ストーリーに参加できるゲーム
ゲームの世界では、遊び手となるプレイヤーにさまざまな体験を提供します。時には伝説の勇者になって世界を救ったり、格闘の達人になって悪の組織に立ち向かうなど、市販のゲームのほとんどには魅力的なストーリー(物語)が用意されています。
自分自身が主人公となってストーリーに参加し、時には展開が変わるというインタラクティブ性こそがゲームならではの特徴で、一本道である本や映画との違いでもあります。その中に、ストーリーの進行そのものをゲームとして扱う「アドベンチャーゲーム」というジャンルがあります。アドベンチャーゲームの標準的なスタイルは、文字や映像、音声などで直接ストーリーを鑑賞しながら、プレイヤーが先の展開に関わる選択を行うというものです。
ストーリーの展開がそのままゲームの展開になるわけで、単純なゆえに深く世界に入り込むことができ、多くの人から支持されてきました。
今回は、アドベンチャーゲームの歴史を振り返りながら、おもしろさのミナモトについて考えてみたいと思います。
冒険と謎解きの時代
アドベンチャーゲームの原点は、まだ研究機関などでしかコンピュータを使用できなかった時代に、PDP-10というミニコン向けソフトとして1975年頃に作られた「Colossal Cave Adventure」であると言われています。洞窟の中を冒険するゲームで、自分の置かれた状況が文字情報だけで説明され、それに対する自分の行動を文字で入力するというものでした。
たとえば、「あなたは、北と西に進める通路にいます。床の上に古びた箱が置かれています。」といった状況説明が出るわけです。そのあと、コンピュータの画面には「どうする?」という問いとともに、キーボード入力のための行が示されます。ここに主人公の行動として、「go north」(北へ進む)や「open box」(箱を開ける)のような簡単な英文(コマンド)を入力します。
この入力がポイントで、どのような単語が解釈されるか、行動が受け付けられるかは、実際に入力して[Enter]を押すまでわかりません。間違った行動を入力するとゲームが終わってしまうこともあるわけで、ゲームを作った人が出題する「なぞなぞ」や「クイズ」に近いものでした。
ただ、自分が何か行動するたびに周囲の状況が変化する過程はまさに冒険そのもので、プレイヤーはわずかな文字情報をたよりに状況を打破するためのコマンドを見つけ出すことが楽しかったのです。
画像を使ったゲームの登場
筆者が最初にアドベンチャーゲームを知ったのは、パソコンの草分け的存在であるApple IIという機種で動作する「MYSTERY HOUSE」(注1)というソフトからでした。これは、絵が入った最初期のアドベンチャーゲームと言われている作品です。
1980年代に入ると、絵が入ったアドベンチャーゲームがブームになり大量に制作されました。ただ、この時代でも冒険することが中心で、相変わらずキーボードからのコマンド入力で行動し、ヒントをもとにコマンドを探し出す謎解きのスタイルは変わっていませんでした。この謎解きは簡単に解けているうちは楽しいのですが、答えが見つからないと何もできなくなってしまいます。残念なことに、ネタが尽きたあとは複雑化と高難易度化という道が待っていました。その進化に多くのプレイヤーは疲れ、この「コマンド入力型」というジャンルは衰退していくことになります。
マルチメディアゲームの隆盛
その後、1980年代後半になって再びアドベンチャーゲームは息を吹き返します。当時最新の入力装置だったマウスを使った、「The Manhole」(注2)、「Myst」(注3)といったMacintosh用のソフトは、CDROMによる大量のデータが扱えるようになったという時代背景もあり、もはや謎解きではなく臨場感のある映像やサウンドによりストーリーを楽しむ「マルチメディアゲーム」という流れを作っていったのです。
日本で独自に進化したノベルゲーム
アドベンチャーゲームに関しては、日本は独自の進化をたどっています。MYSTERY HOUSEの要素を断片的に切り取った日本版の「ミステリーハウス」(注4)が発売されたことを契機として、国内でもアドベンチャーゲームは一気に浸透しました。
PC-6001やPC-8801、MSXといったホビー向けパソコンを中心に多くのソフトが制作され、コマンドもカタカナによる日本語が使えるようになっていました。最初は海外の作品を踏襲したテーマが多かったのですが、文化的な違いもあり、やがて独自のスタイルへと変わっていったのだと思います。
