こんにちは。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。
前回は、会議で「ナミダ」が描ける話を書きました。会議室で、だれかが泣いていたわけでも、悲しいと言ったわけでもないのに、描ける絵。目には見えていないけれど、その存在に気づけると、議論の流れをガラリと変えてくれるもの。今回も、会議をいい流れにしてくれる大事な絵を紹介します。
それはとってもいいプレゼンでした
わたしがよく参加する会議の1つには、これまでにない新しい事業や商品を生み出そうという目的で、バックグラウンドの違う多様なゲストやステークホルダーが集まる会議というのがあります。まだ漠然としたイメージの商品やサービスに対して、参加者に実現させるための意見やアイデアを出しあってもらう、初期段階の議論です。
そんな会議ではたいて、冒頭に10分、15分のプレゼンテーションが用意されています。プロジェクト責任者や発案者からの趣旨説明です。スライドでプレゼン資料が投影され、参加者にも資料が配布されます。
そしてプレゼンが終わると、質疑応答も含めて、いろんな角度からの声を吸収して、今だ見ぬ未来を創り出していく、というわけです。しかし、多くの場合、ビジネス性を検討するうえで聴こえてくるのは、厳しい質問や細かい指摘です。特に同じ社内の人たちが集まると「この数字の根拠は?」「似たようなサービスはすでにある。それとの違いは?」「マーケットは本当にあるのか?」など。「ダメだ、ダメだ」「まだまだ」という絵がたくさん描けます。けれど「もっとこうしたらよくなるよね」といった新しい未来の絵はなかなか描けてきません。
一方で、社外からのゲストや有識者が混じる会議の場では、多彩なアイデアが聴こえてきて、早くから楽しい未来の絵が描けたりします。しかし今度は逆に、プロジェクトの責任者がその絵に「それはいい!」とは飛びついてこない。検討対象となっている事業やサービスに責任を追っていないヒトたちばかりの議論では、多様な未来は描けても、なかなか実現性を帯びていないということは多々あるのです。
しかし、その日の会議は、みなさんの反応が、いつもとまったく違っていました。
- 「このアイデアは○○に絞っているところがすごくいい!」
- 「もっとシンプルに□□機能だけでもいいのでは」
- 「利用シーンは○○だけでなく、▽▽のシーンでも使える」
- 「○○部署も巻き込めたら、試験サービスを始められるよ」
- 「技術的に弱い△△なところをどうするかだな」
- 「その分野に強い▽▽会社と組んでは。話に乗ってくるはず」
- 「○○さんが、似たテーマを扱っているから紹介しますよ」
- 「□□として申請すれば予算がつくのでは」etc.
これらは単なる思いつきのアイデアやアドバイスではありませんでした。本当に現実のサービスにするための意見や有効な情報が寄せられたのです。具体的な協力や賛同も得られました。そこにいるみなさんも、心からそれを実現させたいという思いから出たきた発言でした。
いいプレゼンには「ハート」が描ける
この違いは何なんだろうと思いました。
これまでもその会議では、何人もの発案者たちが、さまざまなビジネスアイデアを発表してきました。それを受けて20人ほどの人たちが意見やアドバイスをするのですが、大半は、実現する難しさを伝える厳しい指摘でした。でも、この日はまったく違っていました。みんながそのアイデア実現の“応援団”でした。
わたしも、絵筆を通してその手応えを感じました。いつもなら、発表資料の順番通り、章ごとに1つ1つ描いています。技術や研究テーマの説明に始まり、世の中のトレンドの解説、見込むマーケットの予測、そして現状想定している実用シーン…。でもこの日、一番最初に描いたのは、発案者の「そもそもこのアイデアを思いついたのは」というさりげない一言でした。
「田舎に住む実家の両親に、孫の今この瞬間の表情を見せてあげられないかと常々思っていまして…」「高齢の両親が使うものだから、とにかく簡単な操作で、日常使いできるものがいいんです」
そう話しながら、資料に従ってプレゼンがスタートしました。上記の言葉は、事前に準備されていたものには聴こえませんでした。その日、壇上に立ったとき、自然と口をついて出てきた。普段から心に思っていることをただ言っただけ、というような発言でした。
でも、この言葉のおかげで、発案者が実現したいシーンが自然と思い浮かんで、私の絵筆はスイスイ進みました。田舎の大きな一軒家に住む祖父母が、遠く離れて住む孫の顔を毎日見ることができて喜んでいる絵。息子夫婦も、両親の変わらない様子を目にして、内心ほっとしている様子の絵。
そのとき、その会議に居たみなさんの頭の中にも、同じような絵が容易に思い描けたのだと思います。だから「その絵に近づくために、実際どうしたらいいか」意見やアドバイスが出てきた。ダメ出しするような意見はほとんどありませんでした。それどころかビジネスプランとして荒削りなところが、返ってみなさんほっとけなくて、手を差し伸べているといった状態でした。
