新卒者向けの短期連載として、新社会人向けになにか物申せ…ということで、全4回の本コーナーを担当させていただくことになりました。私が新卒者だったりしたのは、Windows 95が発売されてインターネットが一般に降りてきた日という、かなり「神話の世界」に片足つっこんでる大昔のことなんですけど、そんな昔話を織り込みながらのヨタ話。暇つぶしがてらにお付き合いいただけますと幸いです。
否定に「イヤーーー」じゃダメなのよのココロ
えと私ですね、今はフリーのイラストレーター兼ライターという「言ったもん勝ち」な肩書きだけをぶら下げて怪しく徘徊しているのでありますが、かつては7年半ほどサラリーマンをしていました。プログラマというやつでした。
大学卒業後に未経験で業界入りしたもので、基本的にその新卒時代は、まさしく「バカがスーツを着て歩いてる」状態。パソコンのパの字も知らなきゃ、プログラミングのプの字もわからない。でもやる気だけは持ってて、目を爛々と輝かせて、「よォしやるぞ」なんて力んでました。
そんな状態だと、当たり前ながら視野が狭いんですね。
頭が悪いうえに視野が狭いときたら、これはもう最強最悪なダメコンボであるわけですよ。もちろん先輩方からは、いっぱい色んな意味でダメ出しや、数多くの否定の言葉をちょうだいしました。正直カチンとかムカムカーとなった回数は、数え切れたもんじゃありません。もっとも、それ以上にヘナヘナとめげちゃったことの方が多いという説もありますけども、それはまぁ置いといて。
ところでこの「否定されてカチン」とくる経験。特に新人時代を振り返ってみれば、大なり小なり誰しもが通る道なんじゃないのかな…と思うのです。
もちろん程度の差はあります。自分みたいなダメ社員と有能バリバリ即戦力社員とでは違って当たり前だと思います。でも、「まったく否定されない」はないとも思うんです。
もし、その有能さゆえにまったく否定されずに新人時代を過ごしてきた人がいたとしたら、私はある意味、その方が不幸じゃないのかと思わずにいれません。
なぜ「不幸」だなんて思うのか。
それは表題にもある通り、「賛成の反対」は勉強のタネになると思うからです。
否定はすなわち「自分以外の視点」ナリ
自分の考え、アイデア、信条などなど。否定されれば決して気持ちのよいものではありません。
ただ、自分が良いと思える結論に異を唱える声というのは、自分とは違う視点から出てきた声の場合が多いんですね。
「物事は多面的に見て判断しなさい」
とは良く言われる言葉です。でも、経験が少なく、視野が狭い中で「多面的に見よ」とは、これがなかなかに難しい。本当は自分の中にそうした能力を持てれば一番いいんですけど、特に新人くん時代からそれを身につけてなさいというのは、無理難題と言うほかない。
そこで「否定の声」なのです。
自分の中にない能力なのだから、そこは他所からの借り物で賄うしかありません。だから自分を否定する声、転じて「自分とは違う視点から出でた声」を取り込むことで、その能力を補ってやるのです。だって色んな視点から好き勝手出てきた声なんだもの、それを集めれば否応なく「多面的に見た」声になりますわね、それらわね。
ただこの場合、「否定された」ということに囚われてしまうと、気持ちの問題が先行して逆効果になりかねません。なので「この人はこの視点でこう考えたんだ」という以上の受け止め方はしない。「こんな意見がありました」という事実を受け止める以上の感情を込めないようにする練習も必要になってきます。これが結構難しいんですけど、そうできないと自分に耳障りの良い言葉ばかり選んだりしがちになるから、やっぱり欠かせない練習だと思います。
実は「先輩」といったって、その意見が必ずしも正しいものばかりとは限りません。中には偉そうにしたいだけの「やたら屁理屈ばかりこねて反論しかしない人」というのもいます。もっと言えば、一見正しいと思った先輩でも、自分が成長した後に振り返ってみれば、「なんだ無難なこと言ってただけで、なにも大したことは言ってなかったなあの人」なんてことも起こりえます。
だから、否定の内容そのものにはそんなに振り回される必要はないのです。
自分とは違う視点。その存在を知ることと、そっち側から見た時にどう見解が変わってくるかをシミュレーションする練習。そうできる能力を磨くためのきっかけ。
「賛成の反対」とは、そういう意味で、自分にとっておおいに勉強となる経験だと思うのです。
新社会人であれば特に、似たもの同士でやいのやいのとするよりも、こうした機会のあるなしを少し重視した方がいいんじゃないかなーと思うのでありました。