堕姫縷と水野の姿を認めると、
- 「遅かったですね」
和田が素っ気なくつぶやいた。
すでに歪莉は寝台に横たわっていた。水野は小走りに歪莉の傍らに駆け寄り、
- 「篠田さんはまだですか?」
堕姫縷が和田に尋ねると、
- 「私なら準備万端整え、
推参しております」
振り向くと、
- 「まるで、
鬼灯のコスプレですね」
和田は苦笑したが、
- 「戦いに先立ち、
世田谷文学館の岡崎京子展を見てきました」
世間的には、
- 「私が彼女を知ったのは全面投稿雑誌ポンプではなく、
『不思議な仲間たち』 でした」
それを耳にした和田は、
- 「『星を抱いていたい』
というタイトルだったと思います。それからポンプで再会した。私は散文詩を投稿し、 彼女はイラストを投稿していた。ある時、 彼女にイラストの感想の手紙を送ったんです。そしたら彼女は、 ガムを送ってきました」
そんな話は聞いたことがない。和田は首をかしげた。岡崎京子が
- 「ガム?」
老人の妄想につきあうべきかどうか迷っていた和田は、
- 「妙な味のするガムで、
彼女はひどいでしょと憤慨していました。私もそうだね、 ひどいねと返信しました。そして彼女はマンガ家として大成し、 私は革命家になった。ともに形は違いますが、 時代と遊び、 破壊する衝動が根底にあります。おそらくポンプを出していた橘川幸夫氏も同じでしょう」 - 「橘川幸夫? 永遠のモラトリアムを生きるとっちゃん小僧ですね」
和田は橘川幸夫の顔を頭に思い浮かべた。あながち妄想ばかりにとらわれているわけではなさそうだ。
- 「誰ですか?」
わけがわからないといった表情で堕姫縷が尋ねる。
- 「ロッキンオン、
ポンプといった、 遊びながら時代を刺そうぜ、 みたいな雑誌をやってた夢見るおっさんです。10年くらい前からは仕事を辞めると言いながらなかなか辞めないでいるみたいです。仕事といっても夢を見るのが仕事なんで、 辞めたのか続けているのか判別は難しいんですけどね」 - 「みなさん、
雑談は終わりにして準備にご協力ください」
内山が篠田の老人トークを中断した。篠田に寝台に横たわるように促し、
- 「オキュラスを使うんですか? なんために?」
和田は怪訝な表情を浮かべた。
- 「すでにご説明したように篠田さんは、
オペレータ依存型防御機構の脆弱性を突いてくる可能性が高い。その威力を実感するためには、 みなさんにもオペレータと同じ感覚を共有していただく必要があるためです。オキュラスを装着することによって、 かなりオペレータに近い感覚を得られます」 - 「それって、
攻撃された時に同じようなダメージを受けるということですか? あまりうれしくない提案のように聞こえます」
堕姫縷は、
- 「無理にとは言いません。できればご協力いただきたいと思います。なぜなら、
オペレータ依存型防御機構の脆弱性を突いた攻撃の成果はオペレータのメンタリティによって成果が異なると予想できます。観察対象が多い方が、 より多くのデータを得られ、 今後のオペレータ依存型防御機構の強化に役立ちます。それに、 ホログラフを見るより臨場感があるのでおもしろいというメリットが、 みなさんにはあります」 - 「おもしろい……好奇心は猫を殺す。私たちにマトリックスの世界の猫になれとおっしゃってる」
堕姫縷は肩をすくめたが、
- 「私と綴喜さんはともかく、
水野さんにも着けてもらうんですか? 刺激が強すぎるんじゃないでしょうか?」
和田がまだ歪莉の横で手を握ったままの水野にちらりと視線を投げた。
- 「僕がもっとも見たいのは彼の反応です。彼が倉橋さんにどのような感情を抱いているのか、
オペレータ依存型防御機構の反応を見れば一目瞭然です」 - 「それは個人的な興味ですね」
和田は、
- 「より多くのデータがほしい、
それだけです。オペレータ依存型防御機構についての研究は、 まだ端緒についたばかりです。脆弱性を突いた攻撃の方法論を作ることが出来れば世界中のオペレータ依存型のシステムを攻略できます」
世界にどれだけのオペレータ依存型のシステムがあるのだろう? と和田が疑問に思ったとたん、
- 「オペレータ依存型のシステムは、
すでに世界中にあります」 - 「世界中に? 初耳です」
- 「ラングレーのCIAドローン部隊のもっとも大きな課題は、
