[自転車イラスト紀行]徒然走稿

第八回「イルミネーション…のつもりが「餅つき」」

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「臼ならあるよ」

師走を直前にした週末、いつものごとく自転車小旅行を終えての⁠反省会⁠と称した酒の席で『餅つき』の話しになった。

「餅つき、しばらくやってないなあ」⁠家で餅なんかついたこと無いよ」⁠田舎でも段々つき手がいなくなって、いつのまにか米屋が届けてくるようになったなあ」などと話している顔ぶれは、その⁠つき手⁠にもってこいの元気な中青年である。

「この面子ならつき手にこまらないね」

にこにこと聞き手に回っていたS氏が、⁠臼ならあるよ。毎年ソフトボールの仲間と餅つきをやるんだ。一式揃っているよ⁠⁠。

かくして、この年から年末の餅つきは我が自転車倶楽部の恒例行事になった。

餅つきの準備は餅米の手配から始まる。幸い自転車仲間の親戚が米作農家だったので、毎年お願いして自家用の餅米を送ってもらうことにしている。ある年、餅米が不作で市販のものを使ったことがあったが、その味の違いにびっくりした。

当日が近づいてきたらS氏宅へ臼や杵など道具一式を借りにゆく。S氏の家は山の斜面に建っていた(現在は平地に引っ越している⁠⁠。家の前の道は結構な急勾配で、そこから石段を登ったところに母屋と物置があった。空に向かっていきそうな角度で車を停め、物置から車までそれほど広くはない石段を、えいやっとばかりに臼を運び出すのは結構な労働であった。

「若いときは一人で運んだもんだけどな」と、S氏はのたまわっていたが、私らは2~3人でやっとの作業だ。しかし、都合のいい日を選んで人が寄り合い、わっさわっさと行う臼はこびは、餅つきの前哨戦といったところで楽しみのひとつだった。

前日は女性軍の出番だ。自転車仲間はもとより、娘二人の友達もやってきて、かしましく餅米とぎが始まる。米とぎを手伝ってくれた娘達はそのまま泊まっていくのが常で、その夜はいつまでもケラケラと笑い声が絶えない。

餅つきの日は、朝九時前から準備を始めて、十時にはつきだす。ビールなんぞを飲みながらだらだらとやっているので、明るいうちに片付けまで済まそうと思うと、これがぎりぎりのスタート時間だ。ならばもっと早く始めればよさそうなものだけど、この時間でもつき手がなかなかやってこない。

孤軍奮闘、といきたいが、一晩水をたっぷりと吸った餅米はかなりの重量で一人で持ち運べるものではない。たいてい一番乗りにやってきてくれるT氏の到着までに、プロパンボンベ、コンロをセットし、大釜に水を張って火をつける。臼にはようく水を回しへりには縁起物の盛り塩を忘れないように。杵も水を張ったバケツにつけてしっかりと水をなじませる。最初の年は、臼のへりを思いっきりついてしまい杵の先端を割ってしまった。非力な我々にはこの杵は重すぎたのだ、と、翌年新しい杵を皆で購入したら更に重い杵が届いてしまった。結局新品よりも先端を欠いてしまった杵を削り直したもの(おかげで少し軽くなった)に人気がある。

前夜から水をしみ込ませておいたワッパ(蒸籠)に真新しいサラシを敷き、一臼分の餅米をのせ、真ん中をくぼませてサラシでくるみ、グラグラと湧いてきた釜の上に三段重ねる。プワーッとワッパの一番上まで蒸気が吹き上がったら一番下のワッパは大抵蒸しあがっている。 ⁠あつつつっ」と、上二段のワッパを持ち上げて、蒸しあがった餅米を臼にあける。

最初の一臼は家長の仕事とやら。気合いを入れてつきあげる……前に、杵で餅米を良くこねるのが肝心だ。こいつをしっかりやっておかないと、つく度に餅米が飛び散って、いくらついてもツブツブがあちこちに残り、ちゃんとした餅にならない。杵の柄をしっかりと握り、腰を入れ、体全体を使ってこねていく。半殺し(きりたんぽ状態、かな)になるまでしっかりとこねて(この半殺しがまた美味しいのだ⁠⁠、といっても、もたもたしていて冷めてしまってはどうにもならなくなるから、手早く手早く。

助っ人に来てくれた母親を返し手に、⁠気持は)ポンポンと一臼つきあげる。返すときに水を回しすぎるとベチャベチャの餅になってしまうから、ここは返し手の腕の見せ所だ。

一臼、二臼とつきあがる頃、ぼつぼつと人が集まってくる。やあやあ、どもども、まずは乾杯。一人増えるごとにこれを繰り返す。餅をついては乾杯、乾杯しては餅をつき、たちまちできあがってしまう。

