というイメージです。
こんな無表情のロボットたちがいる職場からは、楽しい笑い声は聴こえてこない。人肌のぬくもりも感じられない。なんだか淋しい感じがしてきたので、紙面一面、水色一色で塗ってみました。冷たい空気が流れています…。
考えることを忘れたロボット
上の絵も「ロボット」を描いていました。このときの話題は「現代のネット上の溢れる情報をみんなはどう扱っているか」。
「情報に踊らされている人もいる」「でもネットのおかげでどんどんいろんなことを調べるようにもなった」
そんな会話から描いた、絵:左上の人は、上からどんどん降ってくる情報というボールを「じぶんから知りたくて取りに行っている人」です。
対称的に、絵:右上の2人は、「じぶんからボールを取りに行かない人」です。
「最近の大学生は論文を、ネットからコピペして作っていることが問題になっている」「じぶんで考えて仮説を立てたり、調べたりしなくても、ネットを使えば論文はつくれる」「知らなくても必要なときにネットで調べればいいという若い人の発言を聴いて驚いた」という話から、情報というボールがどんなに降って来ても、家の中でじっとして無駄な動きをとらない人というイメージで、2人のまわりを枠で囲って描いてみました。
これらの絵を、改めて、議論の当事者であるみんなさんと俯瞰していたときに「昔に比べて、考えてない?」「考えなくてもよくなってきているのかも」という言葉から、思わず「ロボット」を描いてしまったのですが、「どんどん情報ボールが降ってくる」=「与えられるものが多い」という状況は、工場に居る「ロボット」と似ています。そして、じぶんから無駄な動きをしない人たちも、指示命令がなければじぶんでは動けない状態と、とてもよく似ています。ものすごい速さでネットを使いこなしているのだけれど、じつは頭の中は動いていない「思考停止ロボット」です。
感じることを忘れたロボット
上の2つの絵は、数字や成果を求める経営層、会社のイメージです。そんな会社の中ですっかり「ロボット」になってしまった従業員たちを描きました。「不感症」という文字が目立つかもしれませんが、右下の3人のロボットにも注目です。名付けて「見ざる・聞かざる・言わざるロボット」。
このときの議論のテーマは「人が活き活きと働くには」だったのですが、現状について、以下のような話題になりました。
- 「それでなくてもこの景気。会社からは短期的な成果ばかり求められる」
- 「現場は疲れている」
- 「隣りの人がどんな仕事をしているかわからない」
- 「メールで会話している。直接話をしていない」
- 「メールを読んでいないと叱られる」
- 「じぶんのメールへの返信がないと、『なんでわたしのメールは読んでくれないの』と思ってしまう」etc.
それらの発言を聴いていたら、会社の中に不健全な空気が流れているイメージがしてきました。そこで、ビルの中をどんよりとした紫色の空気が漂っているイメージで塗ってみました。そして、そのあまり体に良くなさそうな紫色の空気から、従業員はじぶんの身を守るために、バリアを張って跳ね返そうとしているうちに「ロボット」になってしまった、というのが絵:左下の「ロボット」です。しかし、今のこの現状に比べて「以前は、ここまでどんよりした空気は社内にはなかった」という議論にもなりました。
- 「昔は、声の大きな上司の話にはなんとなく耳を傾けていた」
- 「『今日は飲みにつきあわされそうだ』と覚悟していた」
- 「最近は、職場が静か」「大きな声で話しかけたりする人も減った」
- 「以前は、上司がふらふら歩いて部下に声をかけていたから相談もできた」
- 「最近は、そういうやりとりもないから気付くと一人で抱え込んでいたりする」
- 「もっと五感で感じないと」
- 「感度を上げていかないと」
絵:左下の「ロボット」は、周囲や上層部からの雑音をすべてシャットアウトして、バリアを張った状態です。その辛さ・厳しさからじぶんの身と心を守るため。絵:右上の「ロボット」は「心ってなんだっけ?」と言っています。すっかり「人間であったじぶん」を忘れてしまった様子です。バリアを張ってじぶんの世界に入ってしまった「ロボット」たちは、外のことには「見ざる・聞かざる・言わざるロボット」になってしまいました。そんな外部との接触を自ら断った「ロボット」たちは、まさに「不感症」になっています。「不感症ロボット」だらけの職場は、なんだか無音状態の白けている感じがしてきました。なので、色は何も塗らないでおきました。
「ロボット」から「生身の人間」へ戻すには
初めて、絵筆が「ロボット」を描いてしまったとき、 わたしは 内心、 冷や冷やしました。 その場で、なぜこんな絵を描いたのかを解説するグラフィックフィードバックのときに、「御社の職場は『ロボット』だらけです」というのはさすがにまずいのでは? 失礼では? という躊躇があったからです。しかし、それからこうして「ロボット」を描く回数が重なるうちに、今では、「かなりの企業や学校に、プロジェクトや組織に、社会全体に『ロボット』が蔓延・増殖しているのでは?」という危機感すら感じているのですが、みなさんの知る職場ではどうでしょう?
ただ、同時に、そんな「思考停止ロボット」や「不感症ロボット」が、ふたたび「生身の人間」に戻る絵も描いています。 その1つでわかりやすい例が下の絵です
モビルスーツを脱いで、中から「生身の人間」が顔を出してきました。まず、左の絵。だれかのやさしく温かい手が「ロボット」に触れました。その手の温かさに触れてさっきまで無表情だった「ロボット」の顔がポッと赤くなっています。すると、「ロボット」の背中にじつは隠れていたジッパーが外れて、中からその人本来の「生身の人間」が出てこられたという絵です。それは人肌に温かい、「温かい心を持っている人間」です。
どうせ一緒に仕事をする仲間なら、「ロボット」とではなく、中に隠れている本来の「人間」としたいですよね。 今後も「ロボット」は至る会議で描くと思いますが、そのときに「ロボット」を描いて終わりには決してしないで、「どうしたらこのモビルスーツを脱がせてあげられるか」「具体的にはどんな温かい手をさしのべてあげたらいいのか」そんな話までを絵にしたいと思っています。たとえば、このとき聴こえてきたのはこんな「温かい手」です。
- 「いつもお互いを気にかけているという関係がいいよね」
- 「困っているときは助けあう関係でありたいね」
- 「助けるばかりでなく、きみならできると黙って見守るもことも大事だね」
職場に帰って即実行できるような絵を、1つでも2つでも描いて、持ち帰ってもらうことが、わたしにできる目下の「思考停止ロボット」「不感症ロボット」への刺激策かなと思っています。
私の絵筆が「よく描く」という現象には、もしかしたら、その組織やプロジェクトに限らない、社会全体に共通してみられることかもしれないと感じています。もう少しこの私の絵筆が「よく描いてしまう」を検証してみたいと思っています。というのも「ロボット」以外にも「よく描いてしまう絵」というのが、まだまだいくつもあるんです。ということで、次回も楽しみにしていてください。
今回はここまで。 グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/