失敗学では、「失敗」を無闇に恐れる必要の無いありふれたものとして扱います。
ただし、どんなに失敗学に関する知識を蓄えても、自分の失敗を自分で認めることができなければ、分析することも対策を講じることもできません。スタート地点で転んでしまい、起き上がれないようなものです。
実際に失敗に直面した場合、主に心理的な理由から、自分の失敗(ないしは「失敗してしまった自分」)を直視できないケースが多々見られます。
本稿では、失敗に際しての心理について、筆者なりの分析・考察を述べたいと思います。
なお、「心理学」という表題を掲げてはいるものの、筆者自身は、心理学を体系立てて学んだわけではありませんから、学術的に見て誤りを含む可能性は多分にありますが、失敗時の心理に関する一考察としてお読みいただければ幸いです。
「落胆」のメカニズム
前回も触れましたが、失敗学提唱者の畑村氏が「千三つ」(成功するのは千回に三回)という言葉を度々引用しているように、(自分にとって)新しい事に挑戦するのであれば、成功よりもむしろ失敗することの方が多いはずですから、失敗しないのは、ずば抜けた才能に恵まれたか、あるいは新しい事に挑戦していないかのいずれかです。
「実力」と「達成率」の関係を表すとすれば以下のようになるでしょうか? ここでは、「達成率」が1前後より大きければ「成功」としています。
しかし、実のところ「難度」は、着手前に見えている「想定難度」と、着手して初めて見えてくる「潜在難度」から構成されます。
なお、自然災害や社会情勢変動といった壮大なものから、他人による妨害といった卑近なものまで、自分では制御できない「外乱要因」(「運」と呼んでも良いでしょう)や、自身の「実力」を過剰評価しているケースも、ここでは簡略化上「潜在難度」に含むものとします。
つまり、実際の達成率(「実達成率」)は、当初期待していた達成率(「想定達成率」)よりも「潜在難度」の分だけ低くなるが一般的です。
新しい事に挑戦する場合、とりわけ技能が低かったり経験が浅い=「実力」が小さい場合は、なおのこと「潜在難度」の見積もり精度が低くなりますから、「実達成率」が低くなる=失敗するのは自明と言えます。
筆者自身が何か新しい事・難しい事をする場合は概ね、ある程度失敗するのは織り込み済みと考えていましたので、失敗の際に、傍から見て必要以上に落胆する人が多いことが不思議でした。
しかし、できると思っていたことができなかった場合であれば、確かに落胆する心理はわかります。
そこで、傍から見て必要以上に落胆するのは「想定達成率」と「実達成率」との落差が関係しているのではないか、という仮定の元、「落胆」度合いに関して以下のような仮説を立ててみました。
式3 落胆
落胆 |
= |
想定達成率 |
- |
実達成率 |
|
= |
実力
想定難度 |
- |
実力
想定難度 + 潜在難度 |
|
= |
実力 |
× |
潜在難度
想定難度 × (想定難度 + 潜在難度) |
(*1) |
= |
想定達成率 |
× |
潜在難度
想定難度 + 潜在難度 |
(*2) |
= |
実定達成率 |
× |
潜在難度
想定難度 |
少々複雑になってしまいましたので、以降では、わかりやすいように数値を当てはめてみます。
「落胆」のメカニズム(続き)
まずは、先述の式変形(式3)における (*1) 式に数値を当てはめてみましょう。
式4 「落胆」式~その1
落胆 |
= |
想定達成率 |
× |
潜在難度
想定難度 + 潜在難度 |
この式において、「実力」「想定難度」を共に100で固定した場合の、「潜在難度」と「落胆」の関係をグラフ化します。
「実力」「想定難度」を共に同値で固定していますので、「想定達成率」が1.0、つまり成功を期待していることを意味します。
「潜在難度」の増加=「実達成率」の低下ですが、式 (*1) を見れば明らかなように、「潜在難度」がどれだけ大きくなろうとも、「落胆」の最大値は「想定達成率」です。つまり:
どんなに達成率が低くても、落胆度合いは想定達成率で頭打ち
ということになります。
それでは次に、(*2) 式についても数値を当てはめてみましょう。
「実力」を100、「実達成率」を1.0で固定した場合の、「潜在難度」と「落胆」の関係をグラフ化します。
「実力」「達成率」を固定しているため、「潜在難度」が増加すれば「想定難度」は低下することから、「潜在難度」の高さは「想定達成率」の高さとなります。つまり:
「実達成率」が一定なら、「想定達成率」が低いほど落胆せずに済む
ということを意味しています。
どちらも共に、「想定達成率」が必要以上に高い(=「想定難度」が低い)と、「落胆」が高くなることを表していますが、これらは決して実感覚から乖離したものではないと思います。
注意してほしいのは、本稿は「落胆するな」とも「希望を持つな」とも主張するものではありません。
「想定難度」が不当に低い(=「潜在難度」が高い)のは、根拠の無い自信や思い込みに基づいている場合が多いですから、単に事の成否だけを見て「落胆」するだけで、「想定難度」が低い原因を直視しなければ、
おそらく次回も同じ失敗を繰り返すことでしょう。
ひょっとすると、運や環境などの「外乱要因」に責任転嫁したり、取り組みを続ける意欲を失ってしまうかもしれません。
