グラフ仕事人六道数人~陥りやすいデータ分析の誤りと効率的なグラフの利用方法

第4回因果関係はプロクルステスの寝台 その1

その夜、六道様也(りくどう さまなり)はご機嫌だった。分析を任せられたデータで新しい発見をし、それが次回のプレゼンに採用されることになったのだ。久しぶりにキリンの「秋味」を開けた。仕事がうまくいって呑むビールは格別にうまい。幸い今日の晩ご飯のおかずは生姜焼きなのでおつまにもちょうどいい。

他の家族は、様也のうきうき気分に気づいていたが、あえて無視を決め込んでいた。昔から様也はちょっとしたことを自慢したがるので、話題を振ると面倒くさいと知っている。娘の鳳晏(ぽあ)はヘッドフォンをしたまま食事をし、自分の世界に入り込んでいる。様也の妻であり、二児の母の美希はSyrup16gの『パープルムカデ』を口ずさんでいる。

食事中にムカデの歌はないだろう。戦場じゃあるまいしと様也は思っていたが、あえて口には出さない。妻の美希は音楽のことで文句を言われると、激しくキレて危険だ。

長男の数人はまったく音も立てずに食事をしていた。いつものことだが、不思議だ。食べ物を口元まで運ぶと、するっと消滅する。卓抜した頭脳と美貌といい、やはり尋常ではないと様也は感心する。

  • 「数人、父さん今日いいことがあったんだ」

アルコールが入った勢いでつい息子に話しかけていた。白磁の肌にうっすらと笑みを浮かべ、数人が父親の方に顔を向けた。

  • 「それはそれは何よりです。あなたを見ていると、確率の偉大さに思いを馳せます」
  • 「確率?」
  • 「世の中には、⁠運⁠⁠才能⁠という言葉がありますが、すべて確率に置き換えることができます。⁠運がいい⁠あるいは⁠才能がある⁠というのは成功する確率が高いと言い換えられます。⁠運の悪い⁠もしくは⁠才能のない⁠人間でも、試行回数を増やせば、つまり努力=試行回数を増やせば誰でも成功できるということです」

数人の説明をうなずきながら聞いていた様也は、つまり自分は試行回数を増やして成功するタイプと言われているのだなと気がついた。

  • 「そっか! じゃあ、お父さん、たくさんがんばって成功しないとな」

ほがらかに様也が言うと、数人はそれには反応せず、ごちそうさまと席を立とうとする。

  • 「猿がタイプライターを叩いて⁠ハムレット⁠を打つのにどれほどの試行が必要かわかっている上の発言なのでしょうか?」

数人がぼそりとつぶやいたのを、様也は聞き逃さなかった。

  • 「あのな。因果関係を見つけたんだ」

父の言葉を耳にした数人の顔色がみるみるうちに暗雲に覆われる。

  • 「広告と有料セミナーで収益を上げているビジネスニュースのインターネットサイトのコンサルティングなんだ。分析の結果、経済記事へのアクセスが増えると売上が伸びることがわかった。経済記事へのアクセスと売上に相関があったんだ」

誇らしげに語る様也の顔に、数人は古代エジプトのアヌビス神のごとき眼差しを向けた。

  • 「これがレポートですか?」

様也の傍らに置いてあった紙の束を、数人がぱらぱらとめくる。様也の顔が曇る。

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  • 「ナーンセンス!」

数人は一声叫ぶと、肩をすくめて見せた。妹の鳳晏と母親の美希はまた始まったという感じで、そっぽを向く。

  • 「お父さん、因果関係と相関関係は異なるものだとちゃんと理解していますか? 相関関係は因果関係の必要条件ですが、十分条件ではないのですよ」

数人の突っ込みに様也は返答に詰まる。

  • 「愚かしい……データの神が嘆いていますよ」

数人は美しい顔を歪めて悲痛な表情を見せる。

  • 「いや、わかってるよ! あれだろ! 時系列であとさきがあるだろ。それに原因と結果って意味があって、結果から原因が起こることはない」
  • 「小学生並の答えですね。まあ、よしとしましょう。相関があっても因果関係があるとは限らないが、因果関係があれば相関はあります。中には見かけ上確認しにくいケースもありますけど」
  • 「アクセスが増えると売上が上がるのは、わかりやすい因果関係だと思うんだけど違うのかな?」

様也が自信なさそうにつぶやくと、数人はアルテミスの冷たい知性を秘めた相貌を歪めた。

  • 「このような基本中の基本の事項について例を挙げて説明するのは、知性の光りの届かない底辺に降りるようで本意ではないのですが、いたしかたありません。たとえばテレビニュースでそのサイトの記事と販売中のセミナーが紹介されていたらどんなことが起きると思いますか?」
  • 「そりゃあ、アクセスは増えるし、セミナーの売上も増える……あっ?」
  • 「気がついたようですね。非常によくある間違いです。Aという要因の影響によって起きた変化BとCには相関があります。しかしそれは因果関係ではない」
  • 「ってことは、経済記事へのアクセスと売上の両方に影響を与えた何かがあるってことかい?」

様也は狼狽している。せっかく上司に褒められたというのに、もしかしたらまったくの見当違いだったかもしれない。

  • 「1つの可能性に過ぎません。たまたまインターネット全体でビジネスマン向けのコンテンツの利用が増加し、それにともなってセミナーの売上も上昇した可能性もあります。記事執筆者かつセミナー講師である誰かの人気によるものかもしれません。因果関係を確認したいなら、もっとちゃんとデータの声を聞かなければなりません」
  • 「データの声?」
  • 「相関関係は偶然に観測されることもあります。さきほどの例のように未知の要因によって影響されたために相関関係が観測されることもあります。因果関係が逆転しているものもあります。相関関係が認められた場合、それが因果関係に当たるのかどうかを分析によって明らかにしなければなりません」
  • 「だって、そんなのどうやればわかるんだい?」

様也は恥も外聞もなく息子に尋ねた。コンサルタントに矜持は不要だ。⁠ゲシュタルト崩壊』を起こした妻の美希は『真っ赤な糸』を口ずさみながら横目で夫をにらむ。

  • 「量的変数であれば偏相関を計算したり、因子分析を行ったりできます。しかしビジネスの現場では量的変数ではないものが少なくない。この調査は設計からして問題ありそうですね」

数人の言葉は天空から下界に落ちたロンギヌスの槍だ。一閃で様也の胸を貫いたが、本人はまったく気がついていない。

  • 「なに言ってるのかよくわからないんだけど。最近の中学校ではそんなことまで教えてくれるのかい?」
  • 「中学校で学ぶのは劣った人間との共生方法のみです。新しい知識は得られません。そもそも教師という人間は階級社会の下位カーストですから、上位カーストの人間に教えられることなどあるはずがありません。残念ながらあなたも下位カーストのようですね」
  • 「……下位カーストって、同じ家族で私はお前の父親だぞ」

様也は、父親という言葉に抵抗を覚えながら口にした。この少年は自分の子どもではないという思いが強まる。できすぎなのだ。自分と妻の間に生まれた子どもらしく、妹の鳳晏は成績も性格も顔も悪い。

  • 「ナーンセンス! 魂の位は血のつながりとは関係ありません。さてさて、お父さまは偏相関も量的変数もおわかりでないという。いたしかたありません。⁠ちゃらい⁠説明をいたしましょう」

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