だれもが知る『徒然草』、じつはライフハック、マネジメント、生き方まであらゆる成功法則が詰まった“最強のビジネス書”だった!?
―― そんなコンセプトをもとに、23万部突破「問題地図」シリーズの生みの親・沢渡あまねさんと、ベストセラー多数の人気国語講師・吉田裕子さんが書き下ろした『仕事は「徒然草」でうまくいく~【超訳】時を超える兼好さんの教え』。
本書に収録できなかった著者対談のフルバージョンを特別に全文公開します。
古典のよさは年を経てはじめてわかる
沢渡:『徒然草』に最初に出会ったのは、中学校の国語の授業です。中学2年だったかな。「テストに出ます」と言われて、序文を暗唱させられて、「なんでこんなの覚えないといけないの?」なんて義務感で読みました。高校に受かるために、仕方がないと(笑)。
でも、それがきっかけで、自分の心に残っていたようですね。高校生の時、図書室でなんとなく『徒然草』が目に留まり、手にとってみたのです。「ああ、受験で覚えさせられたアレか」くらいな気持ちで。で、ページをめくっていたら、読み物としてのおもしろさを感じた。「難しいけれど、役立ちそうなことが書いてあるな」と思ったのを覚えています。そこからですかね。大学生の時、社会人になってからも、時間ができた時に、『堤中納言物語』や『方丈記』など、たびたび古典を読むようになったのです。
吉田:私も同じように、中学の国語で『徒然草』に出会いました。今では大好き段のひとつである仁和寺の段。でも、その時は「ちょっと説教くさいな」と。強いていえば、「吉田兼好」さんなので、「吉田」つながりというところで親近感があったぐらいで(笑)(※)。
そこから印象が変わるきっかけになったのは、高校でお世話になった古典の先生です。「花は盛りに」という段(一三七段)を習いました。これは「桜は満開だけの時に楽しむものだろうか、いや違うよね」というような段で、桜や月の話から、恋愛の話に発展していくんです。僧侶なのに恋愛を熱く語ること自体おもしろいんですが、その説もおもしろい。「恋愛は両想いの時より、片想いの苦しみや、終わってしまって後悔するようなところこそが醍醐味だ」と。古典の先生が「ここ、ここがいいんだよ! 君たちは子供だからまだわからないかもしれないけど」とやたらと押してきたんです。
当時の私は高校生ですし、普通に「付き合うことこそ楽しい!」と思っているわけで、「そういうものなのか?」と。全然ピンと来なかったのですが、それでも何かひっかかるものがありました。実際、25、6歳の時読み返して、「たしかに~!」と(笑)。
さまざまな人を虜にする徒然草の懐の深さ
吉田:おもしろいのは、『徒然草』に興味をもつ方は、ほかの古典作品に興味をもつ方より、幅が広いことですね。私は塾で高校生に教えつつ、一般の方向けの古典講座も担当しているのですが、たとえば『源氏物語』だと「古典の雅の世界が好きなんです」という文学愛好者が中心なのですが、『徒然草』の場合は「今の自分に活きる何かを知りたい」という感じで、男性の割合も増えますし、シニアだけでなくビジネスマンの方もいらしていただける。講座の後に感想を書いていただくのですが、そこでも自分の経験に照らし合わせたコメントをくださることが多いです。
沢渡:中国古典の『三国志』とか『論語』なんかと近いかもしれませんが、日本の古典で同じような感覚のものは少ないかもしれませんね。
吉田:幕末の志士も読んでいるとか、読者の幅が広いですね。坂本龍馬も、家族にあてた手紙に「一流の人は人を見抜く目がある」という話を引用しているんです。みな、兼好を“人生の達人”と見て参考にしていて。その達人ぶりが多岐にわたるからおもしろいんですね。仕事上ですぐに使えるノウハウが書いてある一方で、「丁寧な暮らし」のためのヒントもあり、仏教的な価値観に基づいて「目の前のことであくせくしないようにしよう」などと価値観を変えるような話もあったり。
沢渡:幅広いですよね。ライフハックとか、マネジメントとか。学校で覚えさせられているぶん、序章などのなじみのあるところから入るだけでも、小難しいビジネス書を読むより、役立つ知識を学ぶハードルが低いかもしれません。
吉田:じつは、私は大学の時にいわゆる「意識高い系」で、学生起業コンテストなどにも出ていたんです。当時はビジネス書マニアで、ベストセラーになっているようなビジネス本・自己啓発本をいっぱい読んでました。その後で『徒然草』と出会い直したら、「あれ、すでに700年前に兼好がいいこと言ってるじゃん!」と。兼好は普遍的な人間の真理を多く語っています。
徒然草はブログやツイッターの元祖?
