講演後にいただいた質問は?
2年ほど前から、大学のキャリア関係の学科や転職イベントなどにお呼ばれして、講演する機会をちょうだいするようになりました。
だいたい1時間前後、転職についてとか、働き方についての話をするんですが、中には「わざわざこのためだけにイベントに来た」と足を運んでくださる方がいて、講演後に声をかけてくれたりします。
その中で、「こういう業界は未経験で、コンピュータの知識もないんだけど、ぜひその技能を身につけたいと思って、この間転職したとこなのです」という女性の方がいらっしゃいました。ありがたいことに、私の本のファンだとのことでした。
でね、話は続くわけですよ。がんばるぞとは思ってるんだけど、正直不安がめちゃでかいと。こういう未経験者が心がけることとして、どんなことに気をつけたらいいですかと。
そんな質問をいただいたのでした。
さて、なんだろう。
かつて派遣で業界に不慣れな女性が自分のチームに来た時は、「なんでもいいからとにかくPC雑誌を端から端まで読みなさい」といった覚えがあります。言葉が通じてくれないと前に進まないので、とにかく用語に慣れて欲しかったのです。当時はPC雑誌なんてわんさとありましたから、「この中から読める雑誌を選んでね」といえば、いくらなんでも一誌くらいは読めるものがあるだろうと、そうも思いました。
でも、今はもう雑誌自体が下火になってて、かつてのような多くの選択肢は望めません。そもそも眼前の彼女がこれからどんな職場に入るかもわからんのに、「雑誌を読んで用語に慣れて」というのはあまりに悠長な言葉に感じます。
さて、ではなんだろう。思わず考え込んでしまいました。
心の声と財産と
しばらく考えた後、出した結論は「『やった方がいいかな』と思った時の心の声は無視しないこと」でした。
日常の仕事というのはマンガでもなきゃドラマでもないので、そうそう起死回生のドラマチックイベントなんかありません。やれることはだいたい限られており、しかも多くの場合、採るべき正解はすでに頭の中に浮かんでたりするものです。
些細なところから挙げ連ねていくと、
- 「大きな声で挨拶した方がいいかな」とか。
- 「先輩にさっきのお礼言った方がいいかな」とか。
- 「確認のメール出しておいた方がいいかな」とか。
- 「質問してからやった方がいいかな」とか。
- 「自分なりの考えを伝えた方がいいかな」とか。
- 「自分なりに調べてみた方がいいかな」とか。
実に簡単明快。だったらやればいいやんというものばかり。
ところが「やっといた方がいいかな」「やっといた方がいいんだろうな」「でもなー」と自問した挙げ句に、「なにもしない」という結論に至ることがある。なぜか。
めんどくさいからです。
しかも件の彼女のように不慣れな時分のことであると、つい萎縮して、腰がひけて、「やらずに済むものならそうしてしまいたい」などとなってしまい、それが「めんどくさい」につながることになる。決して怠け心から生じたものでないにせよ、結果は「単にめんどくさいからやらなかった」と同じなんですよね。
これが良くないのです。
なにかと礼を欠くことになりがちだし、なにより「経験」という大事なものを積む機会を自分の手で阻害してしまうという点で良くない。
不慣れであるからこそ、たくさんの経験を積み、早く慣れていかなきゃいけないのです。そのために必要なのはちょっとでも「…した方がいいかな」と思ったことを、ためらわずにやってみること。その結果間違えたっていいんです。決して「常に正解を得よう」「賢く振る舞おう」なんて考えて、歩みを止めることではありません。
そしてこれは、同じく不慣れである新人くんなどにも言えることだと思うのです。
ささいなことをひとつやらなかったからと言って、その場でお叱りを受けるような失敗につながることはまずありません。その逆に、やった結果で恥をかくなんてことは、そりゃもう数え切れないほど出てくることになると思います。
でも、それでいいと思うんです。
やってみたからこそ知ることのできる約束事が、世の中にはたくさんあるものです。そして、なによりそうして些細な心の声を無視せずに取り組んでいく姿勢そのものが、きっと先々で生きる財産となるに違いない。そんな風に思うのです。