つき手も増えて、餅もどんどんつきあがる。熱々を頬ばる、ホフホフ、のびる、旨い。

安倍川、磯辺、大根おろし、納豆、小豆、ズンダ[1]にチーズ。つきたての餅は天下無敵だ。

ひととおり食べたら、義父の指導の元、鏡餅作りが始まる。適当にちぎった餅をクルクルと回しながら、縁の部分を底へ底へと折りたたんで形を整えていく。丸餅も同じ要領だ。伸し餅は型に入れて綿棒で伸す。大人も子供も真っ白になって正月用の餅づくりに精を出す。

気がつけば庭も家の中も人でいっぱいになっている。お馴染みさんもいれば、初めて見る顔もある。焚き火のまわりに男の子たちが集まって、枝に刺した餅をあぶっている。ややくたびれて来た⁠つき手⁠にかわって、この子たちが、大人用の杵でなんとか一臼つけるようになってきた。

夕方、日が落ちる前に後片付けをすませる。大釜の熱湯を使ってタワシで道具のぬめりをごしごしとこすり取る。臼や杵の割れ目にはさまっている餅カスも爪楊枝できれいに取っておく。日がとっぷりと暮れると、夜行性の人間や、仕事を終えた連中が酒と肴を担いでやってきて、そのままエンドレスの忘年会へと突入していくのだ。

こんな風に恒例の餅つきは、もう十数年も続いている。

イルミネーションをネタに書こうと思っていたのに、ひょっこりと顔を出した自転車ショップの店長と、餅つきの話しをしているうちに頭の中が餅つきモードに入ってしまった。

絵柄と合わせるために、イルミネーションを楽しめるコースを紹介します。

相模湖~宮ヶ瀬湖イルミネーションめぐり

国土地理院五万図 上野原、八王子

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イルミネーションめぐり、といっも本当にイルミっている時に回ると、ほとんどがナイトランになってしまいますのでやはり日中回っております。最後はきれいなイルミネーションで締めますから、そのあたりはご了承ください。

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冷え込みの強いJR中央線・相模湖駅をスタート。いつものように学生のツーリンググループが多い。駅前でパンを買い、湖畔の御共岩湖畔展望所で朝食。どこかの大学のボート部が練習している、この寒いのにご苦労なことだ、って、こっちも端から見れば同じようなもんだね。

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寒い寒いなんって言っていたのもつかの間、鼠坂に向かって道はぐいぐい勾配をきつくしていく。たちまち汗だく。坂を登り切り、さがみ湖ピクニックランド前から青野原方面へ右折。それなりの勾配はあるものの車の流れとお別れできたので(とはいえ頻繁に車は通行しているからカーブは要注意⁠⁠、一息ついて森の中をのんびりと高度を上げていく。途中、篠原の集落に「愛ちゃんキムチ」の店を発見。屋根の上に巨大なとんがらしが乗っているからすぐわかる。自転車ツーリングの途中だというのに白菜キムチ半株、 マッコリ1リッターなど買い込み、バックやザックを重くして牧馬峠へ向かう。

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牧馬峠直前の上りは滑り止めのぼこぼこした舗装で勾配もきつい。それでもときおり目を楽しませてくれる名残の紅葉に励まされながら峠に到着。峠はすでに冬枯れの木立。じっとしていると体が冷えて仕方がない。チョコレート、サプリメントなんぞで熱量を補給し、道志川目指して下ってゆく。肌がひきしまる冷たい風がいっそ気持ちいい。

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梶野。410号と交差したクランクに面したコンビニ前で野菜の青空市がたっていた。なんとかこの美味しそうな野菜を持ち帰れないかと、ジャガイモはゴムボールのようにスポーク挟む、白菜をパニアバック風にフロントの両サイドへ、バナナ一房はヘルメット代わりにかぶる、などのアイデアが提案されたがどれも却下され、それでも分厚い椎茸とナメタケをキムチの上からザックに押し込んで宮ヶ瀬湖方面へ右折していく。

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宮ノ前から湖畔沿いの林道を早戸川林道口までたどるつもりでいたところ、一筋間違えてしまいさらに上を巻いている金野林道に入ってしまった。車は来ないし、それほどきつくはない坂で 気分の良い道の付き方なのが助かる。ピークの奥野隧道を抜けて八丁林道、早戸川林道と短い距離ながら3つの林道を走って、やっと宮ヶ瀬湖と対面した。

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宮ヶ瀬湖、といってもこの早戸川のあたりは湖の西の端の方で、たっぷりと水をたたえた雄大さはないが、その代わり湖に沈んだ集落や地形を感じることの出来る風景が残っている。湖水から立ち枯れた杉がつきだしている。こんもりと浮かんだ半島は昔、鎮守の森だったのではないだろうか。湖底から、まだ人の住んでいた名残を感じるような気がした。宮ヶ瀬湖に来たら、このあたりを走ることをお勧めします、というか後述の理由もあり自転車でいくならここらを走らないと意味がない(ちなみに車は通行不可⁠⁠。