沢渡:私が徒然草が好きなポイントは、2つあります。1つは、いい意味で“ゆるい”こと。“ゆるい”というのは、吉田さんもおっしゃっていたように、恋愛の話をするとか、聖人すぎないところです。
私は、徒然草はブログやツイッターの元祖だと思ってるんです。ライフハック的なコメントがあったかと思えば、マネジメントの真理を突いた深い洞察、いまだとドラッカーに通じるような話もあったり。そうかと思えば、「友達にするなら医者がいいよね」とか、俗っぽい、人間くさいことも呟いていたり。そこが、ひとびとに好まれ、語り継がれてきた背景ではないかと。後に、兼好氏のコメントを本居宣長氏がリツイートしたりしていますからね(笑)。
吉田:ツイッターも、兼好同様、つれづれなるままに書いてる自由な人がおもしろいですよね。
沢渡:どうでもいいツイートが一番リツイートされますからね(笑)。
吉田:作品の一貫性は、同じ古典随筆でも『方丈記』のほうがあるんです。最初にこの世の無常を語り、あてはまる例を挙げて、「こんな無常な世の中だから、小さな家に住むのがいい」と進む。「でも、考えてみれば、小さな家を愛するのも煩悩だ」「煩悩が残っている自分はダメだ」「だから説教する資格なし」「ただ南無阿弥陀仏と唱えよう」と、話がちゃんとつながっている。
一方で、『徒然草』はそんなことないんですよね。段ごとに話題がバラバラで、時に矛盾している。今だと「前はこう言ってたのに、話が違うじゃないか」とネットで晒し上げられそう(笑)。
沢渡:その人間くささがたまらなく好きなんです。織田信長のようなカリスマ的、あるいは統制的な方法もありますが、上下関係を設けない経営スタイル、管理をなくす経営スタイルも最近では成功事例として注目されています。そのような新しいマネジメントスタイルや、かしこまらない生き方などの先駆けなのではないかと。
吉田:「余白がある」のがいいと思うんですよね。解釈ができる。緻密に語るために議論を体系化していると、逆に読者が自分に合わないと感じる部分が増えてしまったり。
新しい生き方は兼好さんに学んだ
沢渡:もう1つ、私にとっての『徒然草』のポイントは、作者の兼好さんが私の人生のロールモデルになっていることです。兼好さんは30歳前後で出家していますが、私も30代でサラリーマンを辞めてフリーランスになり、いまではベンチャー企業の取締役も兼任しています。兼好さんは山奥で物書きなどをしつつも、いわゆるビジネスの世界ともかかわりを持っていた。南北朝時代、対立関係にあった南朝と北朝それぞれの要人が、アドバイスを求めて兼好さんを訪ねていたといいます。
私もいま物書きをしつつ、企業の管理職などの方に組織改革や働き方や業務改善の支援やアドバイスをしている。気がつけば、ライフスタイルが似通っているなと思うのです。あるいは、無意識のうちに、兼好さんの生き方に憧れてそうなっていったのかもしれません。
吉田:そもそも、兼好さんって何のために出家したかわからないんですよね。『方丈記』の鴨長明は、「自分が願っていた神職が得らなかった」という明確な挫折が原因で出家しているわけですが。
沢渡:兼好さんは官職で出世していたのに、突然出家してしまった。それでいて、その後もご意見番として活躍していた。素敵ですよね。
吉田:「大企業はダメだ」「社畜的な働き方はやっていられない」と大企業を離れて独立する人もいますが、一方で「気づけばフリーランスになっていた」という感じの人もいますよね。しなやかな感じ。会社にいる時から、副業でいろんなコミュニティに出入りしているような。兼好さんも、そんな複業人、しなやかなフリーランスですね。
「文化のハブ」「世の中の違う見方を示す存在」としての兼好さん
