数年後には数百万台にも達するといわれているコネクテッドカーの世界。つながるクルマの数が増えれば、当然ながら生成されるデータも爆発的なボリュームに達することは明らかです。しかし、コネクテッドカーが生成するデータを収集/蓄積し、活用していくためのスタンダードな技術は確立されておらず、このままではコネクテッドカーが普及してもデータ基盤整備が追いつかない状況になりかねません。
現在、自動車業界は"100年に一度の変革期"を迎えていると言われています。そしてコネクテッドカーもまた、自動車業界のターニングポイントを象徴する重要な技術トレンドです。この大変革期をモビリティカンパニーとしていかにドライブしていくのか ―本稿では9月5日に東京・品川で行われた「NTTデータ テクノロジーカンファレンス 2019」の基調講演でトヨタ自動車 コネクテッド先行開発部 InfoTech室長 前田篤彦氏が語ったトヨタが描くコネクテッドカーの未来とNTTグループとの協業についてレポートします。
「NTTデータ テクノロジーカンファレンス 2019」基調講演で登壇したトヨタ自動車 前田篤彦氏
「所有から利用へ」―MaaS企業への道のり
カーカンパニーからモビリティカンパニーへ ―トヨタに限らず、世界中の自動車メーカーは現在、"クルマを作る"企業から"サービスとしての移動を提供する"企業へと変貌しつつあり、カーシェアリングやライドシェア、オンライン配車サービスなどを含むMaaS(Mobility-as-a-Service)の推進に力を入れています。「 すべての人に移動の自由を、歓びを ―トヨタはそのためにクルマ会社を超え、これまで付き合いがなかった企業とも提携し、人々のさまざまな移動を助ける"モビリティカンパニー"へと変わっていかなければならない」と前田氏は語っています。
MaaSがこれまでの自動車メーカーが作り上げてきたクルマ文化と決定的に違うのは"所有"ではなく"利用"をベースにしているという点です。"as-a-Service"という表現にあらわれているように、MaaSを構築する技術のベースはクラウドであり、そこで提供されるサービスはクラウドの基本コンセプトである"必要なときに必要な量を提供する"という考え方に基づいています。したがって自動車メーカーには工業製品としてのクルマを製造/販売するだけではなく、クルマを快適な移動手段として使い続けるためのサービス、それも公共交通機関や他業種の事業者とも連携可能な、オープンで統合的なプラットフォームをベースにしたサービスを提供することが求められるようになってきました。
MaaSへと向かう自動車業界の変化を象徴するキーワードとして、数年前から見かけるようになったキーワードが「CASE」です。「 コネクテッド(Connected) 」 「 自動運転(Autonomous) 」 「 シェア/サービス(Shared & Service) 」 「 電気自動車(Electric) 」の頭文字を取った造語で、トヨタもこのCASEを前提にしたMaaS事業を展開しています。
たとえば走行中に警告が点灯した車両に対し、トヨタスマートセンターに蓄積されたビッグデータをもとに車両データ解析や走行可否判断を実施、走行アドバイスやヘルスチェックレポートを通知する「eケアサービス」 、走行距離や安全運転スコアに応じて保険料を決定する「トヨタつながるクルマの保険プラン」 、GPSの測位情報と走行中の車両から得られるリアルタイムデータを組み合わせ、高精細な3次元地図をダイナミックに作成し、道路情報をリアルタイムに配信する「ダイナミックマップサービス」などは、トヨタがCASEというコンセプトの下で新たに取り組むモビリティサービスとして位置づけられています。
トヨタが提供するモビリティサービスのひとつ、走行中のクルマに車両診断や走行アドバイスをリアルタイムで行う「eケアサービス」
コネクテッドカーの収集データを裏付けとする新たなサービス基盤の構築
こうしたトヨタの新しいモビリティサービスの基盤が「MSPF(モビリティサービスプラットフォーム) 」で、そのコアにはコネクテッドカーが収集するデータが存在します。トヨタは2018年から同社が製造する全車両のコネクテッド化を開始しており、いまでは「年間400万台ずつコネクテッドカーが増えている」( 前田氏)という状況にあります。
トヨタが構築する「モビリティサービスプラットフォーム(MSPF) 」の概要、コアとなるのはコネクテッドカーが収集する膨大なデータ
コネクテッドカーが増えれば、クルマが生成するデータ ―センサーから収集されるプローブデータやECU(Electric Control Unit)データ、ダイナミックに生成される地図データ、周辺情報のセンシングデータなども増え、それらを収集/蓄積/活用する基盤にもスケーラビリティが求められるようになることは明らかです。「 収集するだけでエクサバイト級に達する、しかもその種類が多岐に渡る膨大な量のデータに対し、モビリティカンパニーとしてどう向き合うべきか」( 前田氏)―ここでトヨタが出した答えがNTTグループとの協業でした。
2015年夏にNTT研究所と交流を開始したのをきっかけに、2017年3月には正式にコネクテッドカー向けICT基盤の研究に関する協業を発表。おもに
データ収集/蓄積/分析基盤
IoTネットワークデータセンター
5G、エッジコンピューティングなど次世代通信技術
の3つの領域において、両グループでもって複数のワーキンググループを構成し、各社の強みを活かした研究/開発が行われています。2018年12月からは500万台規模の実車両を仮想空間に接続する大規模な実機検証(実証実験)も始まっており、ワーキンググループで検討した成果を実機で検証するというサイクルを短期間で回しながら、新たな課題の抽出(後述)に取り組んでいます。
トヨタがNTTグループをコネクテッドカー事業のパートナーに選んだ理由について前田氏は「NTTグループと挑めば、大きな課題が解決できるに違いない」と確信したからだと語っています。トヨタグループでは1935年に創始者の豊田佐吉の考え方を「豊田綱領」として5カ条にまとめており、現在でもこれを経営の核に位置づけていますが、NTTグループの文化はトヨタの経営方針と親和性が高く、「 同じ思いを共有できると感じられた」( 前田氏)ことが協業を前に進めた大きな要因となったようです。
本実証実験におけるNTTグループおよびトヨタグループの協業メンバー。コネクテッドカーのデータ基盤はおもにNTTデータが担当する
クラウド、通信インフラの課題を洗い出す ―OSS分散処理技術を駆使した実証実験
では、次世代コネクテッドカーのプラットフォーム構築に向けて、具体的にどんな実証実験が行われているのでしょうか。前田氏はまず実証実験の目的として2つの項目を挙げています。
クラウド/通信インフラ技術の見きわめと課題抽出
コネクテッドカーおよび自動運転基盤を支えるクラウド技術や次世代通信インフラに求められる技術課題を明確にする
次世代車両開発への要件抽出
クラウド/通信インフラ側からの制約を先行して明らかにし、足の長い車両開発への要件を明確にする
インフラ開発と車両開発の違いについて前田氏は「IT基盤を作るよりも車両開発は足が長い」と指摘しており、先にインフラ側の課題を洗い出してから、車両開発の要件を明確にしておくことがコネクテッドカーの標準を作る上で重要だとしています。したがって現時点ではフィールドテストと基盤負荷検証が実証実験の中心となっています。
実証実験の全体像は以下のスライドの通りです。500万台という大量の車両の走行を想定している点が、このプロジェクトにおける最大の特徴だといえます。
実証実験の全体像。500万台の実車走行を想定、データの収集から分析までをリアルタイム性にフォーカスしながら行い、エンドツーエンドなシステム構築を目指している
フィールドテストでは、お台場周辺を検証エリアとして実車両を走行させ、走行データや画像データをクラウドに集約、コネクテッドカーや自動運転車に必要なユースケースの検証を行います。基盤負荷検証では、500万台規模の車両を想定した分散処理技術およびクラウド/通信インフラ技術の評価を行っています。
この実証実験で使われているクラウド上には、NTTデータが得意とするオープンソースの分散処理技術をベースにしたデータ基盤がいくつか構築されています。たとえば
Apache Kafka … 大量のコネクテッドカーから受信するデータをストリーミング
Apache Hadoop … 収集したCANデータや画像データ、センサーデータのストアを構築しバッチ処理
Apache Spark … 500万台の車両データの並列処理およびリアルタイム処理(5秒程度)
Kubernetes + TensorFlow … 大量の画像データのリアルタイム処理および推論処理
Apache Akka … 大量のコネクテッドカートの同時接続およびコネクション保持
などが挙げられます。これらの並列分散処理技術を使ったインフラの構築は、エキスパートの技術力や知見に大きく左右されますが、まさに協業したからこそ得ることのできたケイパビリティだといえます。
クラウド上に構築しているデータ基盤の概要。HadoopやKafka、SparkなどNTTデータが得意とするオープンソースの分散処理技術が随所に使われている
前田氏はさらに、これらの基盤を活用した具体的な検証ユースケースとして「地図生成」と「障害物検知」について紹介しています。地図生成では車載カメラが撮影した画像をデータセンターに集約し、それらを加工/解析することで車両位置情報や周辺情報などの再現が可能か、障害物検知では1台の車両から送信されたデータ(障害物検知)を、ほぼリアルタイムに他の車両(後続車両)に関連するデータとして通知(“ ○km先に障害物あり” )することが可能か、などを検証しているそうです。これらの機能は次世代モビリティサービスのクオリティにも大きく関わってくるため、今後の検証結果が注目されるところです。
次の一歩を踏み出すために、これまでなかった企業との連携が必須
前田氏は近い将来における基盤性能の開発目標として、以下を掲げています。
数千万台規模の接続
数千項目の車両センサー/画像データの取得
秒単位のリアルタイム処理
10cm程度の位置精度
現在展開中の実証実験も、このゴールの達成に向けて行われているわけですが、検証開始から1年以上が経過し、フィールドテストおよび基盤負荷検証のいずれにおいてもいくつかの課題点が見えてきました。前田氏は「当初掲げていた500万台相当の負荷に耐える基盤という目標はクリアできいるが、さらに前に進むためには新たに抽出された課題に取り組んでいく必要がある」としており、フィールドテスト/基盤負荷検証から得られた課題を大きく以下の3つに分類しています。
処理速度の課題(アプリケーションの課題)
車両/画像データからの車両の位置情報の確定精度、画像データを活用したHDマップの作成精度、車両→クラウド→車両におけるデータ通信処理時間
処理のリアルタイム性の課題(基盤の課題)
車両→クラウド→車両におけるデータ通信処理時間、車両データのダイナミックマップへのマッチング処理速度、画像の推論処理、動画→画像変換の処理速度
広域エリアを想定した際の課題(基盤の課題)
3000万台相当の車両負荷に耐えるアーキテクチャの検討
この抽出課題にもとづき、前田氏のチームでは2019年度の活動において「データ処理の高速化/リアルタイム化」と「データ収集する車両の広域分散」にフォーカスし、とくにクラウドの処理をエッジにオフロードし、処理スピードのパフォーマンスを高速化することに力を入れてきました。今後は、モバイルネットワークレイヤの1段上にあたるリージョンネットワークレイヤにおいて、車両位置や負荷情報が見えてきたときにダイナミックなトラフィック制御をいかにスムースに行えるようになるかが大きなポイントになるとしています。
本実証実験における2019年度の活動概要。接続台数が増え、走行範囲が広域になったときでもいかにリアルタイム性を担保するかが今後の大きな課題
「この取り組みはNTTグループとトヨタに閉じたものではなく、成果は今後、広く社会に提供していく。高度な課題の解決に向けて、より広く参加者を募っていきたい」 ―前田氏は講演の最後をこう締めくくっています。トヨタは本実証実験がスタートする前の2017年12月に、同社が主導するコネクテッドカーの技術発展を推進するコンソーシアム「AECC(たAutomotive Edge Computing Consortium) 」を設立しており、NTTグループ各社もこのメンバーに含まれています。また、トヨタはここ数年、Preferred Networksとの提携をはじめ、AIやビッグデータ技術に多額の投資を行っており、自社以外、それも自動車業界とはこれまで接点が少なかった企業とのパートナーシップを積極的に拡大していることでも知られています。
すでに1社だけで、あるいは業界内だけで、コネクテッドカーやMaaSといった公共性/公益性に大きく関わる課題を解決することはできなくなっており、前田氏が冒頭に指摘したように「これまで付き合いがなかった企業との連携」が必須となっています。そうした意味でいえば、自動車業界における"100年に一度の変革期"には、コネクテッドカーや自動運転など技術的な側面、所有から利用へというモビリティサービスへのシフトに加え、業種業界を超えたエコシステムの構築というビジネスモデルの変化も含まれるといえそうです。