国内でも2020年から本格的な普及が見込まれている次世代モバイル通信技術の5Gは、AIやIoTといった周辺技術の発展とも大きく関わってきますが、その相関関係においてもっとも重要となるコンセプトが「低レイテンシ」です。「 もっと速くつながりたい」というユーザサイドの要求はいつの時代も存在してきましたが、5Gの普及によりその要求はさらに加速されることになるでしょう。
そして5Gとともに、低レイテンシのニーズに応える存在として注目されている技術がエッジコンピューティングです。エッジコンピューティングという言葉は2017年ごろからメディアなどでもでも取り上げられる機会が増えてきましたが、これはオンプレミスへの回帰ではなく、クラウドと補完関係にありながら、現場のエッジデバイスの処理能力をハード/ソフトともに高めていくことで、ニアリアルタイムを実現しようとしている点が特徴です。
2019年に一気に裾野が拡がった感のあるエッジコンピューティングですが、その一方でエッジコンピューティングという言葉が生まれる前からそのコアとなる概念を取り入れ、現在もなお世界に類を見ない規模でエッジよるデジタルトランスフォーメーションを推進している巨大プロジェクトが存在します。かのアントニオ・ガウディが設計し、1882年に着工、現在も工事が続いているスペイン・バルセロナの世界遺産「サグラダファミリア(Sagrada Familia) 」がそれです。21世紀に入るまでは「完成までに300年はかかる」と言われていたこの巨大な教会は、現在はガウディの没後100年にあたる2026年に完成が予定されており、このまま順調に進めば予定の約半分となる144年で工期が終了することになります。
300年とされていた建設期間を約半分にまで短縮できた背景には、数多くのテクノロジの存在が挙げられますが、本稿ではその中でもとくに大きな原動力となったエッジコンピューティングを取り上げ、2020年になりさらに重要度を増すと思われるテクノロジの「使いどころ」に焦点を当てます。
またあわせて、その導入を指揮したサグラダファミリア建設プロジェクトのテクノロジ担当ディレクター(Directo de Edification y Technologia, Basilica de la Sagrada Familia)であるフェルナンド・ヴィラ(Fernando Villa)氏のリーダーシップについて、2019年10月にバルセロナで開催されたSchneider Electric主催のプライベートカンファレンス「Innovation Forum 2019」での取材(※) をもとにご紹介します。
サグラダファミリア建設プロジェクト テクノロジ担当ディレクター フェルナンド・ヴィラ(Fernando Villa)氏
コストセンターから「建設を加速する基盤」へ
世界で最も人気のある工事現場―140年近く工事が続くサグラダファミリアはときどきこう呼ばれています。2005年にユネスコの世界遺産に登録されたこの教会には世界中から毎年、450万人を超える観光客が訪れており、その数は増加の一途をたどっています。また、サグラダファミリアはカトリックにおける現役の贖罪教会でもあり、2010年には当時のローマ教皇であるベネディクト16世が訪問、宗教的特権を付与されたバシリカとして認定されています。
日々、万単位で訪れる観光客を迎え入れ、なおかつ現役のバシリカとして宗教的役割を果たしつつも、2026年の完成を目指して工事を続行する―ヴィラ氏はこの難しいシチュエーションをテクノロジサイドから支援するCIO的な統括責任者として2013年6月に現職に就任しました。サグラダファミリアが2026年の完成予定を発表したのはヴィラ氏が就任する数ヵ月前のことですが、同氏に課せられたミッションは「イノベーションとサステナビリティの両立」 、つまり2026年のサグラダファミリア完成という大きなゴールを目指しながらも、観光地や宗教施設としての役割を継続的に果たすためにITサイドから支援すること―とくに建設資金に大きく関わってくる観光客の満足度(カスタマーエクスペリエンス)は決して落としていけないという、非常に難易度の高いチャレンジでした。
