これまで―Cobalt Users Group、Eric Raymond、KOF
1998年のCobalt Users Groupの立ち上げ、1999年のEric Raymondの京都産業大学での講演、2002年から始まったKOF[1]の活動など、いわゆるオープンソース・ムーブメントの中のいくつかのできごとにコミュニティ側として関わる機会を得ました。
実際、僕にとってのオープンソースはコミュニティ活動とほぼイコールです。そして当時はそんな事は考えませんでしたが、今にして思えば不思議なことに僕はこうした活動にするすると実に自然に関わるようになりました。
UNIXとの出会い
どうやらそれ以前の経験として、DECUS[2]やJUS[3]といった歴史あるコンピュータ関連のコミュニティ活動や、mACademia[4]といった地域の活動に参加していたためのようです。つまりオープンソース関連のコミュニティ活動については「そうしたものの1つ」として捉えていたわけです。
このころのオープンソース活動の最大の牽引者であったLinuxにしても、それに先だって10年近くUNIXを使ってきたため、やはり「そうしたもの(UNIX)の1つ」として捉えていました。
1986年、はじめて触ったUNIXはOMRONのスーパーメイトで動くSystem V。ひどくシンプルで、今にして思えばこれこそUNIX、というものでした。翌年にぐっと本格的なSun3/60を使い始め、SunView, NeWS, Smalltalk-80, Junetなどなどに触れました。
このUNIXにしても1986年以前からMSP/F4(IBM系大型汎用機)、TOPS-20、VAX/VMSといったOSの経験があったため、僕にとってはそれらの1つ、といったものでした。その後、20年も使い続けたOSはないので、今となってはその意味で少し特別な感じはありますが。
まぁ、良し悪し両方あるのでしょうが、こうした連続性を感じられる環境が、僕自身を盲目にすることなく自然にするするとオープンソース系のコミュニティ活動に連れて行ってくれたのだと感じています。
これから―総体としてのオープンソース
いま、「オープンソースって何だ?」という問いは(「~をオープンソースで実現した」という話も)もうそろそろおしまいにしても良いころじゃないかな、と思ったりします。その定義や理解が浸透したから、という意味ではなく、むしろそろそろ特定の定義や事例には意味がなくなってきたかな、と思うからです。
僕の中では何というか「総体としてのオープンソース」という感覚が大きくなりつつあります。「インターネットって何だ?」という質問がほとんどもう意味をなさなくなってきているのに似ています。ググるとかmixiといった日常生活に普通に溶け込んでしまっている状態で、インターネットというものを切り出して捉えてもしょうがないのです。
つまり先に述べたようにコンピュータ世界全体のなかの「一部としてのオープンソース」に接してきた僕は、年々「総体としてのオープンソース」を感じているわけです。
Cobalt 2.0に向けて
2003年にSunからCobaltのソースコードを受け取ったとき、僕は強くそれがオープンソースであることを意識しました。2007年、BlueQuartzは世界のあちこちで使われ、ユーザを支えています。そしてCobaltのゴールである「サーバのアプライアンス」は、当初想定されたWeb/DNS/メールという機能ではそろそろ足りなくなっています。
ユーザが欲しているのはWebではなくblog、アルバム、Webメールといった階層に位置するサービスです。複雑なApacheの機能を簡単に設定できるものではなく、クリックするだけでblogを開設できるようなもの。Googleが少しずつ提供し、Appleが.MacやMac OS Xで実現しているこれらのサービスを簡単に実現する箱を僕らは欲しているんじゃないか?と思っています。
ある意味これはCobalt 2.0です。同じように見えて、実は異なる階層へのジャンプを僕らは欲しているのです。
つまるところ必要なのは創造力、そのジャンプの飛距離かな、と思っています。ある種のクリエイティビティが求められている、そんな一年になりそうな気がします。BlueQuartzも、オープンソース全体も。