どうして人は働くのか──仕事とは何だろう?
『あなたにとって仕事とは何ですか?』
まあ、そう聞かれてもすぐには答えられないもんだ。寝起き1秒で即答できる人間なんてこの世にはいないだろう。
ま、普通に考えたら、「生きがいです!」なんていう優等生的な発言が返ってくるのだろうし、20年くらい前に流行った言い方であれば、「やりがいかな?」なんてもんだろう(そんな就職情報誌のCMがあった。ちなみに演じたのは“とんねるず”ね)。
うん、確かに間違ってない。要するにモチベーションってことね。そうでも考えないとやってられないのだろう。
生きがいとか、やりがいとかいう言葉に置き換えないとやりきれない、といったとこ。
そりゃそうだ、睡眠時間を差し引いた1日のほとんどを“仕事”で大概の人間は過ごすわけである。それは仕事という名の生活でもあったりする。
週休2日と考えれば、1週間のうち5日は会社という生活で忙殺されることになる。1年間で考えたら……算数、苦手。
とにかく、それだけ仕事に縛られる時間というのは多いということ。
週末の土日を有意義に過ごすために5日間を頑張っているんだ、という声も聞く。2日のために5日頑張ると。
今はフリーで働いているので忘れてしまっていたが、確かに会社員時代のオイラもそんな感じではあったと思う。
でも、週刊誌を作っていたら平日も週末も祭日もあったもんじゃない。1年で休めるのは正月くらいなもんだ。
年末から年始にかけての3~4日くらい。それでも、3日休むと飽きてしまう。身体と脳味噌がそうなってしまっていた。
病気だな。ある意味生活慣習病。何もしていないと不安になって落ち着かない。
正直、お金は大事&必要です
話を元に戻す。
『あなたにとって仕事とは何ですか?』
現実的な人は「生活のため、お金を稼ぐためです」と答えるだろう。まさにその通り。間違ってない。
お金は大事だ。お金がないと生活できないし、人に優しくもできない。「お金なんかなくったって幸せになれる」なんて言う人間はリアルにお金に困ったことのない人だ。
仕事をしないと人間は生きてはいけない。恋もできないし、結婚もできない。まー、女性のヒモになれる度量があれば別だけどね。
オイラにはムリだ。
そう、でも、ホントにそうなんだよな。お金がないと女のコとつきあいたい、なんていう欲すら失う。
路上生活者に性欲が無いというのはそういう人間の根源的なところなのだろう。まずは自分が生きること。それしか考えられない。
実際、会社員を辞めて収入がゼロになり、離婚をしたばかりだったオイラは女性とつきあいたいという欲は皆無であった。貯金の無かったオイラは持っていた会社の株を手放したり、生命保険を解約したりして過ごした。ギリギリOUT!の生活だった。
男なら好きな女のコにはプレゼントをしたいものだ。食事だってごちそうしたい。彼女の笑顔を見たい。単純にそれだけの話。
誕生日やクリスマスに彼女のための贈り物を買うお金が無いというのは辛い。それよりも自分が食って生きることを選択しないといけない。
経済力というのは大切だ。いくら才能があってルックスが良くっても女性というのは現実的な生き物だから、最終的には経済力のある男性を選ぶものだ。
なんも無いオイラはどうすりゃいいんだ~
…って、ゴメン話が脱線しちゃいました。
EASY COME EASY GO
よっぽど親が金持ちとか、宝くじが当たったとか、大金を拾ったとか……そういう境遇でなければ仕事やお金をキープするのがどれだけ大変か身に染みているもんだ。
オイラなんか常に思ってるからね。お金落ちてないかなあ、って(笑)。下を向いて歩いてばっかいるから、おかげで軽いムチウチになっちゃったもの。
でも、宝くじは買わない。
悪銭身につかず。
働いて得た10円と道で拾った10円では価値が違う。普通のことを言ってるけど、本当にそんなもんだ。
ありがたいことにオイラはお金を落としたことも拾ったこともない。でも、大きな意味で考えたら、人生というのはお金を落として拾っての繰り返しなのかもしれない。
って、これじゃあ、お金のために生きてるみたいじゃねーか? いや、そうじゃない。う~~ん、難しいな。
生きるためにはお金は必要。これだけは間違っていない。
昔、誰かが歌ってた。“お金があったら酒でもおごってやる お金が無けりゃあ嫌な仕事もやらなきゃならない”と。
ザッツライト。その通りでございます。
