こんにちは。“グラフィックファシリテーター”のやまざきゆにこ、です。第1回で「その場で議論を“絵”にしています」と自己紹介しましたが、今回はもう少し具体的に私が日頃、どんな“絵”を描いていて、“絵”にすることによって、何が見えてくるのか、どんな効果が得られるのかということについてご紹介します。
「カスタマー」を描く 「ユーザー」を描く
「“絵”にしてほしい」と企業から依頼を受ける中の1つに、「“カスタマー”を描いてほしい」という声があります。
もう少し具体的に言うと、例えば、新商品を検討する企画会議や社員全員でこれからの事業ビジョンを描くといった研修の場で、
- 「我々がサービスを提供しているのはどんな“カスタマー”なのか、具体的に絵にしたい」
- 「どんな“顧客”がターゲットになりうるのか、絵を使ってメンバー全員できちんと共有したい」
といった声です。「カスタマー」「ユーザー」「生活者」「消費者」「お客様」…呼び方はいろいろですが、その背景には、事業のトップやプロジェクトを引っ張るリーダーにはメンバーをまとめるうえで共通の悩みがあるようです。
- 「みんながそれぞれ勝手な“顧客”を想像して話をしている」
- 「そもそも“お客様”の顔が見えていない」
- 「共通認識を持たないままではいつまでたっても議論がズレる」
- 「何度“ターゲット”について話しあっても職場に戻ると忘れてしまう」
- etc.
そこで、事業やプロジェクトを遂行するために、メンバーと共通認識を持つ1つのツールとして「“絵”を使いたい」という声です。
あなたが想像している「カスタマー」ってどんな人?
ある会社の研修で「カスタマー」を描くことになりました。集まったのは、年次も職種もバラバラの40人ものメンバー。そこで実際、私は何をどう描いたか。ここで少しご紹介したいと思います。
参加者は入社したての新人から、社歴の浅い転職者、20年以上のベテラン社員まで本当にいろいろ。職種も、営業や企画、制作、開発と、とにかくバラエティーに富んだメンバー構成でした。
その研修では、ある“高額商品”を購入する「カスタマー」について話し合っていました。
- Aさん:「購入するのは“子どもを持たない共働き夫婦(DINKS)”が多いんじゃない?」
- Bさん:「お金を自由に使える“独身男性”はどう?」
- Cさん:「でも一番多いのはやっぱり“ファミリー層”でしょう」
私はまずはひたすら、その場の会話や議論から聞こえくるものを、次のような絵にしていきます。
ここで「え?こんな“絵”なの?」とガッカリした方がいるかもしれません。イラストの仕事をしている人が見たら「へ?この程度?」と拍子抜けするかもしれません。でも…私の絵はこの程度の“絵”なのです。
これはまったくの言い訳ですが(!)、どんどん議論は進んで行ってしまうので、前回も書いた通り、私にとって“絵”にする作業は“脊髄反射”。このときも確か「DINKS」と聞いて頭に思い浮んだ夫婦像を描いただけ。正直、上手に描くのは二の次、三の次。
前回いただいた感想メールの中には「ゆにさんの仕事はマインドマップみたいなものですか」とか「議論を絵によるロジックツリーまたはピラミッドストラクチャーにプロットしていくことと理解しましたがあっていますか?」といった質問がありましたが、(マインドマップのことをよく知らないので、はっきりした違いは言えませんが)私の描き方には、特にルールもないんです。というと、これまた期待ハズレでしょうか。
ただ、とにかくこの「DINKS」の絵を描いたときは、恐らく私の頭の中ではその瞬間に「子どもが居ないので結構気楽なカップル?」「じぶんたちの趣味を思う存分楽んでそう」「犬を飼ったり週末はゴルフに行ったり?」といった具合に思いつくまま描いただけ、だったと思います。
「キザな男!」
でも、こんな程度の“絵”でも、“絵にする”ことで気付きや発見、議論の広がりを起こすことはできるんです。
「この男性、ちょっとキザすぎな~い?!」
参加者の1人が私の独身男性の絵を見ながら指差して笑いました。
これはうれしいツッコミでした!その理由はまた後ほど説明しますが、その場が目指すゴールとはまったく関係ないようなことでも、“絵”を媒介に会話が盛り上がっていく様子は、グラフィックファシリテーションの醍醐味でもあります。
もう1人がこんなことを言いました。
「こういう一人暮らしの男性の部屋って、結構プラズマテレビとか高性能のオーディオとか置いてそうだよねー」
「うんうん」「居そう居そう!」と頷くみなさん。さっきまで「転職してきたばかりでよくわからない」と自信無さそうに発言していた人も楽しそう。
「例えば○○くんとか?」
