新春特別企画

2010年のインターネットと政治

政権交代、その後

2009年の昨年、日本はついに政権交代を果たし、長年の自民党主導政権にピリオドが打たれました。

しかしながら、首相や与党幹事長の献金問題で、国民の間では、政権が変わっても政治家の本質はやはり変わらないという失望感も露呈しています。Twitterの発言の中でも、⁠12億円も献金されていて気づいていない人に寄付しても意味がない」というテレビアナウンサーのコメントが引用され、それがRT(再つぶやき)されることによって、Twitter上での世論が形成されつつあります。またもや、政治とカネいう古い構造に、新政権も翻弄されてしまうのでしょうか?

課題が残る選挙の仕組み

なぜ?いつの時代もカネの話が、政治の世界でこれほどまでに蔓延するのでしょう?

その答えは単純です。⁠選挙の仕組み」そのものに問題があるからです。

政治家という職業は、常に選ばれ続けなければ継続できない職業です。どれだけ、世襲と言われても選挙で勝たなければなれない職業でもあります。才能や能力、努力よりも、常に人脈や人気、パフォーマンスがモノをいう業界です。そして「選ばれる」ために政治家のカネは費やされているといっても過言ではありません。

つまり、自分の名を書いて投票箱に入れてもらうために、膨大な物量の「認知コスト」がかかっていることこそが一番の問題です。そしてそれが、結果として、政治家をカネのかかる仕事にし、カネがないと政治家を維持できないという歪な構造を生んでいます。

現状の選挙活動を見てみると…

小選挙区であれば、地元の人が最も重要となり、お祭り行事から運動会。地元で人の集まるところへ、必ず顔を出し、笑顔で握手し走りまわります。さらに結婚式や葬式にいたるまで、手ぶらでいくわけに行かないから動いた分だけ交際費がかかるのです。

その代わり、領収証のもらえない使途不明金を、うまく利用するという姑息な錬金術も生まれてきます。すべては、平等、公正のもとに作られた法律が、カネのかかる政治を生み出してしまったのです。

鍵を握るのは「インターネット選挙運動の解禁」

そして、それを是正できる1つの施策が、⁠インターネット選挙運動の解禁」であるとボクは思っています。

現在の選挙にかかるコスト(国民の税金だ!)を、少なくとも半額。選挙システムそのものをシフトすると1/5程度に削減できる可能性を秘めているのです。そして、今、インターネットを選挙に活用しないことによってのデメリットと利権の姿が可視化されつつあります。

現状のコストをどう捉えるか

選挙に、平等、公正、を課すために、各自治体の選挙管理委員会が行う国政選挙費用は、参議院選挙で570億円。衆議院選挙でなんと800億円の費用が毎回かけられています。

新聞の選挙区候補者広告、テレビ・ラジオ政見放送、ハガキ15万枚、ビラ25万枚、ポスター7万枚(参議院全国区の場合⁠⁠、そして選挙宣伝カー、電話、という規程されたメディアを駆使して、1候補者あたり印刷費用だけでも最低2,000万円かけて戦います。しかも供託没収ライン(有効投票の1割以上衆議院の場合、参議院は有効票÷定数の1/8)以上の候補者には、落選者であっても、すべて国の税金からそれらの金額が支払われていることをもっと周知すべきです。

そして多くの見えない利権も知ってもらうべきです。ハガキの送料だけでも750万円、日本郵便の独占事業にいきわたり、ビラには枚数分の証紙(ビラの枚数を公正にするためのシール)が指定印刷業者へ発注されます。それを選挙アルバイトは、ビラに1枚1枚、合計25万枚を手貼りする作業に追われます。また、7万枚ものポスターを指定された掲示板に貼る作業(それを業者に発注すると選挙違反⁠⁠。政党に属している候補者でなければとても実現できない膨大な作業量です。

さらに、政党の候補者でも、すべてが規程のアルバイト料金でだけでは処理できなく、小さな選挙違反は日常的に繰り返されます。逆に、選挙違反をするくらいでないと、選挙に勝てないという構図とも言えるでしょう。候補者は誕生する前から、クリーンではいられない淀んだ環境の中で育ってきているのです。

新聞広告は、一候補者あたり突き出し2段5枠までの広告が打てます。首都圏の読売新聞で出稿すると200万円×5回でなんと1,000万円もの広告が出稿できるのです。もしも、新聞の営業マンが300万円の供託金を支払って、泡沫候補となって出馬しても、なんと700万円のおつりがでてしまいます。これは供託ポイント以下でも可能です。これは、何かが絶対におかしい……。

インターネット選挙の障害となる“現行の”公職選挙法

さらに!テレビ・ラジオの政見放送は、NHKと民放が各社持ち回りで行っており、朝、昼と視聴率の低い時間帯に放送されます。もちろん、再放送はありません。候補者が一人だけでしゃべる放送に対して制作費は、どれだけかかるのでしょうか?