2010年から公開されている礼拝堂の内部。ガウディは柱を樹木からイメージしてこの礼拝堂を設計し、VRやCADなどの登場で完成に至る。「 ガウディのデザインは100年以上経っても決して古びることはない」とヴィラ氏。むしろ100年以上経ってテクノロジがようやくガウディの思想に追いついたといえる
この課題に取り組むため、ヴィラ氏は就任直後に以下の5つをITチームの戦略として掲げています。
信頼性の高い、セキュアなインフラストラクチャを提供する
キーとなるプロセスのデジタライゼーションを進め、効率性を高める
採用するテクノロジについて、プロジェクト関係者にその根拠と重要性を提示する
テクノロジの標準化を推進し、テクノロジによる成長を安定させる
互いの成長を促進する戦略的パートナーを、スタートアップや大学からエンタープライズまで視野に入れて選択する
ヴィラ氏がまず配下となるチームメンバーに対してITのミッションを明確に示したのは理由があります。同氏が就任するまで、サグラダファミリア建設プロジェクトにおけるITの存在は単なるコストセンターでしかなく、ITが価値を生み出す存在―サグラダファミリアの建設をスピードアップし、観光客の満足度を高める存在になるなど、ITチームのメンバーですら考えていませんでした。ITによるイノベーションが可能であることをプロジェクトチームに知らしめるには、まずITチーム自身がつねにビジネスに価値をもたらすことを意識して行動する必要がある―ヴィラ氏はITチームメンバーが心得るべき基本原則を5つの戦略というかたちに落とし込み、それを共有することからプロジェクトの刷新をはじめたのです。
16週間で完成させた「プレハブ造りのデータセンター」
前述したようにサグラダファミリアの工期短縮の背景には、数多くの最先端テクノロジの存在があります。とくに3DプリンティングやCAD/CAMソフトウェアの導入により、建物の模型製作や構造解析、シミュレーションなどが大幅に短縮されたことはよく知られていますが、ほかにもVR/ARによる設計プロセス決定の迅速化や修復部分の特定、ドローンによる高所の定期的なスキャンニングといったイノベーションも工事のスピードアップに大きく貢献しています。
2026年の完成までには170mもの高さの尖塔がいくつも建てられるが、ガウディの遺志によりバルセロナでもっとも高い場所であるモンジュイックの丘より高くしてはならない。精密な設計と測定を実施するために、3DプリンティングやVR、ドローンなどが活用されている
サグラダファミリアは150mを超す部分も多いため、ドローンによるスキャンニングで破損部分や修復箇所の特定を定期的に行う
3Dプリンティングはサグラダファミリアの工期短縮にもっとも大きな貢献をした技術のひとつ。教会内の地下には3Dプリンティング専門の工房があり、そこで作られた模型があちこちに展示されている
ここでポイントとなるのが、サグラダファミリアは「工事と保守(construction & maintenance)をつねに同時進行させなくてはならない」( ヴィラ氏)プロジェクトであることです。着工から約140年も経過しているため、サグラダファミリアには修復を必要とする部分が数多く存在します。たとえばサグラダファミリアの中でももっとも有名な観光ポイントであり、ガウディ自身が生前に設計/監修した「生誕のファサード(Naitivity Facade) 」は20世紀初頭に完成しているため、彫刻部分の劣化には細心の注意を払う必要があります。そこで現在ではドローンによるスキャンニングのほか、IoTセンサーをファサードに装着、ひび割れの有無や温度/湿度、大気のコンディションなどファサードの物理状況をリアルタイムにモニタリングしており、いつでも修復できる体制を整えているそうです。
サグラダファミリア 生誕のファサード
現在でも20を超える新規プロジェクトが進行するサグラダファミリア。2026年の完成まで「工事と保守」「 工事と観光」が並行して続いていく
ガウディ自身が作成にあたったサグラダファミリア最大の見どころ「生誕のファサード」は老朽化が激しいため、ドローンとIoTセンサーによるリアルタイムチェックが欠かせない
