『電網恢々疎にして漏らさず網界辞典』準備室!

第4話 Family Guy

  • 「では、まず各人の自己紹介をお願いします」

和田がそう言うと、右手前方にいるイケメン水野がイヤホンを耳から外すと優雅な仕草で髪をかき上げた。ため息がでるほどの美しさだが、不思議なことにオーラがない。とびぬけた美貌や才能は、自ずとオーラをまとうものだが、水野にはない。そのうえ、イヤホンからもれてきたのは『ジャバヲッキー・ジャバヲッカ』だ。

この人は死んでいるのだな、と和田は思った。徹夜でコーディングして会社の床で寝たり、近所のファミレスで仮眠をとったり、たまに家に帰って嫁と子供に罵られたり、あげくの果てに通風になって好きなものも食べられない。そういう行き場のない死人の仲間に違いない。死人にオーラはない。

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  • 「なるほど、自己紹介ですか……子供よばわりするだけのことはありますね」

微妙にためを作ってから水野がつぶやいた。オーラがないので、ひどく滑稽に見える。滑ってますよ、と教えるべきか和田は迷ったが、指摘せずにおいた。

  • 「水野さんですね。では、あなたから自己紹介をお願いします」

和田は務めて機械的な口調で言った。

  • 「受託開発部から来た水野です。社長の思いつきに振り回されるのはいやですが、これも勤め人の宿命と思って、ここに来ました。まあ、それ以外の選択肢がなかっただけですけどね。よろしくお願いします」

水野は皮肉っぽくそう言うと、顔を伏せて猫背になった。ぱらりと前髪が落ちる。普通なら貧乏くさくなるところだが、180センチ近い長身のイケメンなので、どんな格好をしてもサマになる。

  • 「では…次は、あなた」

和田は水野の隣に立っているもちもちした男性を指した。さきほどからタブレット片手に、画面をぺしぺし指で叩いている。和田の言葉にも反応しない。無視しているというより、聞こえていないようだ。

  • 「和田さん、放っておいたほうがいいです。きっと難読パイラしてるんだと思います」

歪莉が和田にささやいた。

  • 「難読パイラ……それってバンド名?」

  • 「いえ、違います。ソースコードを難読化する自作のプリコンパイラを作ってるんです。あの人は新しい言語を作るのが趣味なんです」

  • 「あれが内山計算さんですか……ブログ事業部のマシュマロマンと呼ばれていた人ですね」

  • 「本人にそれを言うと死にますよ。筋金入りのアンブレリストだそうです」

  • 「アンブレリストとは、なんですか?」

和田と歪莉がひそひそ話をしていると、

  • 「うっ、内山! 内山計算です」

突然、内山がうわずった声を張り上げた。和田は既視感を覚えた。こういう人種に遭遇したことがある。最初に大きな声を出さないと話し出せない人種だ。

  • 「プロジェクトごとに、新しいOSと言語を作ればいいんです。ハックされません」

内山は自己紹介とは、ほど遠い話を始めた。この人は友達がいなそうだと和田は思う。だからといって同情はしないが。

  • 「何言ってるんですか。Webサーバならインプットとアウトプットを分析すれば内部がわからなくても攻撃は可能なんじゃないでしょうか?」

水野が冷笑を浮かべた。

  • 「古い! それは古すぎる」

内山は悲鳴にも近い、ひきつった声を上げた。

  • 「乖離論理に基づく実時間系の処理システムをベースにすれば、使用している函数を特定できない限り、攻撃は不可能だ」

  • 「意味わからないんですけど……」

  • 「計算結果が時間軸の影響を受ける概念。1953年、チューリングと袂をわかった数学者が提唱し、近年再評価。計算機が彼の概念を具現化できるレベルに達した。乖離時間の経過とともに計算結果が異なるチップも開発された。これを使ったサーバを使えばいい。毎回計算するたびに返ってくる値が違う。一足す一の答えだって、毎回違うんだ」

全員が黙った。何を言っているのかもはや誰にもわからない。毎回計算結果が違ったら、ひどく困ったことになるのではないかと和田は思ったが、一線を越えてしまった者にそんな質問はできない。

  • 「形而上学的なWebアプリのお話ありがとうございました。じゃあ、次の自己紹介……倉橋さんお願いします」

和田は、内山の話の内容については考えないことにした。歪莉をちらりと見て、自己紹介を促す。

  • 「広報の倉橋歪莉です。あの……まだよく事情が飲み込めていないのですが、とりあえずそういうことでよろしくお願いします」

歪莉は真っ赤になって頭を下げた。

  • 「⁠⁠裸の王様成田くん繁盛記』の方ですね。あれは愉快でした」

水野がニヒルな笑みを浮かべた。

歪莉は、表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。そうしたフラストレーションがたまりすぎると、爆発暴走し呪いの言葉をつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。つい先日も『裸の王様成田くん繁盛記』というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。この準備室に来ることになったのは、それが原因だ。

  • 「……あれで私は首になりかけましたが」

歪莉は床を見つめたまま、小さな声で答える。

  • 「僕は好きでした。一緒に仕事できるなんて、ちょっと感激です。よろしくお願いします」

水野の言葉を耳にした和田は、いささか驚いた。⁠裸の王様成田くん繁盛記』は確かに傑作ではあったが、あれを書いた人間と一緒に仕事をしたいとは思う人間は珍しい。

  • 「どうもありがとうございます。私もそう思ってたところなんです」

歪莉が顔を上げて微笑んだ。

人間は適材適所。死人の水野に、きょうじんの歪莉……ふたりはお似合いなのかもしれない、と和田は思った。

かすかに風の音がした。春はまだ浅く、Javaの脆弱性はネバーエンディング底なし沼の様相を呈してアメリカは阿鼻叫喚。和田は小さくため息をついた。

その時、部屋の扉が開き、特撮物の犠牲者にありがちな中高年男性が現れた。

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  • 『ファミリー・ガイ』
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  • 形而上学
  • Javaの脆弱性はネバーエンディング底なし沼
和田安里香(わだありか)
網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳、身長162センチ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし、カンもいいが、どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので、自分の趣味のプロジェクトを開始した。
倉橋歪莉(くらはしわいり)
法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが、フラストレーションがたまりすぎると、爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では『裸の王様成田くん繁盛記』というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです⁠⁠。
水野ヒロ(みずのひろ)
網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳、身長178センチ、体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない、優等生人生を送ってきた。だが、最近自分の人生に疑問を持つようになり、奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に「そんなことは誰でも思いつきますけどね」などと口走るようになり、打ち合わせに出席できなくなった。
内山計算(うちやまけいさん)
網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳、身長167センチ、体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で、なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。

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