これは内勤社員の発言。身近な人の名前まで出てきたら、もう、キザだナンダと言われ放題だった「独身男性」のカレ(?)も、“絵になった”甲斐があったというもの!今までただの「独身男性」という単語だったカスタマーの顔が、具体的に参加者に見えてきたと言えるのではないでしょうか。
議論が、増える、広がる、転がっていく…
聞こえてくる議論を描いているうちに、私自身も触発されて、勝手に思いついて描いてしまう絵もあります。
このときは“高額商品”を購入する「カスタマー」ということで、「30代独身女性」を描きました。シャツ襟を立てて颯爽と働く女性…。結構お金を持っていたりしますからね~。
「私も思いついたので、こんな絵も描いてみました」
と伝えると、ベテラン社員の方からこんな発言。
「この商品ターゲットは、男性だとばかり思い込んでた…」
「これからは女性にも絶対買ってもらいたいよね」
「女性にフォーカスした商品戦略もあってもいいよね」
そこで私は次の絵を描き足しました。
参加者に気づきや発見が起きてくると、その場の“議論”がなんだかコロコロといい音をたてて転がって行く感じがします。
コーヒーブレイクをはさんだ後、若手社員からこんな発言も出てきました。
「今、ニートと言われてるような若者は、将来買うのかなあ」
「親がお金出してくれるかもね」
私はまたそれらを描き足しました。
みんなの「カスタマー」を“絵にする”その効果
“絵”にすることで、何が見えてきたのか、その場でどんな効果が生まれたのか、改めて書き出してみます。
最初はなんとなくモヤモヤしていた「カスタマー像」
まず、一人一人が想像する「カスタマー」を描いていくと、「イメージしていたカスタマーは1人か2人しか居なかった」と言う人。「言葉ではわかっていたけど生活シーンまではイメージしていなかった」ことに気付く人。それ以前に「まったく想像できていなかった」と感想を漏らす人は本当に多いです。
“自分の認識の曖昧さ”や、じつは“具体的には何もイメージできていなかった自分自身”に≪単純に気付く≫ということは、目からウロコが落ちるような体験だったりもします。
また、参加者の頭の中でそれぞれ描いていた「ファミリー」や「DINKS」を1つずつ絵にしていくと、じぶんにとって「それは考えてもいなかった」ということに気付かされたりします。隣りの人との認識の≪ズレ≫に気付く瞬間です。「カスタマー」という言葉1つに対して、自分と他人とでは(日頃一緒に仕事をしている仲間であっても)、認識に違いやズレがあるということが、いやでも浮き彫りになってきます。
一方で「カスタマー」という1つの言葉にどんどん参加者のイメージが追加されていくことで、1人では想像できなかったことも補完しあえます。“絵になったカスタマー”達を眺めていると、「独身女性は?」「ニートは?」といった≪ヌケ・モレ≫にも気付くという効果もあります。絵をヒントに「働く女性向けの商品戦略を考える」といった新たな発想が広がっていくというグッドスパイラルを生む効果もありました。そして気付けば、壁に向ってそんな会話を交わしていくうちに、“入社年次も役職も関係なく議論できる場”も生まれていました。
“不完全・不正解な絵”、その効果
グラフィックファシリテーションを始めたころ、私自身、描きながらも「間違っていたらどうしよう…」と不安に感じていた時期がありました。でも何度描いても、文字(テキスト)で残る議事録のように正しく議論を書き留めることはできない。“正しい”絵は描けない。そして殴り書き、落書き状態の絵はアートとしてもまったく“不完全”なんです。
でも、そんな私の“力不足”のおかげ(!)で≪ツッコミ≫の余地が生まれ、議論が広がるという効果があったんです。私が描いた独身男性の絵に「この男性、ちょっとキザすぎな~い?!」という「うれしいツッコミをもらった!」と書いたのもまさにそのこと。私の絵を見て「違うな~。オレがイメージしていたカップルはもっとこんな感じ!」なんて≪ツッコミ≫もその1つ。私の絵の足りない部分を、参加者が埋めようとみんなの脳みそが動き出すんです。
というのも、議論をしていて、大人って、驚くほど思い込みが強かったり、聞いているようで聞いていなかったり、他人の発言に興味すら抱いていないと感じる場面に遭遇したことってありませんか?「どういうことかな?」といった小さな疑問も、「へ~」といった子どものような好奇心も、もっとシンプルに「おもしろい!」といった感想すら生まれてこない。でもそれでは、議論は広がらないし、盛り上がらない。まして自由な発想なんて生まれにくい。
しかし、それが、私の“不完全・不正解な絵”ゆえに、子どものような好奇心や疑問、シンプルな感想がよみがえってくるんです。一人一人の発言が少しずつ自由になって、解きほぐされていくのが伝わってきます。日常の仕事モードから解放されて、発想に広がりが見えてきます。イキイキと≪ツッコミ≫を入れてくれる参加者を見ていると、こちらもうれしくなってマーカーを手渡して「ここに描き足してください!」と言ってしまいます。こうした効果を体感してから、私自身、“不完全・不正解な絵”をためらうことなく、というよりすっかり“開き直って”描けるようになりました。
