SE稼業は忘己利他(もうこりた)─現場に転がる箴言集

第9回四分五裂のチームプレー

はじめに

チームプレーはうっとうしいだけだと思ってはいませんか。動物的な能力に劣っている人類が他の動物に勝利したのは集団として行動する能力に優れていたからでしょう。この能力は人間集団同士の競争においても、その勝敗を決する要因となっています。プロジェクトチームは集団行動の小さな単位そのものです。集団を維持する重要な要素は、相互義務の履行と相互扶助の実行の2つです。相互に果たすべき義務を果たし、相互の弱点を補完し合うということです。個人および組織が生き残り、更なる発展をするための原点がチームプレーにあります。

#57:困っている者同士はよく譲り合う

世の中は皮肉なことに貧乏な人がより貧乏な人に譲りを行う。金持ちが貧乏人に譲ることはあまりない。貧乏人は他の貧乏人の気持ちがよくわかるが、金持ちはもっとたくさんほしいと欲をかく。金持ちが貧乏人に譲る場合は、名誉の獲得が期待できるときか、その譲りを行わなければもっと多くのものを失う場合だけである。

いずれにしろ富や知恵は持てる者から持たざる者へと譲りを行わなければ、その社会や共同体は確実に衰弱し最後には滅びることを知っておくべきだろう。

飢饉に対する「対抗戦略」としての講は、村が存続するために不可欠だった。すでに論じたように、講という相互扶助組織の実践に埋め込まれた個人と個人の信用は、念仏を唱えるという初期の集まりでの個人同士の信仰の上に成り立っていた。神や菩薩は手を差し伸べてくれる寛大な存在かもしれないが、命を救うために行動しなくてはならないのは人間だった。人が神に感謝し、信奉するのは、神が他者を助けるために行動するよう導いてくれるからだ。大いなる恐怖にさらされながらも、講をとおして村人が主導権を握り、共同体の人びとを助け、村のだれをも死なせないという絶対的な道徳上の約束は、信用と契約の重要な土台となっていた。

テツオ・ナジタ、⁠相互扶助の経済』

#58:カビ同士でも助け合う

共同は皆に富をもたらす。一人で獲物を探すより、共同して漁をするほうが多くの獲物を獲得できる。ものの道理である。人が集団や組織を作って仕事をするのは皆が得するからだ。組織の中にいて助けも助けられもせずに孤立状態にいることは愚の骨頂である。何のためにその組織というものに所属しているのかよく考えてみる必要がある。

原始的生命体でも共同する

キイロタマホコリカビは百分の1ミリの大きさの粘菌だ。食べ物がなくなったとき10万匹以上が集まり集合体となり胞子を作り他の場所へ飛ばす。生き残る可能性のあるのは飛び出した胞子のみである。しかし集合体をつくれるのは同じ遺伝子のグループのみだ。人間は違う。人間だけが乗り越えた。

NHKスペシャル『ヒューマン』より

#59:捨てる神あれば拾う神あり

余裕がないと他人を助けられないか。他人を助けるか否かは、余裕よりもその気があるかどうかで決定する。その証拠に有能なリーダーは多忙な中でもよく人を助けている。年がら年中、何年にも渡ってまったく余裕のない人などそんなにいるわけでもない。また貧乏な人はより貧乏な人を助けようとする。その気のない人はたとえ余裕ができたとしても他人を助けようとはしないだろう。

倒れた仲間を救う

例えば、ラグビーにおいては各々のポジションの役割は明確に決められているが、いったん体制が崩れた場合には各メンバーはその役割を超えて臨機応変な対応が求められる。メンバーは自分の役割と組織を補い合う自律性が要求されると言われている。仲間が守るべきポジションが崩れた時には、巨漢のフォワードもバックスに参加し、体の小さいスクラムハーフも、相手の巨漢に果敢にタックルを仕掛ける。

SQUSE通信Vol80、チームプレイの魅力

#60:行動できないのは性格のせいではない

人間は感情の動物だと言われるとおり自然に湧き起こる感情を抑えることはできない。怖いことは怖いのであり、不安なことは不安である。恐怖や不安の感情を消し去ることはできない。しかしながら、たとえば目の前で人が倒れた場合、だれもが自然に手を差しのべることだろう。不安や恐怖の感情に流されてやるべきことをやらないのは人であっても人でない。やるべきことをやらなかった後に湧く感情は深い後悔であり、その苦さを味わうくらいなら行動したほうが余ほどましだろう。

自分の感情はどうあれ、人はやるべきことはやれるのである。やるべきか、やらざるべきか、その選択権は自分自身にある。

逆説的志向

不安を面と向かって見ることを、いやそれを面と向かってあざ笑うことを学ばねばならない。そのためには笑うことへの勇気が必要である。⁠あなたがこれらのことを自分に言い聞かせる時には、あなたはほほえむでしょうし、また勝利をつかむ見込みもあります。⁠⁠ ユーモアは神の属性として位している。

ヴィクトール・フランクル、精神科医、⁠フランクル著作集』

#61:この世の渡り方

「お願いします」「ありがとう」が言えればこの世は渡っていける。

対人関係に臆病なことを自分の性格のせいにしてはいけない。人と接する場合に大きな緊張を伴う人は基本的に誠実な人であると言える。人に接するに当たってことさらに積極的になどと自分に余計なプレッシャーをかけることは害を及ぼすだけだ。対人関係が苦手だと思っている人においては、まず「おはよう・お疲れさま・お願いします・ありがとう」の挨拶の励行から始め、仕事に必要なことは必ず伝えるし、相手にも聞くというビジネスライクな行動から始めるとよい。

他人との垣根を低くする方法
  • 相手の話に熱心に耳を傾ける
  • 相手の話に口をはさまない
  • 初対面の人の名前はすぐ覚えて、できるだけ使う
  • もし相手の言い分が間違っていても、そっけなくやりこめるのはよくない
  • 自分のほうが偉いといった態度を見せない
  • 自分の考えが間違っていれば、素直にあやまる

デール・カーネギー

#62:自律した人・組織

良い仕事は他者を尊重する自律した人間から、あるいは他の組織との連帯を尊重する自律した組織からしか生まれない。自律とは、何でも勝手にやれることを意味しない。他者、特に弱い立場の人々や組織とともに生きる姿勢が多くの人々の勇気とやる気を喚起する。

真に自律した人や組織は、目先のチマチマした効率性をはるかに凌駕する目覚しいパフォーマンスを実現する。膨張我欲を排し、自他両者の成功をめざし、関係者との連携を保ち、学習・研究に励み、自分の役割と責任をはっきりと自覚し、やるべきことを愚直に実行していく以外に現在の崩壊した組織を回復させる道はない。

啓蒙されたリーダー

日本軍は、設立当初はメンバー同士が自由闊達に議論する組織であった。ところが、時間の経過と共に制度が完備され、特に人事制度が明確になると、制度上、どうすれば昇進できるのかが明確になった。こうした状況で、昇進制度に忠実な他律的エリートたちが育成され、実権を握っていった。彼らは、前例主義を踏襲し、既定路線を走ることにのみ汲々とし、けっしてみずからの意志と責任の下に行動することはなかった。

こういう他律的エリートが統率する組織では、メンバーは容易に取引コストを計算し、合理的計算の下に全員一致で「空気」を読み取ることになる。そして、合理的に非効率的で不正な結論に導かれることになる。この意味で、海軍は、不条理に陥ったエリート集国の典型であった。取引コストにとらわれた人々の、他律的な意思決定に対し、一石を投じることのできる人物、それが、自律的な意志を実践する「啓蒙された人」である。このようなリーダーが帝国海軍に数人いれば、組織の不条理から救われたはずである。

菊澤研宗(慶應義塾大学商学部教授⁠⁠、⁠合理的に失敗する組織』

#63:連携プレー/コンビネーション・プレー

連携とは連絡提携のこと。コンビネーションとは結合、団結のこと。システムや組織がまともに機能するには、その構成要素や構成メンバー間の密接な連絡提携、結合、団結が必要である。雑な連携は雑なシステムを生み出す。コンビネーション・プレーについて佐々木監督は次のように語っている。

サッカーの10の力のうち、6は実際に選手が持っている力。コンビネーション(連携プレー)を密にすることで自分たちでやるサッカーが膨れあがる。だから、選手で話し合えと求めた。

佐々木則夫(なでしこジャパン監督)

おわりに

チームプレーを阻害する主な要因は次のとおりです。

  • 自己防衛的姿勢
  • 連帯・連携不足
  • 余裕のなさ

チームプレーの精神は「All for one,One for all」⁠みんなは一人のために、一人はみんなのために)の言葉によく表れていますチームプレーを阻害する最大の要因は、⁠過剰⁠な自己防衛にあります。自己防衛は人間の生存本能の基本ですが、問題なのはそれが⁠過剰⁠に発揮されることにあります。たった10分の時間も、少しのノウハウの伝承も惜しむような心根は⁠せこい⁠という言葉で表されます。⁠せこさ⁠が自分や組織を衰弱させることをあらためて認識する必要があるでしょう。二宮尊徳が言うように、自分が持っているものはもともと親や誰か他人がくれたものであり、自分の譲りの大きさに比例したものが自分に戻ってくるのだということに早く気づく必要があります。

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