無償の YouTubeに政見放送があったほうが、よほど国民の利益になるのではないでしょうか?それらを現実的に阻止しているのが、公職選挙法第24条の「文書図画の頒布」の項目です。

そもそも、この法律ができたのは、1950年。今から60年も前の話です。世界初のコンピュータENICACが誕生(1946年)した時代の話です。当然、インターネットはおろか、メールも、Webも、クラウドもGoogleも、YouTubeもTwitterも、まったく想定されていません。この法律はインターネットを阻止するどころか、インターネットのことをまったく知らない法律だったのです。

選挙でインターネットが活用できるようになれば

もし、Webサイトで選挙期間中に候補者が情報をもっと訴求できたら、前述のような費用を削減することはできるでしょう。むしろ、一番利益を供与されるのが、国民である私たちです。

選挙カーの騒音に悩まされることなく、しっかりと候補者の情報をWebサイトで比較検討し、各候補者の日常の姿をブログやTwitterで確認できます。メールマガジンを読み、YouTubeで演説を比較し、公示日以降に候補者をじっくりと選定することができます。まさにこれほどまでに、理想的な民主主義的なツールがないがしろにされてきたのです。

その一番の理由は、今までの既得権益の座にあやかってきた人たちにとって、不利益をもたらすからでした。選挙はできるだけ、各種企業と団体や組織、高齢者に支えてもらい、インターネットとは無縁なところからの票を集めていたからです。かつての利権体質による政治家は、献金とともに癒着体質を生み、地元への利益供与と貢献が常に問われてきました。

利益供与を得られる団体や業界がこぞって資金を供給し、最終的に利益を還流させるという古い政治の仕組みが、今までの選挙をしっかりと支えてきたのです。また、それらに選挙のたびに潤う印刷業界や新聞、放送業界もそれらに加担したとも受け取れます。

「ただし、インターネット利用を除く」の一文があれば

今、私たちが望むのは、公職選挙法第24条の「文書図画の頒布」の項目に、⁠ただし、インターネット利用を除く」のたったの1行を書き加えるだけの作業です。それによって利権とは無縁な、新たな議員たちを生むことができるのです。

国会議員の給与は月額137万5,000円、年1,650万円。ボーナスが720万円で合計年2,370万円。さらに文書交通費毎月100万円。政務立法調査費毎月65万円。しめて、年間4,500万円の収入がある。さらに、3人の公設秘書費が年間2,000万円。

合計1人の国会議員あたり年間6,500万円が国からまかなわれています。それが衆議院480人参議院247人で計727人。しめて、472億5,500万円が国会議員に支払われています。さらにだ、政党助成金として、6政党に対して319億4,200万円(2008年)もの金額が支払われています。合計791億9,700万円、1国会議員あたり、平均1億893万円が毎年、目に見える形で国会議員に対して支払われているのです。

その国会議員たちが国の予算を決める。その国会議員を決めるのが国民の仕事です。 私たち自身が選挙に行かないことで、1人あたり、1,120万円も4年間で損をしていることになる。有権者ひとりあたりに対して、年間280万円となります。

一般会計予算320兆円(4年分)+特別会計予算800兆円(4年分)=1,120兆円(4年分)÷有権者数1億人=有権者一人あたり1,120万円(4年分)有権者一人あたり280万円(1年分)

そんな重要な役割をも持つのが「選挙」です。その選挙で選ぶ人の情報が、限られた印刷媒体、街頭での握手、いつのまにか見過ごした政見放送、走り回る選挙カーそれらだけで1120万円の予算を投票で託しているのです。

その時代に即した、コミュニケーション手法が60年間も凍結されています。

これは、憲法第21条の表現の自由のうち、国などに対して情報提供を求める権利(積極的側面)が公職選挙法第24条によって、侵害されているといっても過言ではありません。

2010年夏の参議院選挙

2010年、おそらくこの夏の参議院選挙は、初のインターネット選挙「一部」解禁となる選挙になるのかもしれません。現政権でメジャーである民主党では、ネット活用にデメリットが少ないからです。よって法案改正が動きやすいと思われます。それによって2010年夏の参議院選挙は大きく変わることでしょう。

そのためには、いくつかの問題をクリアしなければなりません。なりすましやあらし行為、サイバーアタックなど、法案には想定されることをすべて盛り込まなければならないのです。

時代の変化と法律は常に乖離していきます。とくにIT技術に関しては、人間の想像以上に新たな問題が登場します。しかし、それらをも想定し、法案は決めていかなければならないのです。少なくとも、進化に追いつく努力は決して止めてはいけません。

これからの“国民のための”選挙の姿

21世紀もすでに10%を経過しました。前世紀で描いたような、夢の21世紀になっていません。まだ民間の月ロケットも自由に空を飛びませんし、宇宙時代とはまったく言えません。しかし、インターネットの世界だけは確実に進化し、人々のコミュニケーションを大きく変えました。

それに併せて政治も国も、そして国民の選挙の意識も変わらなくてはなりません。

おすすめ記事

記事・ニュース一覧