こんにちは。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。
前回は、喋っちゃダメーッ!の「バッテン」マスクが描ける話を紹介しました。主に「上司」や「喋り過ぎの人」の口元に思わず「黙っててくださいね」と描いてしまった絵。一方で、それとは対称的に、主に「部下」や「若手」に多く描ける、まったく違う意味をもつ「バッテン」マスクがあるのです。今回はそんなもう1つの「バッテン」マスクが描けるお話です。
「もう何も言わないゾ…」
次の絵は「もう何も言わないゾ」という意志のもと、じぶんから「バッテン」マスクをしてしまった若者です。すっかり黙り込んでしまっている状態です。
もちろん、会議室で実際にマスクをしているわけではありません。でも、わたしには、彼らがじぶんからマスクをして、頑なに口を閉ざしてしまっているように見えて、思わずこんなふうに描いてしまいました。
このような絵が描ける経緯には、たいてい次のような会話があります。
「いろいろ上司に提案したけれどダメ出しばかりされた」
「言っても、聞いてくれない」
「言わせてもらえない」
:
「言ってもしょうがない」
「言っても変わらない」
:
「もう言わない」
親に振り向いてほしい子どものような絵に描けるので、最初は「意地を張っているだけかな」と思っていました。でも、会話に耳を傾けていると、彼らの頑なな感じは度を増して、口だけでなく、心まで閉ざしてしまったようにも聴こえてきました。
「余計なことをいうと仕事が増えるから…」
「どうせ上司が変わらなければ何も変わらない…」
「いっそ他の部署に異動させてくれないかな…」
「バッテン」マスクを脱ごうとしない人たち
じぶんから「バッテン」マスクをしてしまった部下たち。しかし上司の目には部下の「バッテン」マスクは見えていない。この状態はちょっとほっとけないなと思いました。
「バッテン」マスクの彼らには「本当は言いたいことはあるけれど、言わせてもらえない」という不満を抱え込んでいる様子が目に見えます。そこで彼らからまだ、何かを「伝えたい」「わかってほしい」というエネルギーを感じられればいいのです。
けれど、ずいぶん長い間「もう何も言わないゾ」という「バッテン」マスク状態にあった人たちの場合、じぶんからそのマスクを脱ぐ気配がしないのです。じぶんからマスクを外して物申してやるぞという気概は感じられません。
組織がこんな状態のままでは、さすがによくないですし、どのように変えていけるのかと思っていました。
「ネガティブな状態」こそ共有できると議論は進む
しかし、そんなわたしの心配をよそに、実際の会議では、このじぶんたちの「バッテン」マスクが目に見えたところから会話が変化し始めました。
「そうそう! まさにこんな感じ!」
出席者のみなさんが、その絵を指差して集まってきました。しかも、絵巻物の中に現れた「バッテン」マスクのじぶんたちの姿を見て、出席者のみなさんは、ちょっとどこかうれしそうです。
「特に○○さんと□□さんが居ると言えないよなー」
「言えね~」
「黙っていても、必ず△△さんが質問するし」
「発言する人は決まってる」
「どうせ意見したところで、それをやることには変わりないんだから言う必要はないんじゃない?」
必ずといっていいほど「ネガティブな状態」とも言える絵には、こうして人が集まってきます。そしてかなり議論が盛り上がります。日頃の愚痴や不満もたくさん聴こえてきます。このときも、参加者のみなさんからは、今まで溜め込んでいたものが一気にあふれ出てきたといわんばかりに議論が止まりませんでした。1時間ぐらい続きました。「自分だけが辛いと感じていた」と思っていたことを、初めてみんなと共有しているという時間でした。
そして1時間以上経ったころ、ふと、こんな声が聴こえてきました。
「でもさ、知らず知らずのうちに、じぶんたちも、いろんなことを諦めちゃってきているんだな…」
別の人からは、次のような声が聴こえてきたのです。
「もしかしたら自分のグル―プメンバーも(先輩である自分に対して)同じようなマスクをしているかもしれない…」
「ネガティブな状態」のじぶんを俯瞰できると速い
絵巻物の中で「バッテン」マスクをしているじぶんたちを目の当たりにした彼らは、「いろんなことを諦めている」自分自身に気付き、「同じようなマスクをしているかもしれない」自分の部下たちのことに気付きました。これらは日頃抱えていた辛い思いや不満が一気にあふれ出たからこそ、聴こえてきた声でした。
愚痴や不満は、わたしにとっては会議では描かずにはいられない発言です。愚痴や不満が聴こえてきたときこそ、新たな一手を、必ず参加者自身がじぶんたちで見つけ出していくからです。「バッテンマスクの状態の自分自身の姿を見てハッとした」といった人も居ました。
絵筆で議論を追いかけている会議の多くは、必ずといっていいほど、じぶんたちの「ネガティブな状態」を共有したところから大きく変化し始めます。「じぶんたちで」自分自身に気付くまでには多少時間はかかります。でもそれは、上から言われて何かを実行するよりも、ずっとその言葉に本物感が出てきます。何より実行力がある。
その会議室の人たちの口からはすっかり「バッテン」マスクが外れていました。
日頃吐き出せていない「感情」こそ、共有してほしい
絵筆を持って議論を追いかけていていつも思うのは、みんなが普段から「嫌だなあ」とか「辛いなあ」と思っている[感情]こそが、聴き逃せないということです。会議の常識で[感情]を扱うことはタブーとされていると思います。でも、「もう何も言わないゾ」と頑なに口を閉ざした「バッテン」マスクに現れたこの[感情]こそ共有してみてほしい。
「グラフィックファシリテーターでもないのに、会議でバッテンマスクなんて描けないよ」と言われます。確かに、会議室にマスクが目に見えて存在しているわけではないため、はっきりと[頭]では認識できません。でも、こうやって絵になるたびにいつも思うのは、発言しているみなさんの[心]はすでに、それを知っていたような気がするということです。[心]では十分[感じている]。だからわたしの絵筆が動いたのだと。議論しているとき「目には見えていない」けれど、じつはだれもが「そこにある」と実感していたものが、絵巻物にはしばしば描き出されているのだと思います。
会議が始まる3時間前は「こんなマスクをしているなんて気付いてもいなかった」状態だった。それが今はみんなで共有できたことで見えないまま議論していたときより、格段に議論は前進している。
これを、もう少し違う表現で言い換えてみると、次のようになると思っています。
会議をする前は、一人一人がじつは「嫌だなあ」とか「言ってもしょうがない」と感じていた。それが今はそうした「感情」をみんなで共有できたことで、
お互いの気持ちが汲み取れて、格段に議論は前進している、と。
ただ情報を共有するだけでは、いつも何か大事なものを置いてきぼりにしたまま、議論が進んでいるように感じてならないのです。(会議で[感情]を扱う方法については、また別の機会に書きたいと思っています)。
さて、次回はこんな「バッテン」マスクを脱がせるヒントとなる絵をご紹介したいと思います。「バッテン」マスクは、年齢・性別・役職・立場に関係なく、そのときどきの人間関係において、だれにでも描けるマスク=[感情]ですが、やっぱりマスクはないほうが、みんな活き活きとした表情に描けますからね。ということで、今日のところはここまで。
グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/