連載の裏話を発表してきました
先日開催されたYAPC::Asia 2010 では、この連載の番外編として、筆者が執筆の際にどのような資料を見ているか、また、どのような基準でとりあげる話題を決めているかをお話しました。本当はもう少しいろいろな情報源を見ていただいて、サイトの外観や内容の変化から最近のPerl界のうつろいを感じていただければと思っていたのですが、昨年は同じ分量のスライドで半分近く時間を余してしまったからと思ってゆっくりめに話したら、さじ加減を間違えたようで、本当に紹介しようと思っていた部分はかなりすっ飛ばしてしまう結果となってしまいました。資料はいまだに整理が済んでいないのですが、内容を説明しそびれたページについてはまた何らかの形で紹介していかれればと思っています。
気になることの多いYAPCでもありました
さて、自分のスライドに日本語をつけそびれてしまったことをはじめ、個人的にも反省すべき点の多かった今年のYAPCなのですが、正直にいうと今回はそれ以外のところでもいろいろと気になることの多いYAPCでもありました。もちろん国内のイベントとして見れば申し分のない出来だったと思いますし、関係各位のご尽力には感謝もつきないのですが、このイベントも5回目を数えて新しい方も増えたせいか、あるいは筆者も多少なりと視野が広がったということなのか、YAPC当日はもとより、当日までの準備や、あるいは後日、みなさんの反応や感想を拝見しているときにも、「 あれ?」と首をかしげてしまうことがままありました。そして、この違和感はおそらく筆者だけが感じたものではなかったのでしょう。初回から3年間ホスト役をつとめてくださった竹迫良範氏が過去を振り返る記事 を物されたり、前回のShibuya.pmの会合でPerl 1から4までの時代を振り返ってくださった前田薫氏が台場圭一氏とともに昔のイベントにまつわる事情 をつぶやいてくださったり、あるいはYappoこと大沢和宏氏がYAPCの楽しみ方についての記事 を書いてくださったり――今年のYAPC::Asiaは「Welcome Perl」がテーマだったというのもあるのでしょうが、いずれもすばらしい内容だったキーノート以外にも、一歩立ち止まって足下を見直してみる機会がたくさん与えられたYAPCだったように思います。
そこで、筆者も今回は予定していたデータベースまわりの話を一回お休みして、YAPCとはそもそもどういう位置づけにあり、どういうものであることが期待されているのかを簡単にまとめてみます。もちろん何事にも例外はありますし、何でも海外のまねをすればよいというものでもないのですが、先日もNagoya.pmやKamakura.pmが正式に発足し、ほかの地域でもさらにいくつかPerl Mongersグループ設立の動きがあるようですから、今後どういう立場であれ同種のイベントに触れる機会は増えていくことでしょう。そのとき、多少なりともYAPCやほかのPerlのイベントを取り巻く事情を知っておくと、参考になることがあるかもしれません。
YAPCが生まれるまで
YAPCは(念のため、「 ヤ(ッ)プシー」と読みます) 、ご存じのとおりYet Another Perl Conferenceの略です[1] 。「 Yet Another(もうひとつ別の) 」という前置きからもわかるように、YAPCはもともとThe Perl Conference(しばしばTPCと略されます)に対するアンチテーゼとして誕生しました。
[1]
ちなみに「YAP」という頭字語はYoung American (ないしaffluent、aspiring、ambitiousなど) Professional「若いアメリカ人の(ないし裕福、意欲的、野心的な)専門職」といった意味でも使われる、というのも頭の片隅に入れておくとよいかもしれません。
TPCは、いまではすっかりOSCON(Open Source Convention) の一部となってしまいましたが、主催が米オライリー社で、会場はアメリカ西海岸、参加費も個人の財布から出すにはいささか高額(当時の相場で800ドル前後、現在は通常のセッションのみの参加で1400ドル前後、チュートリアル込みで2000ドルほど)という事情は昔から変わっていません。
日本でも1998年にオライリー・ジャパン社がThe Perl Conference Japan と題して同種のイベントを開催しましたが、そのときの参加費 が、2日間のワークショップに参加で4万円、チュートリアルが同じく6万円、双方に参加できるフリーパスが7万5000円でした。今年のYAPC::Asiaの参加費が2日で4000円、YAPC::NAでも100ドルですから相場感の違いはおわかりでしょう。
もっとも、これだけの高額イベントであるにもかかわらず、1997年に開催された最初のTPCには1047人もの参加者が集まりましたし、参加費が1.5倍ほどに高騰している近年のOSCONでも(もちろんPerl関係者だけではないにせよ)3000人近い参加者が集まっています。世界最大のYAPCをうたっている今年のYAPC::Asiaで500人強、YAPC::NAで400人弱ですから、その善し悪しはさておき、一般的な大企業のユーザにとってはむしろある程度高額なほうが経費で落としやすい、という構図さえ見えてきます。
とはいえ、参加費だけで万単位、交通費や滞在費まで含めればさらに出費がふくれあがるのですから、企業の支援を受けられない学生やフリーランサーにとって、TPC/OSCONはやっぱり敷居が高い。ちょっと友達に会ってくる、という感覚では参加できません。
そこで、おもにアメリカの東海岸側に住んでいるユーザが中心になって、手作りでもっと懐にやさしいイベントを開催しよう、ということで生まれたのがYAPC、「 もうひとつのPerl Conference」でした。1999年6月にピッツバーグで開催された最初のYAPCの参加費は、食事込みで60ドル。参加者は275名だったそうですが、YAPCの場合、この人数の少なさはむしろプラスに働いたようで、まったりとした雰囲気のなか、オンライン上でしか知らなかった相手の名前と顔を一致させたり、同郷の仲間を探してPerl Mongersグループを結成したりと、あたかも同窓会のような雰囲気をかもしだしていた様子がPerl.comの記事 に残っています(これがいかにアットホームな集まりだったかは、主催者ケヴィン・レンゾ氏のお母様から参加者全員にクッキーが振る舞われたという逸話からも感じていただけることでしょう) 。
YAPCの流行と発展
もっとも、広大なアメリカ大陸のこと、このYAPCでさえ移動や宿泊の問題と無縁ではありませんでしたし、実際には海外からの参加者も少なからずいました(先の記事にも今年のYAPC::Asiaで講演してくださったBooking.comのアビゲイル(Abigail)氏が参加していたことが書かれています) 。大西洋を横断しての参加ともなれば渡航費だけでも馬鹿になりません。そのため、YAPCはアメリカ西海岸で開催されるTPC/OSCON(や、それに類する大規模イベント)に対するアンチテーゼにとどまらず、アメリカで開催されているのとは別のPerl Conferenceという意味をも担って、2000年以降、世界各地で開催されるようになっていきます。
連載第34回 でも紹介したように、はじめてアメリカ国外で開催されたYAPCは、2000年9月にロンドンで開催されたYAPC::Europeでしたが、以降も(世界的にはまったく知られていませんが)2001年5月には日本でもYARPC 19101 と称してRubyとPerlの合同イベントが開かれましたし(参加費1000円、懇親会費4000円) 、2003年にはYAPC::IsraelとYAPC::Canadaが、2004年3月にはYAPC::Taipei が始まっています。このYAPC::Taipeiは翌2005年3月 にも開催され、日本からは宮川達彦氏がスピーカーとして参加したほか、小飼弾氏もスポンサーとして名前を連ねていました。2006年3月に東京で開催されたYAPC::Asiaの発端がこのYAPC::Taipeiの主催者たちによる「日本でやらないの?」という一言にあったというエピソード を懐かしく思い出す方も少なくないことでしょう。
台湾ではYAPC::Asiaの開催を日本に譲った2006年以降、YAPC::Taipeiの開催はとりやめ、かわりにOSDC(Open Source Developers' Conference) というイベントが開催されているのですが、このOSDCも、もとをたどれば2004年にオーストラリアのMelbourne.pmがYAPC::Australiaを開催するにあたって地元のPHPユーザグループなどを巻き込んだことから言語の垣根が取り払われることになったもの。開催される地域によって微妙に温度差はあるのですが、立ち位置としてはYAPCとOSCONのあいのこのようなイベントと考えておけばよいでしょう。
OSDCへの移行という点では、YAPC::Israelもおそらく台湾と同様の理由で2006年にOSDCへの切り替えが行われたのですが[2] 、こちらは1年限りに終わり、翌2007年にはPerl Workshopという形に移行しています。
[2]
日本ではほとんど意識されていないと思いますが、少なくともPerl Mongersグループ的には、イスラエルやカタールはもとより、トルコ、アルメニアのあたりまでは「アジア 」の一員です。だから、YAPC::「Asia」があるなら自分たちもそちらに合流したほうがよいのではないか、と考えるのはごく自然な成り行きなのです。