素敵な景色も、空きっ腹までは満たしてくれず、腹減りハラで昼過ぎ宮ヶ瀬湖のメインストリート、虹の大橋南詰。クリスマスイルミネーションが名物とかで(他に何にもないもんなあ⁠⁠、あちこちイルミ用のオブジェがあるモノの、明るいところで見ると魚の骨のようでいささか情けない。急ごしらえの「幸福の鐘」のあたりにも冷たい風が吹いていた(でも、鳴らしたんだけどね⁠⁠。

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北海道産石臼引き手打ちという蕎麦屋で昼食。蕎麦自体は茹ですぎの感を否めなかったが、キノコ蕎麦のキノコも地物のようだったし、皿蕎麦という150円で小皿に盛られた蕎麦を1皿単位で追加できるメニューも結構でした。鹿のたたき、こんにゃくの刺身、特に突き出しのゆず甘露煮は秀逸。是非、家でも再現してみたい。この他にも屋台のような立ち売りの店がいくつも出ていて、肉マンだコロッケだとつまみ食いを楽しんだ。

やまびこ大橋を渡って宮ヶ瀬湖ダムへ。ダムの天堤を渡って対岸へ…と思いきや、なんと自転車は渡ってはいけないとのこと、⁠押していっても?」⁠押しても駄目」⁠地図にも出ている道があるのに?」⁠あっても駄目⁠⁠。正直かなり腹が立ったけど、ここで警備している人間に何を言ったところで彼らに通行の可不可の独断はできない。警備員の横をでーっと強行突破してやろうか、という考えが浮かばないわけでもなかったが、追いつめられて自転車ごと湖に落ち込んで行方不明!湖畔に夜な夜な浮かぶ自転車の前照灯、などというエピソードの主人公にはなりたくなったので引き下がる。

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引き下がったのはいいが、対岸に渡らなくては帰れない。かといって後戻りも嫌だ。それに後戻りしたところで対岸の道のかなりの部分は工事用車両専用道路で通行できないとか(だから宮ヶ瀬湖に来たら最前の西の山際で遊んでおかないと、虹の大橋以外見るべき所がないのである⁠⁠。

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半原まで下り、津久井湖方面へ登り返すことにした。いくつかのトンネルを抜け、最後のトンネルの出口すぐ左に車は通行できないようになっている脇道がある。ちょっと不安があったが、こいつを下っていくとこれが大正解。谷間の集落が、なんといってよいのか、日本の原風景というのか、旨く言葉が見つからないけど、箱庭のような、包み込まれるような空気を持った風景に出会うことが出来た。このあたりは樫田というらしい。

さらに下って、下りきって川にぶつかるとそこが半原。そろそろ日が西に傾いてきた。ちょっと急ぎましょう。とこぎ出しては見たものの、いやあ、かなり降りてきてしまったから登り返すのがしんどい。登り返すのもしんどいけど、併走して走る車、トラック、ダンプはもっとしんどい。どっちかといえば登るしんどさの方がまし。たまらず本道から一本はずれた尾根道を選ぶ。韮尾根、北尾根と地図にはあった。ここがまた大正解。そろそろ橙色を帯びてきた空気をまとった西側の尾根に広がる畑の中の一本道を走っていると、なんだか高原にでも来たかのような錯覚をおこしてしまう。道沿いに建物らしい建物はほとんど無く、野良仕事の夫妻が残り少なくなった白菜を収穫している。

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ふりかえれば本日は、山の峠越えから林道、湖畔、レジャー施設、谷間の集落、そして尾根の道。出会えた風景が変化とんでいて素敵な走りになっているじゃあないですか。

でも、やっぱり東京都下。そうそうそんな風景が続くわけがない。尾根は川に突き当たって尽き、再び本線へ戻る。車を避けつつ相模川を渡る。橋本へ続く道もやはり交通量が多く、のんびりとあたりに目を配っていたらダンプのタイヤに巻き込まれかねない。排気ガスにへきへきとしたり、はぐれたりもしながら、東京家政学院大学近くにある手作りジェラート店「ラッテ」に辿り着く。

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ラッテも本日のお楽しみにひとつ。材料のミルクも自家製(だからこの辺、牛の臭いがします)というジェラートはさっぱりしているのにコクがあっておいしい。さっぱりしている、というか口溶けが本当に良く、さらっと溶けて材料風味だけが口中に残る。しぼりたてミルク、ごま、パンプキン、くり、チェリー、あずき等々種類も多いから選ぶのも楽しい。自転車で走った後だとなお美味しい。とひとしきり宣伝が済んだところで、すっかり日も暮れてしまった。店先のイルミネーションにも灯がともりなかなかだ(やっとイルミネーションに灯がともりました⁠⁠。

ゴールのはちおうじみなみの駅前の教会(結婚式場?)のイルミネーションは迫力があるのに品も良く、今日見た中ではピカイチ。駅前の広場でもイルミっているから、輪行前にたっぷり堪能していってください。

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