こんにちは。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。
さて今回も、「ハート」が描けるといいなあ、という話です。
「ハート」が描けないと、人は動かない
その日は、ある企業で、管理職の方を集めた研修でした。テーマは部下育成。研修会場に40人ほど集まった管理職の皆さんは、20年目超のベテランぞろい。講師の方は何度も「傾聴」の重要性について語っていました。
- 「会社での朝の挨拶を、パソコンを見たまましていませんか」
- 「腕組みしながら部下の話を聴いてませんか。頭の中は、次にじぶんが話すことばかりを考えていませんか」
- 「相手の目を見て、きちんとその人の話を聴いていますか」
- 「多くの人は本当には聴いていません」
- 「"聴く"とはとても難しいスキルです」
最初は、どこか重たい空気の中、始まった研修でした。じぶんよりずっと若い講師の方の話を、受講者の皆さんはじっと厳しい表情で聴いていました。が、意外にも、素直に「早速やってみます」という実行宣言が聴こえてきました。
- 「確かにわざわざ顔を上げて挨拶はしていない」
- 「今日会社に戻ったら早速、部下の話に"傾聴"します」
- 「腕を組むのをやめて、頷きながら話を聴きたいと思います」
- 「相手の目を見て、前傾姿勢で聴いてみます」
しかし、わたしが描いていた絵は、管理職の皆さんが必死にじぶんの口を押さえて、しゃべりたくて仕方ない気持ちをこらえている姿でした。今にも部下の発言をさえぎってしゃべり出しそうです。指摘したい、問いつめたい。 わたしはそんな管理職の皆さんの姿に、思わずバッテンマスクの絵を追加してしまいました。「しゃべっちゃダメー!」という気持ちからです。
上の絵を見ながら、わたしは思っていました。
- (口では言うけど難しそう)(本当にできるのかなあ)
絵の中のその人たちが本当にそれを実行するのか、それを継続できるのか、とても疑わしいのです。グラフィックフィードバックのとき、思わずその場に居た皆さんに聴いてしまいました。
- 「1回やって終わり、にはなりませんか?」
- 「職場に戻って続けられますか?」
- 「いや、やるよ、やるやる」という笑い声もありましたが
- 「やるつもりだけど…」
- 「…………」
その場には、ちょっとした沈黙が流れました。
「ハート」が描けると、人は"心から"動く
そんな中、わたしの絵筆の疑念を一気に解いてくれたのは、その後すぐに続いた事業部長の話でした。
「今日の研修のテーマ、部下育成において、傾聴はぜひ職場で継続してほしい。じぶんが若い頃は、傾聴できる上司なんて一人もいなかった(笑)。ただそれでも、"いつも上司がじぶんを見守ってくれていた"という思いだけは残っている。部下の話を遮ってつい「それは違うだろう」とか言いたくなるだろうが、目の前の部下の成長を見守ってやる、そんな[親心]を忘れずにいてほしい」
「親心」と聴いて、とっさに絵筆が走りました。そのとき描けたのが「ハート」でした。
そして、この「ハート」が描けた途端、これなら傾聴できる! と確信が持てたのです。この「親心」というハートを持って部下に向き合えば、管理職のみなさんも傾聴できる気がしてきました。実際、事業部長の話の後、皆さんが「親心」の絵の前に集まってきました。
- 「ハートの絵がいいよな」
- 「そうそう、これこれ」
- 「これが大事だよ」
- 「おれも昔、仕事で大ミスしたとき、上司が夜中までつきあってくれて……」
ベテランの皆さんも、若かりし頃、じぶんが上司からもらった「親心」のエピソードに花が咲きました。会議で「ハート」の絵が描けると、参加者の皆さんの表情が必ずといっていいぐらいパッと明るくなります。「ハート」にはその会社の人たちが共通して持っている「ハート」が描けてくるのかもしれません。忘れかけていた大事なものを思い出した。そんな大きな気づきを皆さんの様子から感じます。
いくら「傾聴しましょう」と奨励だけしても、この親心という「ハート」を持っていない限り、長続きしない。「how to」だけ真似ても弱く、そこに「ハート」が伴って、初めてひとは"心から"実行できる。「やり方よりもあり方」「how toよりもto be」という言葉をよく聴きますが、まさに「傾聴」と「親心」もその関係だと思います。
絵筆を持って議論を聴いているわたしにとって、会議で「ハートが描けるか/描けないか」は、その後の実行・実現の本気度を測る1つのバローメーターになっています。
話はそれますが、わたしは「ハート」の存在を知ってから、本の読み方が変わりました。特に書店で山積みになっているノウハウ本を読むときには、「やり方(how to)」と「ハート」を読み分ける癖がつきました。以前は「これならできる/これは無理」「この方法が続けられたら苦労しないよ」と一喜一憂していたのですが、それよりもそのノウハウを実行できるその人の「ハート」に尊敬と興味が湧いてきます。ときに凄腕セールスマンの本を読んで「わたしはそこまでの気持ちにはなれないなあ」と静かに本を閉じてしまうことも増えましたが、そもそもじぶんに「ハート」が無いのに「このノウハウは使える/使えない」という品定めをする、といったことはしなくなりました。
結果を出している人には、強い「ハート」が描ける
凄腕セールスマンの本で思い出しましたが、「売れる営業と売れない営業」の話を絵にしたときも、そこに「ハートが描けるか/描けないか」ということが起こりました。
