2007年のOSS

豊かな幼稚園父兄ライフを目指して

⁠お父さん(私)は、お仕事は何されてるんですか?⁠⁠。娘の人を幼稚園に迎えにいくとたまに聞かれるのですが、これってかなり返答に気を遣わないといけないんですよね。いつもは「フリーランスのプログラマです」と一言で答えてしまうわけなんですが、ここにはいろんな罠が潜んでいます。

自由の代償

まず「フリーランス…」と発した瞬間、相手の表情がふっと曇るケースがあります。そのまま眉をひそめつつ「あ...就職はされないんですか?」と返さた瞬間、まさにその瞬間に間髪入れずフォローが必要です。⁠あ、フリーターじゃないですよ。フリーランス。いわゆる“個人商店”です」(実話⁠⁠。

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耳慣れない言葉に触れた瞬間、人は馴染みの言葉を文脈に当てはめて解釈しようと試みる、などと聞いたことがあるのですが、おそらく「フリーランス」「フリー」が脳に達したその瞬間、驚異的な速度で「フリー=フリーター」を自動補完して文脈を再構築してしまうのです。

そう、その瞬間私は「30すぎても定職に就かず昼間ブラブラしているお父さん」になっているわけです。この場合は対面しているので即座にフォローできるから良かったものの、もしも又聞きだったりしたら悲劇です。

次に「プログラマ⁠⁠。これは同じ業界・似た業界に属する人達になら、ほぼ通じる言葉なんですが、そういった業界といっさい関わりのない人にとっては想像を絶する(というか想像しようがない)言葉のようです。

私の場合、田舎のお爺ちゃんお婆ちゃんをはじめ、親類や古い友人には9割以上の確率で通じませんでした。さらに一口でプログラマといってもいろんな形態や業務内容の人がいるでしょうし、別の業界に目を向けると録音スタジオで音響設備を扱う人をプログラマと呼んだりする場合もあるみたいで実はややこしい。

こんな悩ましい現実を突きつけられ、ついひよって「IT業界で働いてます」とか大ざっぱな言い方をしてしまうことがありますが、これはこれで情報量がゼロに等しいんですよね。

オープンなのに内向き?

普段から私たちが慣れ親しんでいる「オープンソースソフトウェア」と呼ばれるモノと、それを取り巻く業界があるわけですが、これまた輪をかけてわかりにくい。

私がインターネット業界に籍を移した1997年ごろはエンジニア向けの転職情報雑誌を開くとWindows NT 4.0関連業務の話題が花開いていました。そもそも当時オープンソースという言葉はまだなく、フリーソフトウェアとして括られていました。筆者の職場でもBSD系OS、SunOS、IRIXなどのUNIX族OSを扱うエンジニア以外には「フリーソフトウェア? なにそれ喰えるの?」状態だったように思います。

それがLinuxブームを経てITバブルだ、LLだマッシュアップだ、2.0だ、といったざわめきを経て今に至っていますが、それでも今なお業界の中だけで盛り上がっている感が否めません。外側にその熱が伝導してないんですね。

以前、オンラインコミュニティの新陳代謝をネタにしたRTFM因果応報 - "マニュアル嫁"は何も産まないなんてことを書いたりしたわけですが、似たような話を“業界”という観点で考えだすとなかなかドキドキでイイカンジです。

プレゼンスの向上

私たちは専門性を突き詰めたり、それ自体を生きる糧としている要素が多々あるので、そこにわかり難さが付きまとうのは仕方のないことかもしれません。そんな中で、新しい人材の流量を維持・拡大したり、豊かな幼稚園父兄ライフを送ったりするためには、社会の中でのプレゼンス向上や、業界の外に対する説明努力が必要じゃないかということで、2007年の私の身近な課題の1つとしてみましょう。

とか何とか取引先でさっきの幼稚園の話をしていると、⁠それってむしろ小山さんのルックスの問題じゃないの?」とか何気に核心に迫る指摘があったりしますが、それは多分気のせい。

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