私が“勝手に”思いついて描いてしまった絵も、「もしかして余計なことをしてるのではないか?」とためらったときもありました。
しかし、もしも、私が「参加者の予想した通りの絵」だけを描いていたらどうなるのでしょう?参加者には驚きも、疑問も、発見も起きない。それは、まるで読まれない議事録のようなもの…。それなら私のグラフィックファシリテーションは必要ないと思うんです。
当事者が感じたこととは違う視点で切り取れた絵だからこそ、見る人に、疑問なり、質問なり、何かしら感じるものを与えることができる。そしてそれが、例えば「女性にフォーカスする」といったように、新たな議論や発想を生むキッカケになる可能性がゼロで無い限り、“勝手に・自由に”私も壁紙の上で議論に参加させてもらおう!と思えるようになり、今ではためらわず筆を動かしています。
“感じたこと”を伝える、その効果
いずれにしても議論を止めることはなく、1時間後、2時間後にグラフィックを説明するファシリテーション業務まで、ひたすら描き続けています。そして、いざグラフィック説明をするときに、じぶんの中に起きた現象を“感じたままに”伝えています。
例えば…
- 「『DINKS』と聞いて、私の想像したのは小型犬を散歩させるカップルでした」
- 「『高額商品を購入するカスタマー』の議論を聴いていて、私が思い出したのは、身近にいる独身女性…」
といった感じで、なぜこんな絵を描いたのか、じぶん自身を確認するようにグラフィックの解説をしていきます。
描いている真っ最中は、“考えて描く”と言うより、“感じて描く”という感覚に近いため、グラフィックを説明するときも、議論を聞いて私は”どう感じて”絵にしたかを伝えることになります。これも私の“勝手な感じ方”ともいえますが、どんなことでも伝えることで、参加者がこれまでの“じぶんたちの議論の流れをふりかえる”キッカケになる。そして俯瞰したときに、何かしら(それが違和感であっても)、気づきや発想、話題の方向転換など、参加者に起きるさまざまな効果を目の当たりにするたびに、これもまた、ためらわずに伝えていこうと思うことの1つです。
描き“留める”、その効果
ところで、絵を描くことなしに、この議論が進んでいたらどうなっていたんでしょうか?
- Aさん:「購入するのは“子どもを持たない共働き夫婦(DINKS)”が多いんじゃない?」
- Bさん:「お金を自由に使える“独身男性”はどう?」
- Cさん:「でも一番多いのはやっぱり“ファミリー層”でしょう」
“語られた言葉”=(音)だけの言葉は、いくらいい発言であっても“その場から流れて消えてしまう”ような気がして、私はとっても不安になります。
意外に人って、他人の話をきちんと聞いているようで、好きなところだけかいつまんで聞いていたり、じつは大事なことを聞き流していたりするもので、1対1の会話であれば軌道修正は可能ですが、複数人が顔をそろえる研修や会議という場では、全員が同じように聞いてくれているとは限りません。
そんなとき、とにかく“絵にする”という作業は、その発言そのものを≪定着させる≫ことができる“安心感”があります。
また、その場で生まれた発言の中身をもう一度見直してみると、じつは探していた答えが見つかったりするんです。新しいものを生み出す議論の場に立ちあうことが多いせいかもしれませんが、じつは何も無いゼロの状態からヒラメクことは多くなく、ほとんどの場合は、「流されてしまった議論」や「うまく伝わっていなかった」ことの中で、じつはすでに語られていた、といった体験をします。
そんなダイヤの原石が落ちているかもしれない議論が、流れて消えてしまっては探し出せない。でも、絵として描き留めておけば、話題から消えたとしてても、絵には残っているので、またその発言・議論に≪立ち返る≫こともできる。改めて眺めることで見えてくることが必ずあるんです。
今日は「カスタマー」という単語を例に紹介しましたが、具体的でよりインパクトの残る形で、共通認識を持ち帰れるようになる方法はまだまだあります。
ただ一方で、必ずしも毎回スムーズに描けるわけではなく、どうしても筆が止まってしまい、壁の前で“悶絶”してしまうときもあるんです。それはどんな状況なのか、それはなぜか、ということから、いい議論の特徴などが見えてくるわけですが…この続きは次回にいたします。
ということで、大変長くなりましたが、今日のところはここまで。第3回もぜひお楽しみにしていてください。グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/