メンタルケアです。彼らは、 毎朝家族と一緒に朝食をとり、 CIAの基地につくとモニター越しに中東のドローンを操って人を殺し、 退社時間になると家に帰って家族と夕食をとる。戦場と家庭の間のギャップが精神を病ませます。ドローンの操縦が使っている五感は視覚中心ですが、 それでもオペレータ依存型のシステムと言えますし、 脆弱性を突いた攻撃も可能です。いずれ五感を使うようになればもっとそうなります。同様なことはドローン操縦システムの全てについて言えます。オペレータ依存型のシステムの脆弱性は今後大きな課題になるのは間違いありません」
内山の主張に堕姫縷がうなずいた。
- 「ドローン操縦者のメンタル問題については聞いたことがあります」
今回登場したキーワード 気になったらネットで調べて報告しよう!
- 『カウボーイゾンビ』
- 鬼灯 登別 別府
- 世田谷文学館
- 岡崎京子
- 星を抱いていたい
- 不思議な仲間たち
- 全面投稿雑誌ポンプ
- ロッキンオン
- 橘川幸夫
- オキュラス
- オペレータ依存型防御機構
- 好奇心は猫を殺す
- マトリックス
- ラングレー
- オペレータ依存型のシステムの脆弱性
- ドローン操縦者のメンタル問題
- 和田安里香
(わだありか) - 網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳、身長162センチ、 体重46キロ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし、カンもいいが、 どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので、 自分の趣味のプロジェクトを開始した。
- 倉橋歪莉
(くらはしわいり) - 法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、 誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが、 フラストレーションがたまりすぎると、 爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では 『裸の王様成田くん繁盛記』 というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです」。
- 水野ヒロ
(みずのひろ) - 網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳、身長178センチ、 体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない、優等生人生を送ってきた。だが、 最近自分の人生に疑問を持つようになり、 奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に 「そんなことは誰でも思いつきますけどね」 などと口走るようになり、 打ち合わせに出席できなくなった。
- 内山計算
(うちやまけいさん) - 網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳、身長167センチ、 体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で、なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。
- 篠田宰
(しのだつかさ) - 実例担当
年齢44歳、身長165センチ、 体重48キロ。薄い毛髪が悲哀を感じさせる。
社長室。影が非常に薄く、やる気もない。幽霊のよう人物。ただし脅威の記憶力を持っている。温泉とコーヒーに異常な執着がある。
- 古里舞夢
(ふるさとまいむ) - 年齢36歳。身長165センチ、
体重80キロ。
受託開発部のエンジニア。極端な無口で人見知り。
和田のファン。何かというと和田に近づき、パントマイムを始める。どうやら彼なりの好意の表現らしいが、 和田を含め周囲の全員がどんな反応をすべきかわからなくなる。
- 綴喜堕姫縷
(つづきだきる) - 容姿は女性、
性別は男性。身長172センチ、 体重52キロ。
年齢不詳。カナダ、UBC大学卒業。文化人類学専攻。英語とロシア語が堪能。宮内専務の秘書。その前は、 バンクーバー支店長の秘書をしていた。
妖艶な美女。独特の雰囲気で見る者を魅了する。サブカル、特に昔のマンガにくわしい。バンクーバー支店で採用したため、 本社には詳細な人事情報がない。