日中は残暑が厳しいものの、朝夕はずいぶん涼しくなって夜の時間も長くなってきました。「 灯火親しむころ」とばかり、久しぶりにじっくりと本を読もうとしてみても、最近はウェブ閲覧時のクセで、一冊の本に集中できる時間がずいぶん短くなってしまいました。本連載では技術文書に対しては速読や乱読を進めていますが、その一方でじっくりと一冊の本を熟読する機会も失いたくないものです。
さて、前回は大学院生時代に教わった、論文を手際よく読むためには結論から先に読んでおく、という方法を紹介しました。この読み方と共に当時の先生から教わったのが「知らない単語があっても辞書は引くな」 という考え方です。
「論文は結論から先に読む」 という方法を乱暴と感じたように、「 辞書は引くな」という考え方も、当初は「知らない単語の意味を調べずには英文を理解できない」と感じました。しかし、実際に辞書を引かずに単語の意味を推測しながら読むことに慣れてくると、その方が論文そのものに対する理解も深まるように感じました。
自分なりに、辞書を引く読み方と引かない読み方を比較したこともあります。手元に辞書を置き、わからない単語は辞書で確認して単語の下に意味をメモしながら読み進めてみると、それぞれの単語の意味は明確になるものの、辞書を引くことに意識がそがれて、文章全体の意味や著者の主張はむしろ曖昧になりやすく、知らない単語の意味を最後まで調べた上で、全体を再度読み直すことになりがちでした。
一方、辞書は引かずに、知らない単語もその意味を推測しながら読むようにしてみると、知らない単語の意味はぼやっとしているものの、その前後の主張を繰り返し吟味するためか、一度読み通すだけでほぼ内容が理解できるように感じました。辞書を引かずに章や節のまとまりを読み通した後で、キーワードになっていそうな知らない単語を改めて辞書で引いてみると、推測が正しくてうれしかったり、間違っていたため、なぜ間違ったのかと改めてその単語の前後を読み直して著者の意図をとらえなおしたりして、より理解が深まるように感じました。
このような経験から「知らない単語があっても辞書は(できるだけ)引かない」というのは英語文書を読む際のコツのひとつだと考えるようになりました。今回はこの方法について考えてみたいと思います。
知らない単語は読み飛ばす
前回、「 つまみ読み」という方法を解説した際にも触れましたが、たいていの技術文書は一語一句をくまなく読まなくても理解できるように書かれています。また、一つの文の中でも中心になる部分とそうでない部分があるので、著者の主張の中心部分とは異なるところに出てきた知らない単語は無視して読み飛ばしてしまうというのも一つの手です。
前回 紹介したGNU Emacsのドキュメント の最初に出てきた "the GNU incarnation of .." のincarnation という単語は、ここでの著者の主張(GNUEmacs の特徴の例示)とは直接関係がなさそうなので、「 GNU版の何か」程度くらいの認識で読み進めていくことが可能です。
ユーミンのアルバムや昔の映画のタイトルで「リーインカーネーション」(生まれ変わり、再生)というのがあり、その言葉を知っている人は "re-incarnation" から"incarnation"の意味(宗教的には「肉体化」とか「肉体の示現」といった意味ですが、ここではそれらを踏まえた「実装」とでも訳すのが適当でしょう)を推測することが可能になります。後で説明しますが、知らない単語でも、部分に分解して接尾辞や接頭辞、語根等から考えるとその意味の見当が付くことがよくあります。
文脈の中で意味を推測する
一方、この単語の意味がわからないと文全体の意味もわからない、といった場合もあります。これも前回紹介した Emacs の info ファイルからの例です。
"Customizable" means that you can alter Emacs commands' behavior in simple ways.
