[自転車イラスト紀行]徒然走稿

第十五回「トラブル」

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ひとつめの峠にたどりついて、ほっと一息。

さあ、下りだぞ。坂道に向かって勢いをつけるために一足こぎ出す。

あ、写真を押さえておくのを忘れたな、と、ブレーキをかける。

「ザリッ⁠⁠、フロントホイールから変な答えが返ってきた。

手応えがおかしい。

見ると、フロントブレーキの左ブレーキシューが無い。

朝、スーパーマーケットの駐車場で組み立てたときには確かにあった。

いや、この峠までのアプローチの間、なんの問題もなく信号などで停車・発信を繰り返してきたのだから、登りに入る直前まではあるべき場所にいてくれたはずである。

どうやら、ブレーキの組立方が悪く、片ぎきしていたため左のシューにだけ負担がかかり、ペラペラになって脱落してしまったらしい。

昨日今日の問題ではないから、前日の整備をきちんとやっていれば事前に防ぐことのできたトラブルであった。

しかし、今は過去を振り返っている場合ではない。

ここは、山の中の峠のピーク。進むにしても、戻るにしても、坂道を下って行かなくてはならないのだ。

ほんとのところは、リアブレーキだけでも坂道を下っていくことはできるから、ならないのだ!と気張るほどのやばい状況ではない。

でも、人間の慣れというのは状況にパッと対応できないもので、使ってはいけない、と頭でわかっていても、ついつい制動時のメインの役割を担うフロントブレーキを引いてしまう。結果、シューの無いブレーキの台座が、フロントホイールのリムを「ザリザリ」と削ってしまうことになる。これは防がなくてはいけない。

ブレーキシューは減るものだけど、台座とリムはシューの仲介無しに、お互い直接交渉してすり減りあうものではないのだから。

二年前、山梨の笹子峠で同じ問題に遭遇したときには[1]⁠、新品の消しゴムを削って対処した。

商売柄、出かけるときには筆記用具を欠かさず持って行くようにしてるものの、本日はブレーキシューの変わりになるサイズの消しゴムの持ち合わせはない。

消しゴムはないけど、ここは山の中。木の枝は山ほどある。

木の枝というのは、とても役にたってくれるもので、今までにも自転車旅の中で、なんども助けてもらっている。

空っ腹を抱え、ストーブで沸かした湯をカップラーメンに注いだところで箸のないことに気づく、大丈夫、木の枝がある。

雨を防ぐために、ちいさめのタープを張ろうとしてポールを忘れたことに気づく、木の枝が微笑んでいる。

デジタルズームで被写体を狙う。三脚、いや、せめて一脚が欲しいなあ、木の枝が手を貸してくれる。

列車を降りて、スタートの駅で自転車を組み立てる。しまった、輪行した駅にはずしたペダルを忘れてきてしまった。大丈夫、木の枝をクランクに差し込めば、一本棒のペダルではあるが何とかなる(普通はならない。たいていはここで引き返すはずだ⁠⁠。

ブレーキシューサイズの木の枝を拾い、ナイフで半分に割って、台座の溝にあわせて削る。

台座にはめ込んで、セッティング[2]⁠。

そして、何事もなかったかのような顔……はできないけど、それなりの顔をして峠を下った。

で、この日は、来た道を戻ったのかというと、そうではなく、途中、バイク屋さん[3]で、ママチャリ用のシューを買い求め、シューの部分だけ台座から外し、私の自転車のフロントブレーキにはまるように加工して、ゆるゆると予定のコースを走りきった。

走りきった、というと語弊があるかな。実はこの日は伴走してくれる車があり、いつでも中止することができたので安心して走っていたのです。

しかし、伴走車のリアウィンドウが木の幹によって粉砕されるというトラブルが重なり、最後の長い下りの途中をゴールとしました。

トラブったのはこっちの勝手。道にはなんの罪もありません。

トラブルを抱えても走りたい(?⁠⁠、峠をいくつか越えてゆく走りがいのあるコースを紹介します。

ブレーキは命を預けるパーツです。くれぐれもこのような愚を犯さないようにしてください。

鶴峠・松姫峠

地図:国土地理院五万図 ⁠上野原」⁠五日市」⁠丹波」⁠都留」

JR上野原駅~上野原美術館~大越路~棡原~田和峠~鶴峠~松姫峠~ふかしろ湖……猿橋……JR猿橋駅

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峠です。何度も繰り返していることですが、やっぱり峠はいいです。気分良く脚を使い切ったなあ、という実感を持ったコースです。

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今回は運転希望者がいたので、中央高速を使ってのアプローチ。上野原ICを降りて右折。中央高速の陸橋を渡ったらすぐに左へ。道沿いに大きなスーパーマーケットがあります。営業時間前なのに―銀行のATMがあるせいでしょうか―駐車場は開放されていました。ここで自転車を降ろして組み立てます。

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上野原の街中を抜けて、市役所の脇をかすめ、上野原中学校入口交差点を右へ。

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左手にすぐ上野原美術館があります。

小さな小さな美術館です。でも、一歩中に入れば「あ、この人知っている」と誰もが思う作家達の日本画、洋画、彫刻、生原稿などが珠玉のように並んでいます。自転車ルックは場違いだとばかりに、じろじろと不躾な目で見る係員もいないから、ゆっくりと鑑賞できます(時々、階上から子どもの声や足音がしてくるのはご愛敬⁠⁠。