「落胆」という情緒的な振る舞いとは別に、自分の「落胆」そのものを冷静に分析する目を持つ必要を述べているに過ぎず、その上で、なお「落胆」したいのであれば、存分に「落胆」してください。
繰り返しになりますが、新たな事に取り組む場合の成功率は「千三つ」なのですから、予期せぬ「潜在難度」が「実力」の許容度を上回ることで「実達成率」が低くなる=失敗することも当然ですし、失敗すれば落胆するのは自然なことです(情緒的には)。
「失敗することがわかっていて取り組むのか?」という疑問があるかもしれませんが、「人は必ず死ぬから何をやっても無駄なのか?」という命題に、自信を持って YES と答えられるのであればいざ知らず、取り組む価値があると思うならば失敗覚悟で取り組むべきなのです。
なお、周囲からの「期待」との落差で「落胆」することがあるかもしれませんが、そのような場合、まずは「自身の想定達成率」と「周囲の期待」を分けて考えるようにしましょう。
「成功を期待されていたが、自身は成功するとは思っていない」場合なら、周囲との認識のギャップを埋める算段の方が重要ですが、「成功を期待されたことで、自身も成功すると(根拠なく)思い込んでしまった」場合は、そのような思考パターンに陥らないような対策の方が重要です。
「才能」の出番は案外少ない
無用な「落胆」を防ぐ=「想定難度」を不当に低く見積もらない手っ取り早い方法は、非常に夢も希望も無い言い方で恐縮ですが、「少年ジャンプ」的な「隠れた才能の発現」や、「醜いアヒルの子」的な「貴種流離譚」への期待を捨てることです。
別な言い方をするならば、「居るはずも無い援軍(= 才能)を当てにした無茶な作戦」ではなく、「手持ちの戦力だけで妥当な成果を得るための作戦」を立てる考え方とも言えます。
※ マンガ『
ドラゴンボール』には、自身の才能を無理矢理引き出すことを目論むべジータが、クリリンに「
俺を半殺しにしろ」と強要するシーンがありますが、それぐらいの覚悟があるなら
「隠れた才能の発現」を信じても構わないとは思います。もっとも、この場合の「半殺し」は
尋常ではないのでしょうが…。
ありがたいことに(本稿の対象読者の多くが従事する)ソフトウェアの分野で「閃き」の類の「才能」が必要とされるのは、「無から有を作り出す」時ぐらいですので、「凡庸」であっても地道な積み重ねで対応することが可能です。
「ソフトウェアは常に無から有を作り出すのでは?」と思うかもしれませんが、実は以下のようなものが(適切かどうかは別として)すでに決まっていることがほとんどですから、決して「無」の状態からのスタートではありません。
- 機能仕様
入力に対する出力/副作用の仕様、処理の手順、画面のデザイン
- 機能外仕様
開発言語、稼働環境、性能要件、セキュリティ要件、開発期間
これら所与のものを意識的・無意識的に自分の知識と照らし合わせ、選択肢から妥当なものを選ぶことで、
ゴールに到達するための最終的な「経路」を決定するわけですが、「選択肢」や「選択箇所」が多彩であったり、「選択の妥当性」が高い人が、「スキルが高い」と言われるわけです(失敗学では「真のベテラン」という言い方をしています)。
たとえば、アルゴリズム/データ構造を選択する場合、スキルの低い人は:
という程度の「選択箇所」しか持っていない一方で、スキルの高い人は:
- メモリ使用量
- ディスク使用量
- プログラム規模
- 実行性能
- 開発に必要な工数
- 再利用性
- 保守性
といった多くの「選択箇所」において選択(おそらくは「選択肢」も多いでしょう)した結果で判断しますので、「選択の妥当性」を一定水準に保つことができます。
ソフトウェアの場合これらは極めて理論的なので、順序立てて考えさえすれば修得に際して才能の関与する余地は狭いですから、才能がある人のように一足飛びに結論を出すことはできないかもしれませんが、一定時間内に同程度の結論に達することは十分可能なのではないでしょうか。
「順序立てて考える」能力を「才能」と考える方が居るかもしれませんが、スポーツのような体を動かす技能の例で言えば、「順序立てて考える」能力は筋力・持久力に相当しますから、「才能」というよりも「適性」と呼ぶのがふさわしいでしょう。
「適性の有無は無視できる」とは言いませんが、意識的に向上させることも可能ですし、ある程度続けてみないとわからない場合も多いので、思い悩んで立ち止まっているよりも、覚悟を決めて取り組んだ方が有利であるのは確かです。
参考資料
今回は失敗を直視する上での心理的な問題について扱いましたので、心理的な側面から失敗学を捉える上でのお勧め資料を紹介したいと思います。
「失敗に効く本」
精神科医の立場から「失敗学」にアプローチしたものが『失敗に効く本』として出版されています。
ページ分量こそ多くないですが、失敗に対する心構えを身につける上での要点が良くまとまっていますので、最初に目を通すには最適ではないでしょうか(DVD付きです)。
「新・インナーゲーム」
失敗学とは直接関係ありませんが、『新・インナーゲーム』は、技能習得の際に陥りがちな心理的問題に注目したトレーニング理論として、失敗時の無用な落胆を防ぐための参考になると思います。
『インナー~』シリーズは、テニス・スキー・ゴルフといったスポーツ以外にも、企業の活性化に着目した『インナーワーク』や、(国内未出版ですが)楽器演奏向けの『インナーミュージック』など、多くの分野への応用がシリーズ化されています。