと言葉が一致していることが求められます。ゲームの内容とは関係ない、という言い訳は通用しません。
そしてそれぞれが専門知識を必要とし、もはや自力で全ての要素をまかなうのは不可能です。専門家に頼ることになります。
技術者なしでゲームを作れる環境が整って来たことを指して、「専門家にならなくてもいい」と思う人がいるようですが、それは甘い見方でしょう。確かに技術の専門家になる必要はありませんが、その分だけアイディアやセンスには高い物が求められます。
技術に関することを全てUnityなどの他者に頼るならば、技術以外のことでしか他の商品に差をつけられないからです。誰もが得意分野を持つことを求められており、逃れられるものではありません。
専門特化はうれしいか?
しかし、専門特化には負の側面がありました。
ブラックボックス化が技術を効果的に使うことを妨げます。分野へのこだわりが邪魔をします。専門が異なる人とのコミュニケーションは大変です。これらの問題との戦いは、たやすいものではありません。
また、専門家はその宿命として、あまり感謝されません。たとえば絵の技術を専門家に頼ることを考えてみましょう。
頼る理由はおそらく、「絵は売りじゃないが他に負けるのは困る」か、「絵は売りじゃないので手間をかけたくない」でしょう。「絵で勝負するから専門家に頼ろう」は、まずありません。
「売り」とは差別化要素であり、個性です。素晴らしい絵を出せる技術を金で買ったとしても、それは個性ではありません。同じものを買う製品が他にあれば、同じになります。個性は買えず、任せられないのです。
トイレが汚い観光地は避けられるので綺麗にすべきですが、トイレが綺麗という理由で客は来ません。
「私はゲームを作っている」と自信を持って言えるプログラマは、そう多くないように思います。
これからどうするか
では、我々はどうすれば幸せになれるのでしょうか?
まず、専門は持つべきです。もはや専門を持たない人間に金を払う余裕はありません。しかし、それしかできない人になるのは危険です。変化に弱くなり、コミュニケーションが難しくなります。
深さと広さは両立させるべきです。ある分野を深く学んだ経験を、他の分野を素早く学ぶために役立てましょう。新しい分野の事柄を、よく知った分野の概念に翻訳して学べれば、理解が早まります。
また、専門用語に頼らず日常語でも理解すべきです。「ポリモルフィズム?コンビニの店員みたいなもんだ。佐藤でも鈴木でもいいってことだろ?」という具合でしょうか。
こういった心掛けが、深さと広さを両立させ、コミュニケーションの問題を軽減してくれるでしょう。きっとそれが、製品の「売り」に関わる機会も増やしてくれるはずです。
さて、これまでゲームのお話をして参りました。そちらの業界はいかがでしょうか?