吉田:私も、『徒然草』の魅力を二本柱で感じています。
1つめは、兼好さんが「文化のハブ」になっていること。兼好さんは、『源氏物語』も『枕草子』も好きで、さらに中国の古典にも目を通している。いろんなものを吸収している。それが、『徒然草』のはしばしに出ています。「ああ、ここは『枕草子』に影響を受けただろうな」という段がある。
そうしていろいろな文化から吸収したものを1つの作品として結晶化したのが『徒然草』。そして、その『徒然草』から、新しい文化が広がっている。そういう「文化のハブ」なんです。「つれづれなるままに書く」というフォーマット自体も、後世に残された遺産の1つ。
私も「ハブ」になりたいので、兼好さんがロールモデルです。私が学んだ古典を、講座でみなさんにお伝えする。そしたら、それを機に国文学の研究を志す高校生がいたり、句作に活かすという方がいたり。「人間の幅が広がるのかなと思って」と役者さんが講座にいらっしゃったこともあります。そういう現象を目のあたりにすると、自分も文化のハブとして、だれかのクリエイティビティに貢献できているのかなと思ったりします。兼好さんにはまだ及びませんが……。
沢渡:「文化のハブ」っていいですね。その意味で、徒然草ってさまざまな人のハブになりやすいコミュニケーションプラットフォームなのかもしれません。『徒然草 as an Infrastructure』みたいな!?(笑)
吉田:もう1つの『徒然草』の魅力は、世の中をどう捉えるかについて、示唆を与えてくれるところですね。ニーチェが「事実など存在しない。解釈があるだけだ」と言っているんですけど、解釈の重要性を見せてくれるのが『徒然草』だなと。なにかあった時に、どう捉えるか。
八十六段で、三井寺の法師の話があります。三井寺は園城寺ともいう、高名なお寺。三井寺の法師は、特別に「寺法師」と呼ばれていました。ブランドだったんです。お寺が火事で燃え落ちます。寺法師たちはとても傷つきます。それに対して、ある貴族が「寺がなくなったから、今日からきみたち寺法師は『法師』だ」というのです。
これを言われた寺法師たちは、「あ、そうだ。自分は寺法師である前に、仏道の法師であった」と思い出したのではないでしょうか。「法師であることは何も変わっていないじゃないか」と。
兼好は「こういうふうに捉えることもできるね」という解釈を柔軟に示してくれるんです。あー、この話、山一證券がつぶれてしまったあとの社員さんに読ませてあげたかったですね。「会社がつぶれてしまってショックなのはわかる、でもあなたたちは金融のスペシャリストとして、価値は変わらないよ」と。
沢渡:いままさに「企業で終身雇用が継続できるかどうか」が話題になっていますが、その人が何者かを名づけしてあげると、何の専門家なのか説明しやすく/されやすくなり、変化の中でも強く生きられるようになりますね。
700年受け継がれてきた情熱をぜひ見てほしい
沢渡:『徒然草』のいいところって、そんなに難しくなくて、気軽に読めることだと思うんですよね。「古典はハードルが高そう……」という人でも、肩の力を抜いてまずは読んでほしいです。対訳で読んでもいいわけですし。
私はIT業界が長いですが、ITシステム開発のプロジェクトや運用の現場って、結局人間のドロドロした闇の部分が見えるのです。「要件伝えたよね?」「お金払っているんだから、このくらいやってよ!」「そのような認識はないです」とか。プロジェクトが火を吹けば吹くほど、みなどんどんワガママになる。いわば、人間の汚い部分が見えてくる。その意味で、キレイごとや正論じみた説教を並べ立てるのではなく、昔から続く人間くささとその向き合い方を教えてくれる『徒然草』は、まちがいなく仕事に役に立ちます。