この文章の場合、"alter" というあまり見かけない単語が使われいて、どうやらこの語がこの文の中心的な部分を占めていそうなことを感じます。そのような場合は単語の意味を前後の文脈から推測していくことになります。
単語の意味を推測する場合、まず最初に考えないといけないのは、その単語が名詞なのか動詞なのか、あるいはそれ以外なのかということです。技術文書の場合、重要なのはたいてい名詞か動詞で、それ以外の形容詞や副詞などは読み飛ばしても致命的な問題になることは少ないでしょう。
また、たいていの英語の文章は「主語 + 述語 + 目的語」という構造をしているので、意味を知らない単語が主語にあたる場合は述語と目的語から何がそのようなことをするのか、目的語にあたる場合は主語と述語から何をしようとしているのか、述語がわからない場合は主語と目的語の関係からどのような動作や行為が考えられるか、それぞれ推測していくことになります。
上記の例文では、alterはcanという助動詞がかかっていることからも述語にあたる動詞であることがわかりますし、文章の全体から"Customizable"という言葉を説明する部分で使われていて、主語(you)も目的語(「Emacs のコマンドの動作は単純な方法で」) も分かるので、あとは主語と目的語の関係からalterは「変える」とか「設定する」といった意味を持つ単語だろう、ということが推測できるでしょう。
このあたりは方程式の数と変数の関係のようなもので、文を構成する「主語+述語+目的語」の3つの要素のうち、2つがわかれば残りの1つを推測することは比較的容易なのに対し、1つの要素しか分からない場合はその文だけから意味を推測することはかなり困難です。そのような場合は前後の文章の流れから何を言おうとしているかを考えることが必要になります。前回紹介した「つまみ読み」の場合では、最初の文だけではなく、2つめ、3つめの文も合わせて読んで何を言おうとしているのかを考えることが必要となります。
単語の語源から意味を推測する
ある単語の意味がわからない場合、その単語を分解して、語根 や接頭辞、接尾辞 といった要素から考えると意味がわかることがあります。たとえば、"Customizable" という単語自身の意味は知らなくても、この単語が "custom"+"-ize"+"-able" という組み合わせから構成されていることに気づけば、日本語でも使う「カスタム」 という言葉に関連した意味を持つ単語であろうことが推測できるでしょう。
英単語の接尾辞や接頭辞には一定のルールがあるので、それを覚えておけば意味を推測する際に便利です。上記の例の "-ize" は名詞や形容詞を動詞化する接尾辞、"-able" は「(何かを)可能にする」という意味の接尾辞なので、"custom" + "-ize" "-able" の組み合わせで「カスタム化できる」「 自分用に調整できる」といった意味になることが推測できます。
コンピュータ関連の技術文書でよく見る接頭辞や接尾辞としては、"-ity" で形容詞や副詞を名詞化(productiv-ity , availabil-ity 等)したり、"pre-" で「事前に」(pre- processor, pre- compile 等)を意味したり、"un-" で「否定」や「不可能」を意味する例un- necessarily, un- conditional)などがあります。
他にも、"ex-" や"out-" は「外(へ)」 、"re-" は「再び」を意味する接頭辞、"-ist" や "-er" は「(何々する)人」 、"-less" は「(何々)無しに」 、"-ology" は「(何々)学」という意味の接尾辞、等々、英語でよく使われる接尾辞や接頭辞を意識しておけば、見知らぬ単語の意味を推測する際に役に立つことでしょう。
ある程度の語彙力は必要
以上、できるだけ辞書を引かずに単語の意味を推測する方法について説明してきましたが、このような方法が成立するためには、その分野で使われる専門用語について、ある程度の語彙力(ボキャブラリ) が必要なことは事実です。たとえば「つまみ読み」で各パラグラフの先頭行のみを読み進める場合でも、各行に3~4個以上未知の単語がある ようでは、文脈や語形変化等を考慮に入れても、各行の意味を推測することは困難でしょう。そのような場合は、素直に辞書等を参照して、その分野の語彙力を高めるように努力しましょう。
筆者自身の経験ですが、SCO問題 についてあれこれ調べるためにgroklaw 等を読みだしたとき、当初は米国の法律分野の専門用語が全くわからず、何が書いてあるかを推測することさえ困難でした。理工系の技術文書ばかり読んできた人間にとっては、plaintiff (原告)、defendant (被告)、complaint (訴状)、sworn statement (宣誓付き陳述書)、subpoena (罰則付きの召喚状)等々、法律関係の専門用語は基本用語ですらまさに未知の領域で、先に説明した接頭辞や接尾辞から意味を推測することもままならず、ひたすら辞書を引いていたことを思い出します。
ただし、それぞれの分野で使われている専門用語というのはそれほど多いわけではなく、数週間から数ヵ月程度それらを調べれば、その後は今回述べたような文脈や語形変化から未知の単語でも意味が推測できるようになりました。
語彙力を高めるにはさまざまな方法があると思いますが、辞書を引く際、単に目的の英単語に対応する日本語を調べるだけではなく、その単語についてどのような解説がなされているか を読むことも、ずいぶん役に立ちます。
これも大学院生当時の経験ですが、「辞書は引くものではなく読むものだ」 と言われたことがありました。当時は「引く」と「読む」の違いを理解できなかったのですが、今から考えると、ある英単語に対応する日本語の単語を一対一で取り出す (「引く」)だけではなく、その単語の意味する内容が日本語ではどのような範囲に及ぶかを考えたり、語源や語形変化を解説している部分を「読む」 方が、その単語についての理解が深まり応用が効くようになります。また、辞書を選ぶ際も、単に収録語数の多さで選ぶのではなく、そのような周辺情報が載っているかどうか を基準にするのも語彙力を高めるためには有効でしょう。
また、一度引いた単語はテキストファイル等に記録して、自分なりの辞書を作ってみる のも語彙力を高めるためには有効でしょう。いずれにせよ、辞書を引くという行為はかなりコストが高いので、その結果は有益に利用したいものです。