早朝の社長室。まだ社長は来ていない。今、
「好き勝手やっているそうだな」
和田は、
「そうしろというのが、 ご指示でしたので」
少し間をおいてから、
「その通りだ。まったく問題ない。水野がクレームを送ってきたが、 オレが握りつぶした。お前がプロジェクトを私物化しているんだとさ」 「はい。私物化しております。民間企業に勤務するということは、 他人に自分の人生を切り売りすることです。私物化されるのはあたりまえ。水野さんは、 資本主義を理解していないようですね」 「まあ、 いい。で、 用件はなんだ?」 「篠田宰が平坦主義者と判明しましたので、 いちおうご報告しておこうと思いました」
和田の言葉を聞いた宮内の目が、
「……本物か?」 「本物と書いてガチです」 「どのオペレーションに関わったんだ?」 「そこまでは、 わかりません」 「平坦主義者は、 サイバーアナーキストだ。連中は破壊しかしない。その挙げ句に “人は 罪なくして 親たりえない” だと? わけがわからない。とにかく手当たり次第に破壊する。しかも少数精鋭で腕がいいときてるからたちが悪い」
宮内は肩をすくめた。このオヤジにはアメリカン・
「アノニマスやラルズセックのようなものですか?」 「まったく違う。とくに日本ではな。日本のアノニマスは、 掃除とデモしかしないだろ。それに参加者は全員特定されてる」 「ほんとですか?」
和田は、
「ああ、 総務にいる公安OBのおっさんが、 リストを見せてくれた。うちの社内にもアノニマスはいる。毎週秋葉原で掃除して、 メイド喫茶寄ってからエロゲとフィギュアを買い込んでくるんだ。ばれてるなんて本人は知らないだろうけどな」 「……今のはアノニマスと “大きなお友達” を不当におとしめる危険発言ですね。録音してネットに流したら大炎上しますよ」 「平坦主義の実態は、 ほとんどわかっていない。篠田がメンバーだと公安に教えれば大喜びで飛んでくるだろう。公安に恩を売っておくのも悪くない」
和田の指摘を宮内はスルーした。
「宮内専務は、 密告する薄汚い犬になるんですね」
和田はそう言うと、
「……いや、 もう少し状況がわかるまでは泳がせておこう」
宮内は、
「オレの父親は、 トンデモ陰謀論の信者だった。母親は某宗教の秘密幹部だ。互いに素性を隠したまま結婚し、 死ぬまで隠し続けた」 「じゃあ、 なぜ宮内さんは知っているんでしょう?」 「ふたりとも息子であるオレにだけ真実を話し、 それぞれ英才教育を施したんだ。人たらしと呼ばれる口のうまさと、 ウソをついても心が痛まない良心回路のバグは母親仕込みだ。他人の論理の瑕疵を見つけるのがうまいのは父親譲りだ」
なるほど、
当時を思い出したのか、
「愉快なご家族だったんですね」
気分を変えようと和田が言うと、
「お前な……いやいい、 お前にまっとうな話は通じない。それがわかってるから、 今回の仕事に抜擢したんだ。やむを得ない」 「あたし、 なにか間違えましたか?」 「まあいい。篠田には注意してくれ」 「はい」 「他になにか気になる動きはあったか?」 「倉橋と水野がつきあう兆しがあります」 「……なにか問題あるのか?」 「不愉快です」 「私物化していると言われるも当然だな。間違っても、 そんなことオレ以外の人間の前で言うなよ」
宮内は苦笑した。
和田が準備室に戻ると、
「声が聞こえるんです。机が汚いからふけって命令するんです」
和田が歪莉の横を抜けて自席に着くと、
「……机を磨くと声が止むんですか? そもそもなにも聞こえませんけど」 「わかってます。私にだけ聞こえるんです。おかしいでしょう?」
そこで歪莉は、
「水野さんとなにかあったんですね」
和田はなぐさめるつもりで、
「私が魚を食べるから生臭いって……だから石鹸を食べろって言うんです。それも電磁波で消毒した石鹸でないといけないんです」 「水野さんは、 そんなに独創的なことを言わないと思いますよ。彼は凡庸な人間です」 「でも、 確かに言ったんです」
歪莉は、
「水野さん、 倉橋さんに電磁波で消毒した石鹸を食べる変態プレイを強制したと聞きました。事実でしょうか?」
和田が青い顔の水野に尋ねた。
「なっ、 なにをおっしゃいます。この僕が女性にそんなことをするはずないでしょう」
水野は、
「すみません。取り乱しました。もう大丈夫です」
水野の声を耳にした歪莉は、
「石鹸の件は、 妄想だったんですね」 「……私もそう思っていたところです。私ったら、 また勘違いしちゃった。あはははは」
歪莉の笑いが痛いことは珍しくないが、今日は特に痛い。親指のささくれを強引にむいたような、やってしまった感満載。あとに尾を引く心の痛み。
「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
歪莉の乾いた笑い声は、
気がつくと、
今週登場したキーワード 気になったらネットで調べて報告しよう!
- 『Spaceballs』
- 『ニセモノ注意報』
- ”人は 罪なくして 親たりえない”
- 日本のアノニマスは、
掃除とデモしかしない - ”大きなお友達”
- 公安
- 赤星満さん
- 南関東直下地震
- 和田安里香
(わだありか) - 網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳、身長162センチ、 体重46キロ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし、カンもいいが、 どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので、 自分の趣味のプロジェクトを開始した。
- 倉橋歪莉
(くらはしわいり) - 法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、 誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが、 フラストレーションがたまりすぎると、 爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では 『裸の王様成田くん繁盛記』 というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです」。
- 水野ヒロ
(みずのひろ) - 網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳、身長178センチ、 体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない、優等生人生を送ってきた。だが、 最近自分の人生に疑問を持つようになり、 奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に 「そんなことは誰でも思いつきますけどね」 などと口走るようになり、 打ち合わせに出席できなくなった。
- 内山計算
(うちやまけいさん) - 網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳、身長167センチ、 体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で、なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。
- 篠田宰
(しのだつかさ) - 実例担当
年齢44歳、身長165センチ、 体重48キロ。薄い毛髪が悲哀を感じさせる。
社長室。影が非常に薄く、やる気もない。幽霊のよう人物。ただし脅威の記憶力を持っている。温泉とコーヒーに異常な執着がある。