ある出版社で、営業部長から日々売り上げ拡大の発破をかけられる営業マンたち。営業Aさんは「いい本なら売れるけど…、この本の売りは何ですか? 売れる要素は何ですか?」と企画担当者に聞き返しています。一方、営業Bさんは特に何も聞き返しませんでした。そして、どちらの営業マンが売り上げを上げているかというと、Aさんより、Bさんだという話。
Bさんは「わたしは中身を読まずに売ります。いいものだと信じて売る」のだそうです。「中身を読んでしまうと、好き嫌いといった個人的な感想にも左右されそう。中身はもう変えられない。自信を持って売るという気持ちが揺らいでしまう」からだそうです。
営業の腕に覚えのある読者の方は「そもそも営業マンとしてどうなんだ」「まったく顧客視点になってない」とひっかかる点があるかもしれませんが、今回それについては脇に置かせてください。とにかく見てほしいのは、この2人の営業マンの絵なのです。同じ書店に出かけて行く絵なのに、明らかにBさんの絵にだけ「ハート」が描けたのです。
「いいものだと信じている」「必ず売る」という「ハート」。しかもかなり強いエネルギー満タンの「ハート」です。Bさんの思いが書店にまで伝わる様子まで描けてきます。一方、Aさんには迷いがあるので「ハート」は描けませんでした。その代わり「売れないのは商品のせいだ」と言うAさんの声が描き足せそうでした。
この絵を見ていたら、なるほどなあと思ってしまいました。Aさんには「ハート」がないのだから売れないのも当然かも、と。"心から"売りたいと思っているか、いないかの差が、同じ行動をしているようで、明らかに結果に差が出るのだと思いました。
営業に限らず、結果を出している人には必ず、強い「ハート」が描けるのです。成果を出せるあの人とじぶんとでは何が違うのか。そこにどんな「ハートがあるのか/ないのか」。探ってみるのは効果的だと思っています。
ちなみにわたしは、「ハートが描ける/描けない」を何度も体験するおかげで、自分自身の「ハート」の有無を振り返るようになりました。特に、若かりし会社員時代の未熟さを振り返るとわかりやすく「あの企画が通らなかったのは、この「ハート」がなかったからか」とか「上司が問いつめていたのはわたしに「ハート」があるかないかということだったのか」とか。今さらですが、"心から"気づいて、反省したりしています。
「ハート」を語り合えてないと、絵空事で終わってしまう
多くのリーダーは、メンバー一人一人には、未来に向かって「じぶんから」走り出してほしいと願っています。言い換えれば、言われたことをやるだけの現状に歯がゆさを感じています。でも、「ハートがあるか/ないか」という観点で、今一度メンバーを見なおしてみると、その歯がゆさの原因も明らかなのではないでしょうか。
ある会議では、新規顧客獲得の方法を議論していました。新商品を売り出す前から、開発途中の様子をブログで紹介するというアイデアが有力になっていました。
- 「我が社も、開発担当者のブログを開設して、開発途中の様子を随時紹介していくのはどう?」
- 「他社はすでにやっている。わたしたちもやらない理由は無い」
- 「書くのも10分ぐらいでできるでしょう?」
- 「とにかく顧客獲得、囲い込みの出来る施策の1つとして、早急にやるべき」
でも、実質作業するのは開発チームの3人です。とにかく日々、残業続きの人たちです。そこで描けたのは、ブログを夜中に更新している担当者の後ろ姿でした。思わず深夜を想定して描いてしまったのです。いくらやると決めても、負担が大きそうです。
- 「本当にブログ書けますか? 更新できますか? 続けられますか?」
そして絵を振り返ってよく見てみると、その中にはどこにも「ハート」が描けていませんでした。お客さまに「伝えたい」「知ってほしい」という「ハート」はどこにも描けていなかった。このままの状態で、他社の手法を真似ても、そのとおりの成果は得られないのではないかと思いました。
会議でさまざまな決定がされていきますが、どこか盛り上がりに欠ける。「よし、やろうやろう」という勢いが感じられない。そんな会議のときは、たいてい「ハート」が描けていません。堂々巡りする会議や結論がなかなかまとまらないときも同じです。たいてい、「やり方」や「方法論」について「できる/できない」とか、「儲かる/儲からない」という「do」の会話を繰り返しているときです。そんなときは一度、方法論の話を横へ置いて「ハート」を確認しあう作業を、最優先するといいと思います。
いくら「コレをやりなさい」と命令しても、そしていくら相手は「やります」と返事をしていても、「ハート」が描けてこない限り、人は「じぶんから」は動いていません。動いているようにみえても、本来の力を発揮していないのだと思います。「ハート」が描けないままいくら時間をかけて話し合っても、絵空事で終わってしまいます。また同じ会議を開かなくてはいけません。かえって遠回りをしていることになります。
「わたしたちはどうしたいのか」「どうありたいか(be)」という会話が、大事な「ハート」を描かせてくれます。このほうが、ずっと未来への近道を辿れる会議になると思います。 一人一人が「心から」行動を起こせる組織ほど強いチームはありません。
さて次回も、「ハート」について書きたいと思います。「そうはいっても、どうしたらハートが描けますか?」という質問は、よく聴く声です。みんな思っていることがバラバラで、「ハート」なんて描けないと思っている人も多いようです。でも、とにかく「ハート」を見つけたチームや組織は強いのです。みんなが1つになれる「ハート」がどういう議論から描けてきたのか、紹介したいと思います。
ということで今回はここまで。
グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこでした。