議論を“絵”にするって?
はじめまして。企業の会議や研修に立ち会って、その場で「議論を絵にしていく」仕事をしている、“グラフィックファシリテーター”のやまざきゆにこ、と申します。
と、いきなり名乗っても「グラフィックファシリテーターって何?」「議論を絵にするってどうやって?」とほとんどの方に聞かれますので、まずは写真をご覧ください。
上の写真は、NTTグループ企業の研究者やプロデューサー、営業の方々などバラエティ豊かな面々が毎回集まる『知恵の和ワークショップ』という場でグラフィックファシリテーションを実践している様子です。今回特別に掲載許可をいただきました。
企業の会議や研修、勉強会に立ち会うことが多く、なかなか具体的な内容までお見せすることができないんですが、私の場合は、こんな感じで描いてます。(“私の場合”と書くのは、絵=グラフィックは人それぞれ個性あるものと日頃から感じるので、これはあくまでも私=ゆにのグラフィック…という気持ちからですが)なんとなく「議論を絵にする」というイメージはつくでしょうか?
会議に“水森亜土”がいる感じ!?
通常、ワークショップでの私の立ち位置は、メインのファシリテーターのかたわらで、ひたすら壁に向かって黙って絵を描いています。
「そんなにずっと描き続けて疲れない?」と聞かれることも多いのですが、とにかく私にとっては楽しくてたまらないこの仕事。見たことのない方には「会議に水森亜土がいる感じです」と言って説明したりもするんですが、そう聞いて「なんとなくイメージつくね」と思ったあなたは、もしや30代以上の方ではありませんか?
というのも、ちょっと話がそれますが、最近、水森亜土さんを知らない若手社員に多数遭遇(ガ~ン)。一方で「え?! 歌って描けるの?!」「ガラスに描いちゃうの?!」と、いらぬ誤解も招くので、最近この一言で表現することはすっかり自粛気味です…。ともかく、「楽しく描いているんだな」ということを感じていただけるとうれしいです。
ただ、実際は鼻歌を歌う余裕すらありません。その都度、議論の目的もテーマも業界も違ってきますし、展開も読めませんので緊張感は高いです。特に、先ほどの『知恵の和ワークショップ』にいたっては毎回、最新の研究、技術に関する内容がほとんどなので、参加した当初は「無線ってナニ?!」「UWB? うるとらわいどばんどぉ~?ってナニ?!!」といったところから本当にドキドキでした。
しかし担当の方から「いろんな立場の方が来られますからね」「研究者であっても専門外のテーマであれば初めて聞く内容の場合も多いんですよ」という言葉をかけていただき、「私の絵=グラフィックも一役買えるんだ」と感じて参加させてもらっています。
共通言語に「グラフィック」
私のグラフィックを活用していただく多くの場合、様々なバックグラウンドを持った人が集まる「場」に呼ばれることが多いようです。例えば、年次が違う、専門としている職種が違う、事業部が違う、国籍が違う、クライアントを交えたプロジェクト会議という場もありました。
上の写真は、「日本語を書いても読めない」という参加者が半数を占めている国際色豊かなワークショップでした。私自身日本語を使わず描くという貴重な体験をさせてもらいましたが、「これぞ究極のファシリテーショングラフィック?!」と、絵=グラフィックだけで伝わる世界はちょっとした感動体験でした。まさにグラフィックが共通言語になった瞬間。海外の方が特に「わかりやすい」「記憶に残る」と喜んでくれたのが印象的でした。
参加者の人数は5~6人の会議から20人~40人、100人超の研修やワークショップと規模も様々です。その中で「共通のビジョンを描きたい」「顧客(ユーザー・カスタマー)をもっと具体的にみんなでイメージしたい」「議論にもっと広がりを持たせたい」 といったことから、「絵にしてほしい」と声をかけていただいています。
拾う!拾う!拾う!
「何かルールを決めてまとめているの?」「話している内容から何をどう抜き取ってるの?」「その技術を教えてほしい」と言われることがあります。でも、いつも「う~ん」と唸ってしまいます。“まとめる”とか“抜き取る”というのとはちょっと違う感じがしているからです。
私の場合、とにかく議論をずっと追いかけているので、まる2時間、まる1日、まる3日、絵を描いているときはほぼランニング状態。振り向くヒマもなく、考える前に手が先に動いている状態も多いんです。もはや“脊髄反射”です。そんな状態の私は、考えて“抜き取る”というよりも、“拾い続けている”という表現のほうがしっくりきます。つまり、議論を絵にするとは、私にとっては議論を拾う行為に近いと思います。
拾っているだけなんて、「そんなファシリテーションは頼りない」と感じる方もいると思います。私も最初の頃は「上手に描けなかったらどうしよう」「まとまらなかったらどうしよう」と緊張していた時期もありました。しかし、毎回描いた後に絵を振り返る作業をするのですが、すると必ずキラリと光るものやいい流れ、もしくはその逆の淀みや濁りといったものが拾い続けた絵の中に残っているんです。
「左脳では見えなかったこと」がパーっと見えてくる感じ!
例えば、議論に参加した人たちの発した言葉を拾い続けた結果「一人のカスタマーの日常生活」が描けていたり(光るもの・いい流れ発見!) 、 逆に描けないまま絵に穴が開いてしまったときには「顧客の視点が欠けていたから空白ができちゃった」(淀み・濁り発見!)なんてことが見えてきたときもありました。「ゴールの絵を描いてほしい」と期待されることが多いのですが、ほとんどの場合、ゴールの手前にも、本当にたくさんの「見えていないこと」があるんですね。
じぶんが描いた絵の中に、そんな“議論の姿”を発見するたび、「無駄な議論なんて1つもないんだ」という確信が大きくなっていきます。だから、やっぱり拾い続けてしまう。それが私のグラフィックファシリテーション。
しばしば、「参加者の多くが“なんとなく、こっちのほうがいいな”と感じている方向にしか、結局、議論が流れていかない」という現象を体感するときがあります。そのときも(当事者である参加者たちがはっきり気付いていない場合でも)、確実に絵の中にはいい流れが残っているんです。
「見えていなかったものが見えてくる」。それはときには凝り固まった大人の左脳を打ち破ってくれるほどの体験だったりします。ゴールや課題がまだはっきり見えていなかったもやもや状態の議論が、グラフィックを使うことで、パーっと晴れたとき、そこに集まった人たちの意識や意気込みが一気にゴールに向かって走り出す加速感は感動すら覚えます。企業や組織の事業判断・意思決定の一助になれると真面目に信じてしまう瞬間です。しかし、いい流れが必ずすぐに見つかるという約束はできません。だからこそ私ができることは、ひたすら愚直に「拾って」「拾って」描くこと。
もっと具体的なお話は次回以降で、さらに詳しくお伝えできればと思います。いい議論が生まれるポイント、議論が上手く流れていくキッカケなど、グラフィックを通して私自身が実感している中から、みなさんにとって日々の業務に役立ちそうなことを、この場を借りてできる限りご紹介していこうと思います。
ということで、今日のところはここまで。次回以降もどうぞよろしくお願いします。グラフィックファシリテーター、ゆにでした。 (^-^)/