このPerl Workshopも、もともとはYAPCと同じくThe Perl Conferenceに刺激されたドイツ語圏のPerl使いたちがもっと気軽に自分の経験を話せる場がほしいと考えて用意した草の根カンファレンスのひとつで、実はYAPCよりも数ヶ月ほど歴史は長いのですが(だからこそYAPCは単なる「Another」ではなく「Yet Another」なわけです) 、YAPCに比べると参加者の数が限られていたこともあって、いまでは国際的な(というのはつまりたいていは英語が共通語となる)YAPCに対して、Workshopはより地域に密着した、国内(あるいは特定言語圏)向けの中規模イベントという立ち位置に落ち着いています。
最初のPerl Workshopは1999年2月に旧西ドイツの首都ボンに近いザンクト・アウグスティンで開催されたDeutscher Perl-Workshop(German Perl Workshop) で、このときは初回ということもあって議論を深めるため意図的に参加者を50名ほどに絞ったのですが(そのかわり参加費は会場となったドイツ国立情報処理研究所と独オライリー社の厚意で無料にできたそうです) 、翌2000年のWorkshopでは参加者も100名ほどに増えたことが記録 に残っています(それでも参加費はYAPCの3分の1でした) 。
Perl Workshopとしてはほかにも、2002年にブダペストで始まったHungarian Perl Workshopや、2003年にコペンハーゲンで北欧諸国の合同イベントとして始まったScandinavian Perl Workshop(これは次年度以降Nordic Perl Workshopに改名されています) 、そして2004年にはオランダ、オーストリア、フランス、イタリア、イギリスでもそれぞれ国内向けのWorkshopが開催されて、YAPCの開催担当に選ばれなかった国や地域のガス抜きのような役割を果たすようになりました。また、アメリカでも、2006年に同国最初のWorkshopがYAPC発祥地であるピッツバーグで開催されたのを皮切りに、フロリダ州オーランド(近くにはディズニーワールドがあることで知られています)や、アメリカ中北部のミネアポリスでもFrozen Perlと題したWorkshopが開催されています。
日本での知名度はいまひとつですが、YAPCが開催されているのは北米やヨーロッパだけではありません。南米では2005年のYAPC::Brasilを皮切りに、以降はYAPC::BrasilとYAPC::SA (South America)と題した2つのYAPCが開催されていますし、ロシア語圏に属する諸国の間でも2007/2008年以降YAPCと、多数のWorkshopが開催されるようになりました。いまのところアフリカと南極で開催されたYAPCはありませんが、アフリカにはすでにPerl Mongersグループが2つあるので、もしかするとそう遠くない未来にYAPCが開催されることになるかもしれませんし、世界第2位の人口を誇るインドでも、将来的にはYAPC::Indiaを開催したいという声 があがっています。中国や韓国もWorkshopクラスの実績はありますし、最近ではマレーシアでも(これはかなりOSCON寄りのイベントになっているようですが)OSDCが開催されるようになりました。YAPC::Asiaの候補地になりうるのは、東京や、過去に開催実績のある台湾、イスラエルだけではないのです。
国内だけで話を決めていいのかしら
アジアと呼ばれる地域の広さや多様さを思えば、そもそもそのすべてをひとつのYAPCでまかなうのが適切かどうかは大いに議論の余地はあります。また、言葉の壁を別にすれば、日本の首都圏が世界でも有数のYAPC好適地であることも間違いありません。だから、現実問題として、少なくとも極東地域におけるYAPCは来年も東京で、というのは無難な選択肢ですし、しかるべき手続きを踏めば、中近東を含むほかのアジア地域のグループからも特に異論は出ないだろう、とは思います[3] 。
[3]
YAPC::Europeが実質的には西ヨーロッパでしか開催されず、東欧についてはYAPC::Russiaに任せてしまったように、アジアの場合も東と西、あるいはさらに南まで考慮して2つないし3つに分割できれば話はもう少し簡単になるのでしょうが、それぞれの地域にいますぐ独立してYAPCを運営できるだけの地力があるかはまた別の話。前回、今回と、少なくともイスラエルからは来日してくださっている方がいるので、現状ママでもアジア全域をカバーするという名目は立っています。