私たちが行ったときは、まだ開館時間前だったのに、表で残念がっている声が聞こえたらしく開けてくれました。そんな心遣いも小さな美術館ならではです。

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美術館を出て、上野原中学校にむかって上っていきます。歩道橋をくぐり、正門の真ん前が大越路の入口。

下っているから「あれ?」と思うけどご安心を(?)すぐにきつい上り坂になります。

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竹藪の中の道をえっちらおっちら、大越路の名にふさわしい登り道。

美術鑑賞から一転した環境に体が慣れようとした頃、ピークの奈須部配水池に到着。池といっても柵に囲われていてなにも見えません。ブレーキのトラブルでもおこしていないなら長居は無用。とっとと下りましょう。

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ゴルフ場に迷い込んだりしながら、アップダウンを繰り返し、といってもアップアップに近いのだけど、段々と標高を上げていきます。甲武トンネルとの分岐を過ぎ、小菅村方面へ。

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渓谷の瀬音を道連れに整備された道をさらに上へ上へ。このあたりは長寿で有名な棡原地区(ゆずりはら。親近感を覚える地名だなあ⁠⁠。直売所には『超濃厚豆腐』だの『とろける超濃厚ゆば』だの気になる名産品が地元の夏野菜と一緒に並んでいました。豆腐は買わないとしても一息入れるには絶好のポイント。直売所の前からは、棡原の集落を望むことができます。

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長寿料理で有名(よくテレビの旅番組なんぞで紹介されている)な梅鶯荘も通り沿いに居を構えているので、前もって予約を入れて昼食タイムにするのもいいでしょう。

  • 〒409-0111 山梨県北都留郡上野原町棡原13228
    TEL0554-67-2933

私らはたっぷりと昼飯を準備してきているので、先を急ぎます。

この日は曇りがちで、時折小雨がぱらつくというあいにく……といいたいけど、真夏の自転車乗りにはもってこいのお天気。でも、ときおり雲が切れて太陽が顔を出すと、熱気がのしかかってくるようになります。それだけに、ずうっと寄り添って流れてくれる鶴川の水景がとても嬉しい。

その鶴川としばしの別れ、勾配11%なんて、お知らせしてくれなくても構わない看板を横目でにらみながら田和峠を越えます。

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再び鶴川に出会ってすぐ、右手に西原中学、左手に西原小学校。小学校の裏手に羽置の里 びりゅう館があります。

びりゅう館と小学校の間が素敵な草地になっていたので、そこで昼食にしました。サポートカーがいると昼飯も豪華です。自転車ランの最中に、野外でテーブルを広げ、茶碗にご飯をよそい、味噌汁つきの昼飯にありつくことなどめったにありません。

びりゅう館でも蕎麦を中心にした食事をとることができます。

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さあ、腹もくちくなったし(ちとなりすぎました⁠⁠、本日のメインイベント。鶴峠を、松姫峠を目指しましょう。

鶴川といっしょに(といってもあちらは下っているのですが)ぐいぐいと標高をあげて、川がつきたところが峠です。まだアジサイの咲いている峠にはバス停があるだけ。なんだ、とがっかりさせられるかもしれません。しかし、この後、松姫が待っています。バスに乗って帰るなどといわず、きばっていきましょう。

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鶴峠の下り道から松姫峠への登りがちらほらと見えています。無駄に下っているような気がするけれど、その通り。下った分だけ登りが待っています。松姫峠へは吉野集落のT字路を左へ。

ここを右に行けば奥多摩湖へ出ることができます。松姫を越えるのに時間や体力的にしんどかったら深山橋を渡り奥多摩湖経由でJR奥多摩駅へ。元気がありあまっていたら、三頭橋を渡って風張峠を越え、数馬から秋川沿いに武蔵五日市。多摩川へ出て、土手のサイクリングロードに入れば、都内まで車を気にせず自走で帰ることができます。

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松姫峠に来るのは十年ぶり。記憶通りにしんどい道を休み休み漕いでいきます。まだかいな、いやんなってきたなあ、脚が残っていないなあ、と、気力が萎える直前。峠に着きました。

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前に来たときには、鬱蒼と茂った木に囲まれて眺望も悪く、松姫峠の由来となった武田のお姫様・松姫の碑が建っているだけだったのが、回りの樹を刈り取って峠から甲斐の山々と富士山を見通せるようになっていました。

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きれいな公衆トイレもできているから、女性にも評判が良いのではないでしょうか。

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この日は富士山を望むことはできなかったけれど、下りに入る直前の場所から、これから下っていく道が山あいを豪快につたっていくのが見え、疲れがすっとひき、気持もぐっとひきしまります。

ここから長い下りを経て、日本三大奇矯・猿橋を渡ってJR猿橋駅がゴール。

・・・の予定でしたが、

ひきしまりはしたものの、応急処置のブレーキで猿橋までの延々20数キロメートルに及ぶ(ほとんど)下りをこなすのもなんだし、車のリアウィンドウもないし、ここはふんぎりをつけて、前には無かった深城ダムにある小金沢公園をゴールに決めました。

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小金沢公園には無料の駐車場があるので真木小金沢林道、大峠をからめた周回コース(上級者向けだと思う)のデポジット場所にも使えそう。ダムができたから真木小金沢林道も通行できるようになっている。前に途中で引き返したことがあるのでリベンジ、と、思いきや、なんだまだ通行止めかあ。

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公園で自転車を車載。大月に出て、駅前のイトーヨーカドーでゴミ袋を買い、リアウィンドウもガムテープで応急処置をして帰路についたのでした。

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