その夜、
他の家族は、
食事中にムカデの歌はないだろう。戦場じゃあるまいしと様也は思っていたが、
長男の数人はまったく音も立てずに食事をしていた。いつものことだが、
- 「数人、
父さん今日いいことがあったんだ」
アルコールが入った勢いでつい息子に話しかけていた。白磁の肌にうっすらと笑みを浮かべ、
- 「それはそれは何よりです。あなたを見ていると、
確率の偉大さに思いを馳せます」 - 「確率?」
- 「世の中には、
“運” や “才能” という言葉がありますが、 すべて確率に置き換えることができます。 “運がいい” あるいは “才能がある” というのは成功する確率が高いと言い換えられます。 “運の悪い” もしくは “才能のない” 人間でも、 試行回数を増やせば、 つまり努力=試行回数を増やせば誰でも成功できるということです」
数人の説明をうなずきながら聞いていた様也は、
- 「そっか! じゃあ、
お父さん、 たくさんがんばって成功しないとな」
ほがらかに様也が言うと、
- 「猿がタイプライターを叩いて
“ハムレット” を打つのにどれほどの試行が必要かわかっている上の発言なのでしょうか?」
数人がぼそりとつぶやいたのを、
- 「あのな。因果関係を見つけたんだ」
父の言葉を耳にした数人の顔色がみるみるうちに暗雲に覆われる。
- 「広告と有料セミナーで収益を上げているビジネスニュースのインターネットサイトのコンサルティングなんだ。分析の結果、
経済記事へのアクセスが増えると売上が伸びることがわかった。経済記事へのアクセスと売上に相関があったんだ」
誇らしげに語る様也の顔に、
- 「これがレポートですか?」
様也の傍らに置いてあった紙の束を、
- 「ナーンセンス!」
数人は一声叫ぶと、
- 「お父さん、
因果関係と相関関係は異なるものだとちゃんと理解していますか? 相関関係は因果関係の必要条件ですが、 十分条件ではないのですよ」
数人の突っ込みに様也は返答に詰まる。
- 「愚かしい……データの神が嘆いていますよ」
数人は美しい顔を歪めて悲痛な表情を見せる。
- 「いや、
わかってるよ! あれだろ! 時系列であとさきがあるだろ。それに原因と結果って意味があって、 結果から原因が起こることはない」 - 「小学生並の答えですね。まあ、
よしとしましょう。相関があっても因果関係があるとは限らないが、 因果関係があれば相関はあります。中には見かけ上確認しにくいケースもありますけど」 - 「アクセスが増えると売上が上がるのは、
わかりやすい因果関係だと思うんだけど違うのかな?」
様也が自信なさそうにつぶやくと、
- 「このような基本中の基本の事項について例を挙げて説明するのは、
知性の光りの届かない底辺に降りるようで本意ではないのですが、 いたしかたありません。たとえばテレビニュースでそのサイトの記事と販売中のセミナーが紹介されていたらどんなことが起きると思いますか?」 - 「そりゃあ、
アクセスは増えるし、 セミナーの売上も増える……あっ?」 - 「気がついたようですね。非常によくある間違いです。Aという要因の影響によって起きた変化BとCには相関があります。しかしそれは因果関係ではない」
- 「ってことは、
経済記事へのアクセスと売上の両方に影響を与えた何かがあるってことかい?」
様也は狼狽している。せっかく上司に褒められたというのに、
- 「1つの可能性に過ぎません。たまたまインターネット全体でビジネスマン向けのコンテンツの利用が増加し、
それにともなってセミナーの売上も上昇した可能性もあります。記事執筆者かつセミナー講師である誰かの人気によるものかもしれません。因果関係を確認したいなら、 もっとちゃんとデータの声を聞かなければなりません」 - 「データの声?」
- 「相関関係は偶然に観測されることもあります。さきほどの例のように未知の要因によって影響されたために相関関係が観測されることもあります。因果関係が逆転しているものもあります。相関関係が認められた場合、
それが因果関係に当たるのかどうかを分析によって明らかにしなければなりません」 - 「だって、
そんなのどうやればわかるんだい?」
様也は恥も外聞もなく息子に尋ねた。コンサルタントに矜持は不要だ。
- 「量的変数であれば偏相関を計算したり、
因子分析を行ったりできます。しかしビジネスの現場では量的変数ではないものが少なくない。この調査は設計からして問題ありそうですね」
数人の言葉は天空から下界に落ちたロンギヌスの槍だ。一閃で様也の胸を貫いたが、
- 「なに言ってるのかよくわからないんだけど。最近の中学校ではそんなことまで教えてくれるのかい?」
- 「中学校で学ぶのは劣った人間との共生方法のみです。新しい知識は得られません。そもそも教師という人間は階級社会の下位カーストですから、
上位カーストの人間に教えられることなどあるはずがありません。残念ながらあなたも下位カーストのようですね」 - 「……下位カーストって、
同じ家族で私はお前の父親だぞ」
様也は、
- 「ナーンセンス! 魂の位は血のつながりとは関係ありません。さてさて、
お父さまは偏相関も量的変数もおわかりでないという。いたしかたありません。 “ちゃらい” 説明をいたしましょう」