こんにちは。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。すっかりご無沙汰してしまいましたが、「ハート」の絵の話の続きをしていきます。
企業に蔓延する「ハートが描けない会議」
グラフィックファシリテーションで「ハート」が描けるという現象はとにかくイイんです、という話を前々回から紹介していますが、会議でメンバーの気持ちが1つになっていく話し合いには必ずグラフィックの上に「ハート」の絵が描けてきます。
しかし、多くの会議では、ハートが描けず困っていました。
みんなの思いがバラバラで、見ている方向もバラバラで。なかなか話し合いがまとまらない。共通の未来が描けてこない。議論が堂々巡りで平行線。いつまでも一体感が生まれない。とりあえず結論を出しても、参加者から納得感が得られない。そのうち立ち消えてしまうプロジェクト…。
これらはどれもグラフィックファシリテーションの観点からすると「まだハートが描けていない」状態でした。実際、わたしがそこにいたら、何かモヤモヤとしたものから抜け出せないもどかしさに「う~ん…ハートが描けてこない…」と唸っているはずです。
このような話をすると、会議の主催者やプロジェクトリーダーの方に必ず聞かれるのが「では、どうしたら会議でハートが描けますか」という質問です。
そこで今回は、そんな方たちと普段、事前にどんな打ち合わせをしているか紹介したいと思います。とにかく、ハートの絵は待っていても描けないのです。事前にどれだけ「ハートの描ける話し合いを設計するか」が鍵なのです。
ハートを描くには「暗い絵」を描かせてほしい
事前の打ち合わせで、わたしがいつも会議の主催者にお願いしているのは「<暗い絵>を描かせてほしい」ということです。
暗い絵とは、愚痴や不満や弱音といったネガティブな発言で描ける絵です。ハートを描くために、いつもわたしは「ネガティブな発言が聴こえてくるよう会議を設計してほしい」といっています。
というのも、ネガティブな発言がまったく聴こえてこずに、<明るい絵>しか描けない会議では、全然ハートが描けないからです。
ある会社の研修でのこと。その日のテーマは「会社の10年後のありたい姿」についてです。話し合いは一見、とてもうまく進んでいるように見えました。
- 「世の中に新しい価値を提供し続けている」
- 「お客さまに頼られる存在になっている」
- 「グローバルな企業になっている」
- 「オンリーワン」
- 「ブランド力がある」
- 「就職したい会社ランキングトップ10に入っている」
- 「職場へ行くのが毎日楽しい」etc...
明るく前向きな発言が並びます。自然と絵巻物もそれなりに明るい絵になります。実際、その日もみなさんはその絵巻物を見て「明るくていいね」といいました。
しかし、描いているわたしにはどうも手応えが感じられません。どこか他の会議で描いたものばかり。いい絵が描けたとは思えてきませんでした。
明るく前向きな発言ばかりでは、ハートは描けてこない
グラフィックの中にハートが描ける会議では、たとえば議論をしていた社員の人たちからこんな声が聞こえてきます。
- 「私たちにしかできないことはコレだよね」
- 「我々の会社だからできることはコレだよね」
いろんな企業出身者が集まるプロジェクトでもそれは同じです。
ハートの絵を指差して、こうした発言も聞こえてきます。
- 「これが私たちのDNAだ」
- 「最近忘れかけていた大事な思い」
ハートが描けたとは、つまり、その場にいる人たちが「心からそうありたい」と思える共通のものが見つかった状態です。会議が終わった後も「そうありたい」とその人たちの行動まで変えてしまうぐらいの力があります。そして、そんなときの絵は決まって「その会社にしか描けない絵」が描けています。それはとても「個性的」ともいえる絵です。
けれどこの日の絵巻物は、社名を変えれば別の会社の企業ビジョンにも使えそうな絵。「個性的」とはいえませんでした。そして実際、そんな絵巻物を見ている人たちからは「どの絵もいい絵だね」という声は聴こえてきても、「わたしたちが目指すところはコレだよね」という声は聴こえてきませんでした。
どの絵も明るくて悪くないのだけど、「本当に心からそうありたい」とその会社の人たちの気持ちをかき立てる絵は絞られてこない。当然ハートの絵も描けていません。
ハートが描けない、つまり「心からそうありたい」と思える共通のものが見つからないまま、会議が進むとどうなるか。ほとんどの場合、あるとき突然ネタ切れのように会話が止まります。このときも「世の中に新しい価値を提供し続けている」その先に、どんな未来が広がるのか、具体的な話は語られてきませんでした。ハートという原動力がないので、みなさん想像力を掻き立てられてこないといった感じです。みなさん「う~ん」と腕を組んで黙ってしまいました。
借りてきた言葉ではなく「自分の言葉」で語ってほしい
どうして会議でハートが描けないのか? 参加者の人たちが「心からそうありたい」と思える共通のものが見つけられないのか?