吉田:沢渡さんが「『徒然草』はツイッターの元祖」とおっしゃっていましたが、その文脈でいうと、古典はものすごくリツイートされてきたツイートなんですよね。700年リツイートされてきた。しかも、ツイッターだとワンプッシュでリツイートできますが、当時はほかの人に拡散しようと思ったら、写本を作らなくてはいけない。まるまる文章を書き写さないと、コピーできない。リツイートに3日もかかる(笑)。逆にいうと、それだけの熱意をもって残し、広めてきたわけです。そんな「広げていきたい」という熱意によって700年語り継がれてきたものには、やっぱり信頼性があると思うんですよね。
「古典だから」というと権威を押し付けているかのようで、その理由だけでは『徒然草』を推したくないんです。でも、「700年リツイートされてきた情熱には触れてみて」と。そういえば、『曾根崎心中』などを書いた江戸時代の近松門左衛門も、若いころは徒然草を教える講師でしたね。
沢渡:いまでいう「エヴァンジェリスト」ってやつですね。
吉田:きっと、江戸時代の上方ならではのやり方で『徒然草』を教えていたんでしょうね。
沢渡:その意味で、私は「抹茶ソフトクリーム」に真理があると思ってるんです。抹茶って、古典ですよね。まさに昔から続いている伝統。そこにソフトクリームというアレンジを加えたことで、小さな子どもや外国人観光客も口にするようになった。抹茶ソフトクリームを入口に、やがて抹茶そのものに興味を持つ人も少なくない。私にはスウェーデン人の友達がいますが、まさに日本に出張した時に体験したソフトクリームから抹茶に入って、いまでは抹茶セットをそろえて自宅に野点のコーナーを作ってしまった! 抹茶ソフトクリームがなければ、彼は抹茶に興味を持つことすらなかったでしょう。
「抹茶ソフトクリーム」のようなアレンジができるかが、古典にとって、いや古典だけではなくあらゆる難しいマネジメントフレームワークや、技術にとっても大事だと思うんです。今回、我々も「いまを生きるビジネスパーソン向けに読みやすいように」という思いで試行錯誤しましたが、その時代時代の人に寄り添って読みやすくアレンジするのは、大事な文化継承活動なのではないかと。
「答え」も「問い」もたくさん書いてあるのが徒然草の魅力
沢渡:私が徒然草で好きなのは、五十二段ですね。仁和寺の法師。「慢心せずに、その道の専門家に学ばないとね」と。
ちょうどこの作品を書いている時に、似たような体験をしたのです。私はメインクライアントが静岡の遠州地域にあり、頻繁に東京の自宅と行き来しています。クルマで出張しているため、時間があるとたびたび寄り道をするのですが、袋井市の油山寺もそのひとつ。
ある時、クライアントさんに「今日は油山寺に寄ってきました」と話をしたら、「ああ、あの三重の塔は見事だよね」と返ってきた。私はポカンとなったのです。三重の塔など見たことがない。もう5年間も通っていて見たことがないのだから、まちがいない。きっと、クライアントさんはほかのお寺と勘違いしているのではないかと思いました。ところが、最近になって、再び油山寺を訪れた時、ふとお堂の横に獣道みたいな小径(こみち)があることに気づいたのですね。で、なんとなく奥に行ってみたら、なんとそこに三重の塔があるではないですか! 5年も通っていて気づかなかった。やはり、地元のわかっている人にきちんと話を聞かないとダメだと実感しました。一番有名にして世の中の本質を突いているのが、この五十二段ではないかと思います。
吉田:私は九十七段。「あるものにとりついて、そのものをダメにしてしまうもの」の話です。たとえば、体にしらみ、家にねずみ。これだけなら単に「あるあるネタ」なのですが、この後「君子に、仁義あり」、最後に「僧に、法あり」と続くんです。仁義は道徳ですし、法は僧侶の戒律。どちらも大事でいいものです。なんで、仁義や法があるとダメになってしまうんだろう、と不思議な感じがします。
