エンジニアはコミュ障ではない
この連載の内容は、このサイトのメイン読者であるエンジニアの皆さんにとっては「そんなこと、わかりきっている話だよ」というものが多いはず。ソーシャルメディアで感想を共有してくれる人たちの反応を見ていても、「エンジニアの気持ちが、採用担当者にはわからない」という意味のものが多いので、「ああ、わかってほしいけれど、なかなか伝わらないのだな」と思ってしまいます。
こういう話を書いていると「なんだ、結局『エンジニアはコミュ障』という話の流れか?」という声が聞こえてきそうですが、その通りです(汗)。ただし、エンジニアがコミュ障であると、実は私は思っていません。
たとえば、ちょっとしたイベントやセミナーに参加して、エンジニアの皆さんを拝見した印象は、ザッと拾ってみただけでも
- とてもよくしゃべる
- 人前で発表するのが嫌いではない
- ソーシャルメディアで意見を積極的に共有する
- ブログも書く
という感じでしょうか。あらゆる場面で自分の意見を話し、人の意見を聞き、同意したり、反論したり、を熱心に繰り返しています。
そう、エンジニアは、まったくコミュ障ではないのです。
エンジニアは「目的に沿ったコミュニケーション」をするのはうまい
ただ、1つ気になったことがあります。それは「コミュニケーションの中身や濃度」について。
非エンジニア系の集まりに参加していると、「ものすごく会話が盛り上がっているにもかかわらず、中身がスカスカ」というケースが少なくありません。しかし、そのスカスカの中身であったり、薄かったりする雰囲気を「なんとかする」、つまり、座持ちを良くできる人が1人いるだけで、周囲は助かります。そして、その人たちのことを「コミュニケーション能力が異様に高い」と評価してしまうことも少なくありません。身近に心当たりのある人がたくさんいるはずです。
エンジニアの皆さんのコミュニケーションが、中身や濃度を意識したそれであるとは言い切れません(そもそも、同席していても半分も理解できていないのが正直なところなので)。しかし、「言語について勉強しよう」「解析について知見をシェアしよう」「仕事の進め方について意見を交換しよう」という場所において、その「目的に沿ったコミュニケーション」をするのは、じつに上手だと感心します。
同時に、少なくとも「何となくの雰囲気でごまかして、座を持たせる」というタイプの人がうまくその場を乗り切れる印象もありません。
エンジニアが考える、「エンジニアに必要なコミュニケーション能力」とは
そう考えると、エンジニアと非エンジニアの間では、「コミュニケーション」という言葉の意味に少し溝があるのかもしれません。
以前、ある場所でエンジニアのコミュニケーション能力について、何人かの人と話し合ったことがあります。そのときに、エンジニアサイドからは、以下のようなとてもシンプルな説明が出てきました。
「『隣で仕事をしている人を不愉快にしない程度の会話がキチンとできる』それが、エンジニアとして最低限求められるコミュニケーション能力です。ただ、それができればほとんど大丈夫、でもあります。」
要は、いつも顔を合わせている隣の席の人が不愉快に思うようなコミュニケーションしかとれないのに、それ以外の人とうまくコミュニケーションがとれるわけがないのです。あまり顔を合わせないから、本性がわからず、なんとなくコミュニケーションがとれたとしても、結果としてチームで仕事を進めていく上では支障をきたすのでダメだ、という評価なのでしょう。
実にわかりやすいですね。いろんなところでこの話をすると、おおむね「ああ、それは端的に説明できていますね」という反応でした。
人事は「エンジニアの考えるコミュニケーション能力」には困惑?
ただ、その中で「それでは話にならないです」というリアクションをとる人たちがいました。それが採用担当者たちです。
私は「エンジニアはこのようにして採用しましょう」というセミナーを採用担当者向けに時々開催しているのですが(=CodeIQプロデューサーとしてのお仕事)、その中で「エンジニアに求めるものはなにか、ハッキリしましょう」と提案しています。
- 技術力なのか
- ポテンシャルなのか
- それとも組織人としての能力なのか
求めるものが違えば、募集する仕組みも違いますし、評価の方法も変える必要があります。
その説明をしている中で「エンジニアに求めるコミュニケーション能力は、同じエンジニアから見ると、隣の席に座っているエンジニアを不愉快にさせないこと、そんな程度で十分だと言っています」と私がエピソードを交えて話すと、後でこの部分に必ず反論がくるのです。
「ウチの採用基準としては、その程度のコミュニケーション能力では困るのです。」
そのリアクションにほぼ集約されます。「隣の人」などという小さな範囲で判断はできないし、その程度の能力では「社内調整」や「得意先とのやりとり」は到底できないじゃないか、というのです。
「自分たちの日常の仕事の延長線上にある言葉」でないと、ピンと来ない
ここまで読んで、いろんな感想を持った人がいるでしょう。「採用担当者たちの理解力www」と揶揄したい人がいるのも承知していますが、怒りをぶちまけるまでにはもう少しお時間をください。
おそらく、「採用担当者たちが設定しているコミュニケーション能力」と、「エンジニアが端的に説明しているコミュニケーション能力」は、同じことを意味しているのだと思います。しかし、エンジニアが説明する「最大公約数」的な言葉では不足していると感じてしまうのかもしれません。
だから、というのは変ですが、求人広告などを見ていると、尋常ならざる細かい設定が書き込まれているケースが少なくありません。
- あれもできなければならない
- これも求めるスキルである
と、つらつらと書いてしまって、端から見ると収集がつかなくなってしまっているという、ある意味で悲惨な例です。求める人物像なり、人材要件定義なり、とにかく「御社はどういう人が欲しいのですか?」と聞かれ続ける仕事に就いているので、曖昧、かつ「解釈の仕方によってはどうとでもとれる」設定は戸惑ってしまうのかもしれません。あるいは、説明している私の「そんな程度で十分」という言葉に反応しているのかもしれません。
いずれにしても、「求めるコミュニケーション能力」という言葉ひとつとっても、「エンジニアはこんな風に考えていますよ」と説明しても、採用担当者にはなかなか理解してもらえません。端的に本質をついたフレーズであっても、自分たちの日常の仕事の延長線上にある言葉でないと、ピンと来ないのです。
これは、裏を返せば、エンジニアも採用担当者たちの話を瞬時に理解できないのと同じこと。ただ、採用担当者が発信する言葉をエンジニアが理解できないのは、仕事として致命的です。だって、エンジニアを採用するのが採用担当者の仕事ですからね。彼らがいつまでも「私たちの言葉をエンジニアが理解しなければならない」という態度でいるとしたら、それこそ、エンジニアを採用するのは難しいはずなのですから。
さて、次週は「エンジニア出身の罠」について。今週の続きのようなお話になる予定です。
このコラムの裏話のようなサブノートを、こちらのブログに掲載しています。併せて読むと「なるほどな」と思うことが増えるはず。それでは、来週をお楽しみに!