その落とし穴が「未来のありたい姿を語り合おう」というテーマにありました。「明るい未来」だけを前向きに語りあおうとすると、どうしても、どこかで見たり聞いたりした未来を語りやすいのです。この状況は本当に多くの会議で遭遇します。
確かに、無理もありません。具体的に1年先、3年先、10年先を想像したことのないわたしたちにとって、突然、「ありたい姿を思い描いてみようと言われても…」引き出しを持たない中、つい陥りがちなのです。
ただ、話している本人は気づいていません。先ほどの会議でも、参加者のみなさんは「自分の言葉」で語っているつもりでした。
- 「会社として、世の中に新しい価値を提供し続けている会社でなければならない」
- 「クライアントの海外進出にあわせて、我々もグローバルな企業になっていなければならない」
しかし、わたしには「管理職として」普段の会議から借りてきたような言葉に聴こえました。「会社としてどうあるべきか」は語っていても、その人自身がどうしたいかということは全く聴こえてこない。「じぶんの言葉」で語り合うところに、個性があって、ハートが描けるのに、ハートが描けない会議とは、参加者の人たちが「自分の言葉」で「心からそうありたい」と語り合っていない会議ともいえました。どこかまだ「他人事」のように会社の未来について話している状態です。
ネガティブな発言が聴きたい
そこで、借りてきた言葉では無く「じぶんの言葉」を思わず語ってしまうのが、「ネガティブな発言」の数々です。ネガティブな発言とは、愚痴や不平、不満、辛い、悲しいといった、グラフィックでは<暗い絵>を描かせてくれる言葉たちです。
ネガティブな発言というと、多くの会議ではタブーとされています。言いわない、言えない、言うべきではない。
たとえばこんな後ろ向きな言葉は会議ではなかなか言えません。
- 「どうして私がこの会議に参加しなくちゃいけないの…?」
- 「正直やりたくない」
心の中で思っていても口が裂けてもいえない発言もそうです。
「無理だ」「できない」といった否定的な発言なども、たとえ会議中に聴こえてきたとしても、その多くは聞き流される。ホワイトボードにあえて書き留められないのがネガティブな言葉たちです。
でも、そんなネガティブな発言たちこそ、じつは「じぶんの言葉」で語られていて、グラフィックファシリテーションではとても個性的な絵を描かせてくれるのです。
そして、そんなネガティブな発言を1つ1つ、きちんと拾い上げて書き留めていったら、じつはみんなが探している共通のハートが見つかったのです。一般的には会議で嫌われやすいネガティブな発言も、じつはハートが宿る愛すべき発言であることが見えてくるのです。
「ありたくない姿」を語り合おう
あるベンチャー企業で、その日は若手社員だけが集められて、じぶんたちの会社の3年後、5年後のビジョンについて話し合っていました。「ありたい姿」を語り合う場でしたが、聴こえてくるのは「ありたくない姿」に関する発言ばかりでした。でも、これがとってもよかったのです。どの会議でも、いきなり「ありたい姿」を語るよりは、「ありたくない姿」から語るほうが、みなさんとても饒舌になります。
- 「上司によっていうことが違う」「上の方針がバラバラ」
- 「上司の思いつきの発言で現場は迷惑している」
- 「自転車操業」「疲れて帰って寝るだけ」「先輩も忙しい」
- 「先輩に相談できない」「じぶんのことで精一杯」「若手は使い捨て」
ここでは会社が特定できないよう表現を簡素化しましたが、実際はとても具体的で、オリジナルな内容でした。おかげで「その会社にしか描けない絵」が描けてきました。たとえば「使い捨て」という言葉は、今まで絵にしたことがなかったので「なんて個性的なんだ」と思ったりしました。
絵巻物には暗い絵が並びます。「疲れて帰って寝るだけの社員の姿」や「上からの指示がバラバラで困惑する社員の姿」。でもそんな暗い絵に、みなさんニコニコしながら近寄ってきました。「そうそう!」「そんな感じ!」「コレだよね」と。まるでじぶんの姿を見るようだと、どこか嬉しそうに言ってくるのです。
- 「ポストが空いても中途入社で人が入ってくる」「中途の上司が先に昇進」
- 「仕事のレベルもポストも給料も、上がっていくイメージが持てない」
- 「給料が上がらない」
明るい絵よりも<暗い絵>のほうがずっと多くの共感を集めます。ネガティブな発言を最初はためらっていた人までも、つられて口を開き始めます。これまで抑えこんできたネガティブな気持ちも、意外とするりと引っぱり出してしまうのが<暗い絵>の力ともいえます。そしてそのほとんどが「自分の言葉」で語られていきます。
- 「きちんと評価されてない」「評価する人が現場のことわかってない」
- 「働いている意味を失う」「体がもたない」「新しいことをする余裕がきない」
その会議では個人的な不満から、次第に会社を見渡した問題意識に火がつきました。
- 「商品やサービスに特徴がない」「何でもあるけどコレといった強みがない」
- 「このままだと○○部門はなくなっているかも」
- 「上司にビジョンがない」「上司が多すぎるのでは」
- 「競合と差別化できていない」「新しい事業が生まれていない」
いつもは目の前のことに追われる日々ですが、こうして少し先の未来に目を向けて「ありたくない姿」を話し合ってみると、じつはお互いが共通の問題意識を持っていることに気づき始めるのです。自分ごとから始まった議論は、会社の課題を語るうえでも、もうそこには借りてきた言葉ではなく、「じぶんの言葉」で語られていきます。
ネガを吐き出し切った先にハートが出てくる
そして、しばらくすると、おもしろいことに、どんな会議でも「ありたくない姿」というのは、だいたい2つか3つに絞られてきます。明るい絵巻物の前ではベスト3すら選べないのに、暗い絵巻物の前で「コレだよね」という絵が絞られてくるのです。
- 「ビジョンも示せさずマネジメントもしない上司の存在」
- 「昇給も昇進もできしない人事給与制度」
- 「新しいことに取り組もうという気持ちが生まれない職場環境」
このとき人気のあったワースト3は上記のとおりでした。そうして、休憩を挟んで3時間ほどたった頃、ある人がいった一言に、みなさんがハッとしました。
それを聞いて新しい会話が聴こえてきました。
- 「就職活動のとき私はあえてベンチャーを選んだのに」
- 「全然ベンチャーらしくない。大手企業のような組織」
- 「ベンチャーだからできることをじぶんたちもお客さまに提案していない」
さっきまで「ベンチャー」という言葉は1度も出てきていませんでした。
- 「ベンチャースピリットを忘れたくない」
- 「世の中があっと驚くサービスをつくりたい」
- 「若くても実力で評価される給与体系を役員に提案する」
このときハートが描けました。ベンチャースピリット。それは、その会社の人たちみんながじつは共通に大事にしていたものでした。ただ、社内ではあまりに当たり前過ぎて忘れかけてもいました。日々、目の前の業務に追われて見失いかけていたことでした。
ここで「ベンチャースピリット」という単語だけを切り出して読み取らないでください。つい「ベンチャースピリット」をキーワードとして一人歩きさせてしまいがちです。でもそうなると途端にその会社らしさを失います。あくまでも「暗くて個性的な文脈の中から再確認した」ベンチャースピリットです。ほかの会社のベンチャースピリットとは違うのです。その暗い文脈を無視して「ベンチャースピリット」とだけいってしまうと、同じ会社の中でも伝わらなくなります。
ネガはポジの裏返し。嫌いは好きの裏返し
ネガティブな気持ちを吐き出し切ると、ハートが描けてくる。暗い絵を描くたびに確信するのは「嫌いは好きの裏返し」なのだなあということです。わたしはこの瞬間を何度も体験するようになってから、今ではネガティブな発言が大好きです。
「嫌いは好きの裏返し」というと「別に好きなわけじゃない」という方もいます。でも、正直、第三者の私からするとまったく腹の立たないことなのに、なぜかみなさん腹を立てている。どうしてかなと思うと、それは「なんとかしたい相手」だからこそだからではないでしょうか。本来は「こうありたい」「こうあってほしい」のに、そうでないから愚痴も出る。それは、好きな人に抱く気持ちに似ていると思うのです。
愚痴や不満なんて言いたくない、聞きたくないと思うかもしれません。けれど「好きの反対は嫌いではなく、無関心」とよくいいます。多くの会社で聞くのは、隣の席の人にも、会社の今後にも無関心の状態で、目の前の仕事に追われています。
そんな状態に比べたら、今この会議で、腹が立ってきたり、イライラしてきたり、弱音を吐き出した、という状態は、良い兆しだと思うのです。無関心で何も言わない状態でいるよりはずっといいと思うのです。うまく言葉にできなくても、そのイライラや不満な気持ちをぶつけている状態は、なんとかしたい相手に対する、共に生きていきたい、未来に進んでいきたい気持ちの証です。
必ず共通のハートがある
またネガティブな発言の面白いことは、それで描ける<暗い絵>に、それほど種類がないということです。先ほどの話のように、その会議に集まる人たちが腹を立てたり、不満を抱いたりしているものは、必ず共通の、しかも2~3個に絞られてくるのです。
これは、付箋紙に、聴こえてきた数だけネガティブな発言を書き留めていけばすぐにわかると思います。たくさん吐き出せば吐き出すほど、不満の対象が絞られてきます。
正直、第三者のわたしからすると、他にもいろんな種類の不満の絵が描けてもいいのではといつも思うのです。けれど、決まってその会社の社員の人たちの琴線に触れる絵は、共通のものに絞られてくる。第三者のわたしにはわからないけれど、その会社の人たちにはなぜか必ずそれが選び出せる、共通のハートがあるのです。それはたまに、部外者であるわたしには、うらやましくも感じるほどの共通項なのです。
普段、特に同じ会社や職場にいる人同士だと、みなさん気づいていないようですが、必ず共通に描けるハートがある。これは信じてほしいです。いつもいっしょにいると見失いがちなハートですが、必ずあります。そしてそれは、ネガティブな発言を通してみると、見つけやすいものなのです。
「ネガティブな話し合い」をポジティブにつくりだすには
「ネガティブな発言」をよしとする時間をあえてつくることは、チームを1つにしたいならオススメのアプローチです。企業のビジョンを語り合うというテーマに限らず、どんな会議にも使えます。
新規事業や新ブランドの創出がテーマなら、新しい何かを生み出そうとする前に「ありたくない姿」を語り合ってみてください。じぶんたちの会社の「らしくない姿」がハッキリと見えてくると、その反動で「これからのありたい姿」がハッキリしてきます。
組織の再編や新たな連携を話し合う会議なら、連携方法を話し合う前に一度「不安、疑問、心配事」をみんなが吐き出す時間をつくってみてください。それらを裏返してみると、じつはみんなが同じ思い=ハートがあることがわかるはずです。
会議の参加者に「ネガティブな気持ち」を吐き出せる場をつくってほしい。わたしが事前の打ち合わせで、会議の主催者にまずお願いしていることです。
しかしながらネガティブな発言は、人を傷つけやすく、また混乱を呼ぶ、繊細なものでもあります。取り扱いには万端を期してのぞまないといけません。多くの場合、ネガティブな発言ばかりが聴こえてくる会議の提案に、主催者の方も最初はとってもネガティブです。「そうはいっても、そんな会議をやったことがないので…」といわれます。「不満を吐き出そうなんていう会議をするのは嫌だなあ」「不満ばかりいって終わりで、会議が収束しないのでは」と不安を感じるのも当然です。
そこで次回は「ネガティブな発言が聴こえてくる話し合い」をどうやってポジティブにつくりだすかについて紹介できればと思います。主催者の方たちと、そのためにどんな作戦を練って、会議を設計しているか。もう少し具体的にプログラムを組み立てていくポイントをご紹介していきます。
ということで次回もお楽しみに。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこでした(^^)/