でも、たしかに考えてみると、立派な人格者には、自分がいいと思う道にこだわるあまり、バランスがとれなくなる例もあるな、と。
たとえば、ある会社の創業者が、自分がガムシャラに働いてきて、会社を大きくしたとする。すると、「猛烈に働くことこそすばらしい」と信じ、社員にも「ガムシャラに働こう」と言うわけです。よかれと思ってね。でも、社員からすれば、「ブラックだ」ということになる(苦笑)。こうしてよく考えてみると、九十七段から、「道徳や戒律にとらわれすぎるとダメになる」という深い教訓を得られます。
現代の広告コピーで、「成績を上げたいなら塾に行ってはいけない」などと、意外性で惹きつけるものがありますよね。兼好さんには、そういうコピーライター的な面があります。あえて、極端な言い方や、一読では呑み込めない言い方をしている段が多くて。どこかひっかかる。私たちに考えさせる。徒然草は、「答え」もたくさん書いてあるのですが、「問い」もたくさん書いてある本だと思うんです。
沢渡:お寺に掲げてある、お言葉(訓示)も問いですよね。
吉田:あと、お気に入りは三十九段。法然さんのエピソードですが、「念仏をちゃんと唱えないといけないのに、眠くなる。どうしたら?」という悩みに、「だったら、起きている間に念仏を唱えればいいんだよ」と。
沢渡:とんちみたいな(笑)。
吉田:「がんばりたいんですが、どうもやる気が出ない。どうしたら?」という時に「やる気のある時だけやればいいんだよ」と言われるということですからね。脱力系。許される感じでね、癒されます。
「自分を映す鏡」「モヤモヤ解消のヒント」として末永く
沢渡:最後に、この本の楽しみ方について少しご提案できればと。
吉田:『徒然草』って、多面体なんですよね。いろんなことを言っている。気に入るところも、気に入らないところもある。しかも、それが読むたびに違うんですよね。昔ピンとこなかったところでも、読む直したら「あれ、おもしろいじゃないか」となったり。いわば“自分の鏡”として、今の興味を受けとめてくれるところがあると思うんです。だから、節目節目のいろいろなタイミングで徒然草を読んでもらえるといいのかなと思います。
沢渡:年齢によっても、響く段が違ってきますしね。この本を片手に、もう1回読み直してみるのもいいと思います。
吉田:はじめての方は、最初から読んで、付箋を貼っていく感じで「自分のお気に入りはどこかな?」と読んでもらえればいいんじゃないかと思います。段によって話題が全然違うので、ピンとこなければ軽く流して、ピンときたら原文まで音読してみるとか、重みづけの差をつけていくほうが、挫折せずに読めると思います。
2回目以降に読む時は、前に付箋を貼ったお気に入りの段だけ読むと効率がいいです。でも、時間があれば、あえて付箋を貼っていない段だけ読んで、今の自分にフィットする段を探すのもおもしろいです。
沢渡:『徒然草』に出てくる場所の「聖地巡り」をしてみるのもおもしろいかもしれませんね。仁和寺、石清水八幡宮、あだしの念仏寺、来栖野……など。私、ツアーを企画しようかしら(笑)。
吉田:今回の本の「あるある」な例のところを、自分バージョンで書いてみるのもいいかもしれません。「自分の会社に置き換えるとこういう感じ」と。
沢渡:世の中の不安や不満の大半は「モヤモヤ」なんですよね。『徒然草』の各段に、「ここまで悩まなくていいんだ」というヒントがあるので、それを道しるべに、モヤモヤを言語化していくと、楽しく読めるし、みなさんの生活も豊かになると思います。