1つの方向性を示したのが、1984年に発売された「北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」(注5)です。後に「ドラゴンクエスト」を手がけることとなる堀井雄二氏によるシナリオは、コマンド選択方式というゲームシステムとともに国内のアドベンチャーゲームに大きな影響を与えました。
コマンド選択方式は、それまで自分で探さなければならなかったコマンドをあらかじめすべて提示することで、「答えがわからずにゲームが行き詰まる」というネックを解消しました。それと同時に、「時間の経過とともに話が進行する」という展開に変わりました。それまでは、主人公が移動することでストーリーが進行する「謎解き主導」でしたが、選択肢を選ぶことでストーリーが進行する「シナリオ主導」という流れを作ったゲームと言えるでしょう。これによりストーリーの自由度が大幅に広がりました。
それをさらに推し進めたのが「弟切草」(注6)です。画面に表示される文章を小説のような感覚で読みながら、映像と音声で盛り上げるという手法で、「サウンドノベル」というジャンルを打ち立てました。
ストーリー重視へ
もともと海外では冒険と謎解きという行動的なイメージがあったアドベンチャーゲームですが、日本ではじっくりとストーリーに触れて世界に没頭するという、ある意味内向きなジャンルへ変化していきました。ここには、より深く物語世界に入り込みたいというユーザの傾向があるのではないかと思います。今でもノベル形式のアドベンチャーゲームがアダルトゲームも含め主流になっていて、熱狂的なファンを多く生み出していることからも、物語の世界やキャラクターを直接ユーザに伝える手段として優れたものであることを示しています。
フラグという概念
その一方でゲームとしての側面は、忘れられがちです。弟切草では、ストーリーの要素と同時に、フラグというゲーム的な仕掛けが用意されていました。ストーリーの分岐点で提示される特定の選択肢を選ぶことでフラグが立ち(条件を満たす)、違った結末を迎えたり、新しいストーリーが増えたりといった変化が起こるというものです。これにより、ゲームを一度クリアしても、もう一度遊ぶことで違った展開が起こり、ストーリーにさらにどっぷりと浸かることができます。この手法は、「雫」(注7)などのアダルトゲームに受け継がれ、進化を続けることになります。話題性を持たせるため大作志向になり、より多くのキャラクターとシナリオの分岐、つまりフラグを増やすことで長く楽しめる作品が作られるようになっていきました。
1996年にアダルトゲームとして登場した「この世の果てで恋を唄う少女YUNO」(注8)は、並列世界(パラレルワールド)を渡り歩きながら分岐を繰り返すという設定で、フラグの複雑さは頂点を迎えたのではないかと思います。
それ以降は分岐やフラグが持つゲーム的な要素は減り、手軽にストーリーを追うゲームに回帰していきます。これは極端な例ですが、2002年から製作され大ヒットとなった同人ソフト「ひぐらしのなく頃に」(注9)はノベルゲームの形式は取っていますが、選択肢はほとんどなく、ストーリー要素のみといっても過言ではありません。かつてのコマンド入力と同様に、複雑に進化したシステムのあとはシンプルなものへと揺り戻しがあるのかもしれません。
おもしろさのミナモトは「感情移入」
アドベンチャーゲームのスタイルは、時代とともに変わっている部分もありますが、その根底にあるものは「プレイヤーが主人公となってストーリーを体験する」という単純なテーマであり、深く世界に没頭することが重要だと、筆者は考えています。そのためには、ストーリーの設定やシナリオももちろん大切なのですが、そこに融合するゲーム的な要素が入ることでより新しい体験が生み出せると思っています。
たとえば、筆者が直接関わっているわけではありませんが、同じ職場で開発された「銃声とダイヤモンド」(図1・注10)というアドベンチャーゲームでは、交渉人が犯人とリアルタイムに会話を行い、タイミングや選択が後に影響するという、独自の交渉システムなどいろいろな試みを行っていました。
ストーリーを活かすための新しいアイデアしだいで、まだまだ大きな可能性を秘めたジャンルだと思いますので、挑戦してみてはいかがでしょうか? それではまた次回まで。