あまりに素朴な、なにげない一言が、その後の会議の流れをすばらしく決定づけたのです。
わたしは「ハートが描けた」と思いました。
発案者の「ハート」に触れて、みんなは心動かされた。応えたくなった。聞き手の人達を応援団に変えたのは、一番最初に描けた発案者の「ハート」だったのだと思います。それはその人“固有の”思いを描いたものでもありました。1つの会社の中での会議でしたが、会社の立場から語った言葉ではなく、その人にしか語れない言葉でした。
ここで「ハートとはつまり何なの?」と問われると、一言ではうまく言えません。本来、グラフィックファシリテーションでは、言葉と文字だけの会議では伝えきれない思いをグラフィックで描いているという役割からすれば、言葉に戻すのは正しくないかもしれない。それでも「ハート」とは何かと問われたら、発案者の、どうしても実現したいという思いの“強さ”や“熱”が「ハート」を描かせてくれた、とは言えます。
最初に描けた「ハート」の熱が、その日、絵巻物の最後まで残っていました。どんな意見もアイデアも、すべてが「ハート」に引き寄せられて一本につながった。「ハート」はみんなを1つにしました。わたしの絵筆にも、筋の通った力強い絵巻物が描けたという手応えが残りました。
プレゼン資料は、ぜひ「ハート」から書いてほしい
実際、それからプレゼンで最初に発表者の「ハート」が描けると、描いているわたしにとっても、その日のグラフィックがとても描きやすいことがわかりました。
発表者の「どうにかしたい」「なんとかしたい」という気持ちが一番最初に伝わってくると、その後どんな質問や意見があっても、議論の進む方向に迷いがないのです。アイデアが未成熟でも、具体的な方法論がなくても、それで厳しい指摘があっても、進むべき方向は決まっているので、確実に未来に向かって絵筆を動かしているんだと実感できる。資料や発表の仕方が未完成でも、それが返って有効な情報や仲間を集めているようにすら感じました。
その逆に、たとえ資料の中で「会社としては3年後に新たな○○を実現したい」という未来ビジョンを説明されても、発表者の「ハート」が描けてこないと、そこに求心力はありません。細かい指摘や質問を受けやすく、現状の課題の絵ばかり描いている状態です。
ただ、そんなときでも、発案者に「どうしてこの商品をつくろうと思ったのですか」と質問すると、一気に「ハート」が描けることは多々あります。「当初はこういう思いでスタートしたのです」という声が聞こえてくる。すると聴き手のみなさんも「なーんだ、そういうことね」「なるほど、だからこうなるのか」と深く頷いて聴く姿勢が変わります。あるときは「じつは上司のチェックが入って修正した資料なので、僕の意志とは違うんです」なんてこともありました。
これらが意味することは、企業の一社員としての立場からの言葉だけでは、聴き手のみなさんも、どこか真の応援団にはなりきれないのだということだと思います。聞き手の皆さんも、まず知りたいのは発表者の「ハート」なのではないでしょうか。
もし、プレゼンテーションをする立場で、有効なアイデアや意見、仲間や応援団を本気で集めたいと思ったら、資料には、ぜひ「じぶんのハート」から書いてほしいと思います。この「ハート」は、資料を準備しているうちに、つい忘れがちです。もともと入れる必要はないとすら思っている場合もあります。けれど、最初の最初にその商品やサービスに込めた「ハート」は、何度でも繰り返し伝えたほうがいい。
言葉としては、企業の立場などを脱ぎ捨てたものがよいです。ものすごく固有なものでいいのです。些細なことでもいいのです。華やかさや派手な熱さはなくても大丈夫です。これから発表する内容に、あなたはどういう思いをのせて取り組んでいるかが伝わればいい。「ハート」のあるプレゼンは、聴き手をがらりと変えます。ぜひあなたの「ハート」から語ってみてください。
今回はプレゼンテーションを聞いているときに描ける「ハート」について紹介しましたが、実はまだまだ知ってほしい「ハート」が他にもあります。
特に、会議や研修に参加したみなさんが、スッキリしない表情で解散していくとき、たいていそこには「ハート」が描けていません。一方で「ハート」が描けると、その会議はとてもよい方向に流れていきます。「ハート」が描ける会議と描けない会議とでは何が違うのか? どうしたら「ハート」が描ける会議になるのか? 会議に描けるといい「ハート」とは何なのか?
次回も「ハート」から、いい会議のヒントを探ってみたいと思います。
ということで今回はここまで。
グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこでした。