今回の対談相手は、シックス・アパート( 株) 勤務で、現在サンフランシスコ在住の宮川達彦さん。本誌でも連載や特集でこれまで何度もご執筆いただいていますが、渡米して数年、アメリカでの生活はどんな感じなのでしょうか?
左:宮川達彦氏、右:小飼弾氏(撮影:武田康宏)
経歴
弾: お久しぶりです。
宮川(以下、宮) : お久しぶりです、どうも。
弾: 最初に、あらためて簡単な経歴を。
宮: 東京大学の理学部情報科学科でコンピュータサイエンスの勉強をしていて、2年のときにオライリー・ジャパンでバイトを始めました。そのときはコンピュータというより事務系の仕事で、4年になったときにオン・ザ・エッヂ[1] でアルバイト。それが1999年。上場前で、弾さんが入る…。
弾: 前ですよね。そう、先輩なんですよ、オン・ザ・エッヂでは。
宮: 僕が2ヵ月くらい前に入って。それから5年くらいライブドアにいて、2005年からシックス・アパートの日本法人で2年間働いた後に、2006年の11月からサンフランシスコに転勤という形ですね。
シックス・アパートに入ったわけ
弾: シックス・アパートに入ったのはどんなきっかけなんですか?
宮: ライブドアについては、まあ僕が辞めた後にいろんなことがあったので、そのこと自体は関係ないんですけど…。
弾: そうそう。一応、ちゃんと釘さしておきますよ。僕らは関係ないんでそこのところよろしくお願いします(笑) 。
宮: 会社自体がだいぶ大きくなってきてたので、もうちょっといろんなことができてかつ外資系というのかな。日本だけにフォーカスしたプロダクトとか受注系の仕事はしばらくいいかなっていう感じがしたので。それでいろんな会社を、グーグルとかも含めてあたって。で、会社の規模とPerlをメインで使ってるっていうことと、シックス・アパートの創業者でCTOのBen[2] と個人的な交流もあったし。その辺が決め手ですね。
シックス・アパートでの仕事
弾: 今、シックス・アパートでの仕事はどんな感じなの?
宮: 基本的にはソフトウェアエンジニア。日本法人に入ったときは一応Vice Presidentっていう形だったんですけど、日本にいたときからほとんど1人で、USのプロジェクトにリモートで参加してという形だったんで、USに入ったときには自然とソフトエンジニアでいいよねっていう感じですね[3] 。
弾: 人のマネジメントはあんまりやってなかったという理解でいいのかな。
宮: そうですね。ライブドアにいたときはもうバリバリやってましたけど、シックス・アパートに入ってからはほとんどやってないです。
弾: すいません、バリバリやる羽目になったのは、僕のせいということもあるんですけども(笑) 。
宮: いえいえ。
弾: 宮川さんとあともう1人、山崎という、一度社長をやった人[4] もいるんですけど、この2人がいたおかげで、証券会社の人に(オン・ザ・エッヂのCTOを)辞めてもいいですよねえ…っつって。勝手に辞められないんです。上場しちゃうと。まあ、それは置いといて。
オン・ザ・エッヂ時代
編集部: お2人は一緒に仕事してたことも…?
宮: ありますね。
弾: もうほとんど面倒見てない。少なくとも宮川さんに関しては僕が最も面倒見の悪い上司というのか、放置してた上司だと思う。
宮: 僕、最初の一番でかい仕事は弾さんの尻ぬぐいでした(笑) 。
弾: そうそうそう。
宮: 弾さんがミーティングで「できるよ」って言って受けた仕事で、誰もそれやってなくて、で…(笑) 。
弾: そうそう、それは僕の責任だから。でも、何と言えばいいのかな、麗しき伝統…。伝統にしちゃったよ、おい(笑) 。
宮: それを3日ぐらいでやったっていうのでたぶん「なんかすげえな」って堀江さん[5] が目をつけたって感じ。それはまだバイトのときだったんですけど。
弾: 初めからできる子と一緒にいたら、これはもう、何もしないのが(自分にとっては)一番の仕事でしょう、って感じになった。( その節は)ありがとうございます。
宮: いえいえ。
日本のエンジニアのレベル
弾: 宮川さんはシックス・アパートというアメリカの会社でバリバリやってるわけですけども、日本のエンジニアのレベルってどんなもんだろう、アメリカと比較して。
宮: 日本のエンジニアのレベルは高いと思います。特に、僕はコミュニティという意味では東京しか見てないですけど、Shibuya.pmとかShibuya.jsで発表しているようなエンジニアは、シリコンバレー、サンフランシスコとかのスタートアップ企業でタレンテッドなエンジニアとして数えられる人と遜色はないと思いますよ。
弾: 連中をそういう企業に売る仕事をすれば楽してお金を作れる印象があるけども(笑) 、にもかかわらず、彼らが、こう言うのもなんだけど、日本に居続ける理由ってなんだろう。
宮: さっき話さなかったんですけど、シックス・アパートを選んだ理由の1つには、日本法人からアメリカに行けるっていうパスがあったからなんですね。ヤフーとかグーグルもあたりましたが、日本法人に入ったらエンジニアリングはローカライズとかの仕事がほとんどで、日本からUSに転籍するパスはほぼないっていう話だったんですよ。当時グーグルの日本オフィスが立ち上がったばかりだったんで今は状況が違うかもしれませんが。言い尽くされてることかもしれないけど、東京は人口密度も異常に高くて情報の密度も高い。コミュニティもある。で、日本語のサービスをたてれば1億何千万人にはとりあえず通じるという、そこで完結してしまっているっていうことが一番大きい理由なんじゃないですかね。自分もたまに東京に帰ってきて、やっぱりいろいろ便利だなあと思ったりするし、それ自体が悪いことだとは全然思わないですけど。特に技術系の部分で言うと、英語じゃないっていうだけで(海外とは)差ができたり。
弾: そう。存在してないことと同じことにされちゃったりするからね。
ベイエリアの給料
宮: あと、エンジニアの給料については、ベイエリア自体が税金とか物価が高かったりするから。
弾: 額面どおりにっていうのはなかなかないけどね。
宮: 評価という意味では日本とちょっと違うとは思うんで。
弾: やっぱり一番わかりやすいもんね。サラリーでなんぼというのが。オン・ザ・エッヂというのはそういった意味では日本でそれをやってるすごい稀有な会社だったという。
宮: やっぱり堀江さん自身がプログラマだったっていうのもあるし、そこらへんの…。
弾: そう、ちゃんとできる子にはお金ザクッと出してたからね。実はそっちのほうが安上がりだったりするんですけど。別の上場企業の話で、新卒をドカーンと取っといて「枝狩り」をかけちゃうという話しがあるけど、実はすごい効率悪いんですよ。少なくとも会社が小さいうちは一本釣りしてきたほうがね。
編集部: ベイエリアのほうが東京より給料は高いですか?
宮: 高いですね。いろんなサイトに載ってますけど、スタンフォードでコンピュータサイエンス専攻の大学院出て、シリコンバレーでソフトウェアエンジニア、なんていえば10万ドルは難しいかもしれないけどそれに近い数字はいきなりもらえますしね。ただその前提として、日本より所得税が全然高いし、ベイエリア、マウンテンビュー周辺は物価が異常に高くて、部屋もすごく高いんで、手取りで言うと、額面で見るほど差があるわけじゃないですね。
弾: 日本だと、1千万(円)プレーヤーっていうのが役員とか執行役員のレベルになっちゃうのね。それくらいでないと出したくても出せない。ましてや上場とかしてると株主さんから突っ込まれちゃう。ほんとはそのくらい出すべきだと思うし、いいエンジニアが一人いると何十人分ですもん。何十人分じゃ済まないな。
優れたエンジニアとは
弾: いつも聞いてることなんですけども、優れたエンジニアって何だろ? たとえば今の20代が(30代前半の)宮川さんの年になったときに、今の宮川さんくらいのスキルを身につけるにはどうしたらいいだろうかという。
宮: スキルというのが当てはまるかわからないですが、自分の場合、興味が一番大きかったと思います。僕が東京大学に入って一番よかったと思うのが、入学する時点ではまだ学科が決まってないんですね[6] 。最初の2年は一般教養で、いろんな授業をとってこれおもしろそうだなっていうのが選べる。で、僕の場合、ラッキーだったのが、1年のときにインターネットの波が来て授業でインターネットとかコンピュータサイエンスの授業を取って、なんかおもしろいなと思って、で、世の中で公開されているCGIスクリプトみたいなもののほとんどがPerlで、これとりあえずやってみるかなってオライリーの本買ったら、オライリーでバイトすることになってみたいな、そういう自然なつながりがあったんですけど。もうこれはコンピュータサイエンスの学科に行くしかないと思って調べたらぴったりの学科があって、そこに、点数順なんですけども、一番最低点で入って…(笑) 。
弾: あらま。
宮: ほんとに危うかった。でもまあ、それはすごいラッキーで、大学で学んだことも仕事の役に立ってるし、タイミングがよかったなと思いますけど。
Perlの寿命
弾: ところで、Perlの寿命ってあとどのくらいあるんだろう。
宮: すぐなくなるってことはないでしょうね。RubyとかPythonとか、あとPHPっていうのが主に比べる土壌としてはあるかもしれないけど、うーん、どうなのかなぁ、やっぱり一番Perlが好きではありますけど、Perlじゃなきゃ書けないってこともないので。
弾: 最近は特にそうだよね。Webアプリケーションとか、PHPでもやろうと思えばできる。やだけど(笑) 。
宮: 表現の違いみたいなものですよね、基本的に。あとはライブラリの使い勝手とか自分がどれだけ知ってるかとかそういう、要は東京弁、関西弁の違いじゃないですけど、使い慣れてると、ライブラリを調べたりする時間を短縮できるのは大きいけど、それ以外は、ダイナミックな言語に関していうと、ほとんどは方言の違いみたいなものっていうところがありますね。
Perlのコミュニティ
弾: あと、コミュニティかね。
宮: 僕はあんまりほかのコミュニティは知らないですけど、Perlに関してはまあ熱いですね。
弾: コミュニティが育つかっていうのが結構大きくて、日本ではPythonはその点ではすごい苦労してるなあと。
宮: Pythonを仕事で使ってる会社って結構あると思うんですけど、あんまりそういうのが表に出てきていない。Perlの場合だと、はてなとかmixi、シックス・アパートみたいに、小中規模の会社の人が集まっていろんなカンファレンスで話をしたりっていうのがありますね。Pythonはそういう話を、グーグルは別として、あまり聞かないなあと。あとPerlの場合でも、この間YAPC::Asiaがなぜ世界最大か、って話もありましたけど、東京にそういう土壌があるっていう場所的なものも大きいですよね。サンフランシスコにもPerl mongers[7] があるんですけども、僕がいつも行っても10人ぐらいしかいないんですよ。サンフランシスコの場合はほかにそういうスタートアップ系のmeetupみたいのがあって。そういうのって日本でやるとビットバレーっぽくなっちゃうんで(笑) 、あんまり勧められないんですけど。たとえばSouth by Southwest[8] っていうイベントが2ヵ月ぐらい前にテキサスであって、diggとかTwitterとかそういうのの創業者が集まって1週間くらい、いろんな話をしたり、夜はパーティしたり。それがメディアでもガンガン取り上げられて。別に日本でもやれといってるんじゃないですけど、何かそういうのをやろうとすると反抗勢力につぶされそうみたいな(笑) 。
弾: そうなんだよね。
海外に出ることについて
弾: 日本の若い人たちというのはどうなんでしょうね、留まるべきか出ていくべきか。
宮: すぐに出ろ、ということはないと思うんですけど、自分自身が海外に出る前と出た後だと、たぶんアメリカかどうかに関係なく、日本を外から見たり違う環境で生活するっていうこと自体はいい経験だと思いますし。
弾: どっかの時点で出てほしい。これものすごい皮肉な言い方なんですけど、今は僕は日本で妻子を得て、こういうりっぱな住まいも得てってやってるじゃないですか。でも、これって僕が日本にいなかった時期があったからこうできたんですよね。だから今日本でうまくやるためには、日本でずーっと育ってて…ってどこの世界でもほとんど無理じゃないですか。どっかで留学経験がいる、海外で仕事した経験がいる。その辺はちょっとみんな気づいてほしいですね。日本で幸せに暮らしたかったら、どっかのタイミングで日本から離れといたほうがいいぞっていうのは。
宮: エンジニアに関しては特に、英語はできたほうがいいと思いますけどね。コードが書ければ英語は二の次でもいいんですけど、できないで損するのはもったいない。別にみんな高校まで行けば大学受験とかで勉強するわけだから。大学受験英語が通じないってことはないんで、基本的に。全然ちょっと頑張ればできるだろうし。
弾: Audrey[9] みたいにIRCで英語を学んだというのもいるけれども。
宮: ぼくもほとんど、メーリングリストとIRCで瞬発的に書いたり読んだりするのを覚えて、あと、アメリカの会社で働いたりとか、ビデオキャストとかポッドキャストとか観るようになって英語を聞いたり話すのを徐々に覚えていったり。環境は揃ってるんで、あとはやるだけかなって感じですね。
本連載の書籍化『小飼弾のアルファギークに逢ってきた』と一緒にパチリ