修復部分の工事にはAR技術を駆使している。ヴィラ氏は就任後、バルセロナ大学と提携し、メガネ型のウェアラブルデバイスやタブレットを使ったARによるチェック体制を確立し、既存部分の修復工事プロセスを劇的に改善した
ヴィラ氏は就任以来、こういった工期の短縮に直接影響するツールやソフトウェアの導入を積極的に推進し、さらにプロセスマネジメントにおいても自動化やリーン方式を取り入れて現場の効率化を劇的に改善してきました。しかし数ある同氏の実績の中でも、非常に高く評価されているのが、2015年に導入したモジュラー型(プレハブ型)データセンターの導入プロジェクトです。導入したのはSchneider Electricの25フィートサイズのコンテナ2台で、サグラダファミリアの基幹インフラとして、現在も同教会の敷地内で稼働を続けています。なお、このプロジェクトは2015年における欧州/中東/アフリカ地域でもっともすぐれたマイクロデータセンターの導入事例として「DatacenterDynamics EMEA Leaders Awards」の受賞も果たしています。
現在は「EcoStruxure Modular Data Center」として提供されているオールインワンのモジュラー型データセンター。サグラダファミリアにもほぼこれと同じタイプのプレハブが導入されている
サグラダファミリアのモジュラー型データセンター導入は2015年におけるもっともすぐれたユースケースのひとつとして英国のメディアから表彰されている
「工事と保守」「工事と観光」の両立のために
ではなぜ、このモジュラー型データセンターの導入は高く評価されたのでしょうか。ヴィラ氏は2013年から先に挙げたような最先端ツールを駆使して工期短縮をサポートする一方、セキュリティを含むサグラダファミリア内のITインフラ刷新に取り組んでいましたが、そのベースとなっていたのは教会内の一角にあった決して広くないサーバルームと、早急なリプレースが必要な古いハードウェア群であり、処理能力は限界を迎えつつありました。
「"工事と保守"とともに我々に課されたもうひとつのミッションは"工事と観光(construction & tourism)"を両立させることであり、そのためには2026年の完成、さらにその先も続くサグラダファミリアの未来を支える新しいプラットフォームが必要だった」( ヴィラ氏) 。
"工事と観光"を両立させるプラットフォームには何が必要か―ヴィラ氏は当時(2014年ごろ)の課題を以下のように振り返っています。
チケット販売のオムニチャネル化
リテール(グッズ販売など)の管理
設計/工事プロセスのデジタル化
監視ビデオカメラの画像データ集約/分析
これらを実現するプラットフォームの候補として
外部に新しくデータセンターを設置する
教会内にデータセンターを新設する
という案が上がったものの、外部のデータセンターはセキュリティとレイテンシの観点から即、却下となります。とくに"ゼロレイテンシ"に関しては、数万人の観光客が毎日訪れるサグラダファミリアにとって、セキュリティの面でも、カスタマーエクスペリエンスの面でも譲れないポイントであったとしています。しかし教会内にデータセンターを新設するという案もまた、複数の工事が進行中のサグラダファミリアではリスクが大きく、広いスペースと長期の建設期間を確保することは困難でした。
加えて、工事プロセスの進捗状況によっては再度のデータセンター移行や拡張も考えられるため、2026年の完成までに起こりうるさまざまな環境の変化や新たな要求にスムースに対応できる「レジリエントでフレキシブルなプラットフォーム」であること、限られた予算と人材を考慮し、専門的なスキルをもつ人材がいなくても運用を継続できることも重要な条件だったとしています。