ただし、これは運営側に立つ方だけでなく、参加者のみなさんにももう少し意識していただければと思うのですが、YAPC::AsiaはTokyo/Japanese Perl Workshopではありません。会場にしろ、会期にしろ、本当はJPAや日本の参加者が自分たちの都合だけで決めてよいものではないはずです。
北米やヨーロッパでYAPCが持ち回りになっているのは、もちろん開催地や参加者の負担軽減といった側面もありますが、それ以上に、なるべく多くの地域のPerl Mongersグループを活性化させる――交通費をかけてまでは参加したくないけれど、近所で開催してくれるなら参加したい、という層を取り込む――ため。
日本ではよくYAPC::Asiaは世界最大のYAPCである、という言い方がされていますが、これは単に日本の首都圏人口がほかの開催地の人口に比べて圧倒的に多い、というだけのことで(計算の仕方にもよりますが、およそ3500万人というのはダントツの世界一です) 、会場がどこに移ってもついていく、というコアな参加者の数で比べれば、YAPC::AsiaはおそらくまだまだYAPC::NAやYAPC::EUには及ばないでしょう。それでもこの5年で首都圏のPerlコミュニティはずいぶん成長できていますし、多くの人を取り込めました。YAPC::Asiaの存在がそれを加速したのは誰もが認めるところと思います。
「人が集まらない」というのは地方.pmに限らず万国共通の悩みですが、世界の都市圏人口上位10傑 のうち東京を含む8つまでがアジアに集中していることからもわかるように、のびしろの点では、アジアは、アメリカやヨーロッパ以上のポテンシャルがあります。5年もYAPCを独占してきた首都圏在住の我々は、ぼちぼちその果実を近隣の方々にも何らかの形でお裾分けすることを考え始めても罰は当たらないと思いますが、いかがなものでしょう。
イベントを開催するときは
YAPCの先駆者であるYAPC::NAやYAPC::EUの主催者たちは、あとに続く主催者たちのために、その名もYAPCというモジュールを用意して[4] 、大きなイベントを開催するときの心構えや注意点を説いたり、主催者(および過去の主催者)専用のメーリングリストを用意して、必要な手続きの説明や金品の支援などを行ったり、( 今年のYAPC::Asiaでは使われませんでしたが)Act というイベント運営を支援するサービスを開発・提供してきました。また、YAPCの収益は特定の開催地ではなくPerlコミュニティ全体の利益になるよう、各種プロジェクトの助成金に回したり(助成金を管理しているThe Perl FoundationはYAPCの運営母体として設立されたYet Another Societyの別名です) 、翌年の開催地に軍資金として提供する、といった工夫も続けられています。
これらの情報はyapc.org やyapceurope.org をはじめとする公式サイト群にまとまっているので、YAPCに限らず大きめのイベントを開催するならぜひ一度は目を通しておいていただければと思いますが、どちらにも共通して強調されているのは、「 YAPCは立場も考え方も異なるさまざまな人が集まり、学んでいく場であることを忘れないように」ということ。小さなところでは、食事や宴席を用意するなら体質や思想信条の理由で食べられないものがある人がいることをお忘れなくとか、可能な範囲でバリアフリーにしてあげましょうとか、地元以外から来る方のために宿泊施設の手配や交通機関の案内をしてあげるといいですねとか。差別を助長したり、疎外感を与えるようなことは避けましょう、という話もありました。現地の言葉を話せない人でも移動や滞在に問題がないか、というのもポイントのひとつになっています。
また、プログラマのイベントではネットワークや電源の重要性はどれだけ強調してもしたりませんし、宣伝・広報は、参加者を集めるという直接的な目的だけでなく、ほかのイベントに参加者やスピーカー、スタッフをとられないようにする、という意味でも重要、という話もあります。開催候補地の人に「今度はここで、こういう形でイベントをしたい」と宣言してもらって、賛同を得るというプロセスの長所も説かれていました。
YAPC::EU(と、いくつかのYAPC::NA)では終了後のアンケート結果を専用のサイト で公開しています。この結果は、運営者にとっての資料としてだけでなく、スピーカー(あるいはこれからスピーカーになりたい人)にとっても大いに役立つはずです。
もちろんこのすべてを主催者が考慮しなければならない、というわけではありません。主催者は本番が近づくにつれて仕事を減らすべきだ、というのはどんなイベントでもあてはまる注意のひとつですし、「 Delegate it!」こそが長続きのコツでもあります。
さて、情報は提供しました。これをどう咀嚼するかはみなさん次第です。