日本ではエネルギーマネジメントを得意とする重電メーカーとして知られているSchneiderですが、ここ数年はIT製品、とくに買収した旧APCのリソースをベースにした電源管理や空調などをコアにしたデータセンターソリューションの提供に力を入れています。なかでもIoTイネーブルでAPI連携が可能な"全部入り"―ITラック、UPS、電源、空調、セキュリティ、設定済み管理システムなどがすべて含まれたオールインワンのエッジコンピューティングソリューション「EcoStruxure」シリーズは「Innovation At Every Level」のキャッチコピーのとおり、あらゆる企業規模、あらゆる業種業界に対応したエッジコンピューティングのラインナップを取り揃えている点が特徴です。サグラダファミリアが導入した「SmartShelter Container」も現在はこのラインナップに含まれており、ガス/油田/採掘現場など、Schneiderがもとから得意とするエネルギー業界の最前線で展開するデータセンターとして、あるいはデータセンター専用の建物やスペースを確保できない支社や工場のリモートサイトとして、グローバルで広く導入されています。
ヴィラ氏はSchneiderのモジュラー型データセンターを選んだ大きな理由として以下を挙げています。
サグラダファミリ内部にはインフラ構築に特化したスキルをもつ人材はほとんどいないが、"電源を入れるだけ"で使えるオールインワンは導入が容易で運用もしやすい
トラディショナルなタイプのデータセンターを構築するよりも(セキュリティ面などで)リスクが低く、コストも抑制できる
プレハブ型であれば、工事の状況に応じて場所を移動することも容易で、( 教会の)内部にも外部にも設置できる
データセンターで動かすサービスのデザイン、ビルド、デリバリがシンプルでスピーディ
工事の進捗に応じたプロセスの変化に迅速かつ容易に対応できる
その他のビジネスサイドのニーズにも柔軟に対応できる
Schneiderはヴィラ氏をはじめとするサグラダファミリアのITチームと直接、議論を重ねながら16週間でモジュラー型データセンターを完成させました。ヴィラ氏は「サグラダファミリアで進んでいるプロジェクトはどれも非常に複雑で、プロジェクト間の調整も難しい。だからこそ、それをIT側で支援するにはシンプルで使いやすいプロダクトが必要だった。このプレハブのおかげで、我々はより重要なビジネスの課題に集中することができるようになった」と語っています。たとえば課題に挙げていたチケット販売のオムニチャネル化を新しいデータセンター上で進めたことで、観光客はスマートフォンやタブレットからもチケットを購入できるようになり、チケット購入のために現地で並ぶ人々の数は大幅に減りました。現在ではサグラダファミリアの入場チケットはオンライン販売が約80%を占めますが、これはモジュラー型データセンターの導入がもたらしたカスタマーエクスペリエンスにおける大きな変化のひとつといえます。
Schneiderが16週間でデザインしたコンテナをサグラダファミリアに運んでいるところ。工事の進捗によってどこにでも移動できるのがプレハブ型データセンターの強み
イノベーションは現在も進行中
サグラダファミリアのエッジコンピューティングを起点としたイノベーションは現在も進化し続けており、たとえば
ビジネスインテリジェンス(BI)を導入し、教会内部の混んでいるエリアと空いているエリアの間の移動をスムースにする
高密度Wi-Fiの導入によるカスタマーエクスペリエンスの向上
より高度なセキュリティ環境の整備
モバイルデバイスの導入を促進し、工事スタッフの生産性を管理/向上
生産プロセスのデジタル化による3Dプリンタの専門スタッフなどの生産性向上
などを実現しています。最近ではデータセンターに集約したデータをさらに分析するため、AIソリューションとして「IBM Watson」を導入し、"工事と観光"の双方のサービス改善に役立てていくとのことでした。
サグラダファミリアの入り口には3Dプリンタで作成された2026年の完成予想モデルが展示されている
エッジコンピューティングという言葉がバズワードになる前からエッジコンピューティングのコンセプトを取り入れ、まさにエッジにおけるイノベーションを、140年前から続く工事現場で実現しつづけているヴィラ氏ですが、同氏の最大のモチベーションは「アントニオ・ガウディの設計思想に忠実であること」だといいます。ガウディの思想を現在に、そして未来に伝えていくために、テクノロジによるイノベーションでサポートする―2026年の完成をめざし、また新たなイノベーションが今年もバルセロナで生まれることはまちがいなさそうです。