最低限の生活を維持するためにはやらなくちゃいけないことがある。それはオイラにとって仕事ではない。最低限のことをしなくてはいけないという作業である。
その作業を放棄したら路上生活者となってしまう。でも、彼らだって働いている。結局、働かないと生きれないということだ。
自由を選択して路上生活をせざる得なくなった人間も働かないと生きていけないのだ。組織が嫌だと逃げ出しても、どこにだって組織的なしばりは必ずある。
生きている以上、完全に逃げることはできないのだ。
そしてハッキリ言えることは、仕事はお金を得るためだけではないということ。仕事をしていないと人間は腐ってしまう。廃人となる。それが冒頭の“やりがい”ということにつながるのかもしれない。
仕事を自分の中でどう捉えるか
さて、オイラにとって仕事とは何だろうか? もちろん、生活するための作業ではある。でも、それは作業。
バイトだろうが、契約社員だろうが、正社員だろうが関係ない。オイラはすべて経験してきた。で、オイラが常に思って実践してきたことがある。それは何かというと……
仕事を仕事と考えない、ということ。
オイラにとって仕事は趣味であり、遊びですらある。実際はそうではないのかもしれないが、そう考えないとやりきれないときもあるのが正直なところだ。
だけど、そう考えると、面倒臭い打ち合わせや会議も少しだけラクチンになれるから不思議なもんだ。上司だろうが、何だろうが友達だと考えてしまえば苦痛はない。
オイラはそうやって生きてきた。
憧れ、中学生の頃から尊敬していた人のインタビューが決まってから1週間、吐き気が止まらなかったこともある。
でも、取材が始まったらこっちがリードする。ゲーゲー吐いている場合じゃない。おもしろい大仕掛けの遊び(ドッキリ?)だと思えば楽しくなる。
先日、お会いした、さだまさしさんも言っていた。「仕事を仕事と考えたらやってられないよね?」と。
それは職種に別はない。どんな仕事だろうがあてはまることだ。何をやっていようが関係なく、それを趣味と思える脳味噌の思考が大切なんだと思う。
仕事という言葉を辞書でひいてみた。
どれもピンと来ないなと思った。やっぱり、辞書は何も教えてはくれない。
仕事がこの4項目のうちのどれかなら人生とは何なんだろうか? 老後のためと考えるにはしんどすぎる。
仕事を遊びと考える脳味噌を作る
マジメに考えることはない。仕事は遊びだと思えばいいのだ。子供の頃にやった缶けりと同じ(今のコたちはやるのかな?)。
だって、“子供は遊ぶのが仕事だ”なんていうじゃない? その通りだ。
集団の中、空き缶をけり飛ばすことを目標に単独行動する者もいれば、数人で行動する者たちもいた。あの遊びと一緒。
結局、どんな大きな会社の重役だって子供の頃には缶けりをして、鼻水垂らしてたクソガキだったんだ。自分と大して変わりはない。
恐るに足らん!
そんなノリでいいんだと思う。そんなガキが大人になって会社という組織(悪ガキ軍団)の中で仕事(遊び)をしているだけだ。
いつからだろう? 何かしらのキッカケがあったとは思うのだが、オイラはあまり物事を真剣に考えなくなった。
オリコンに入ってすぐだったとは思う。そういった訓練をした。こんなことやってらんねーよ!ということは意外と多い。
そこで冷静になっては負けだ。何も考えないこと。「考えるな、感じるんだ」とブルース・リーも言っていた。
これは仕事だからちゃんとやらなきゃ、というのは正しいかもしれないが、ある意味、間違っているような気もする。
嫌々やる仕事よりも、遊びや趣味だと考えて行う仕事(?)のほうが楽しいもんだ。
そんなふうには考えられない、という人もいるだろう。でも、考えられないと思ったら終わりだ。どんな仕事にだって、絶対に笑えるツボがあるはずだ。
オイラはパン工場で何時間もあんぱんの真ん中に穴をつける仕事をしていたことがある。へそつけ。何時間も同じ繰り返し。
そんな単調な作業でさえ遊びだと思ったら、苦にはならなくなった。こいつのへそ、おもろくできたな、とかひとりで笑ってた。
遊び、遊び。
でも、遊びだからこそ本気でやらなきゃいけない。負けたら鬼になっちゃうから……。
仕事なんてクソ真面目に真剣にやる必要はない。でも、誠実さは大事。
オリコンの先代社長が社長室でオイラに言ってくれた忘れられない言葉がある。
『真面目な人間はつまらないよ。仕事をするうえでも真面目はダメ。でも、不真面目はもっとダメ、非真面目にならないとね』
叫訓2
真面目に真面目じゃない“非真面目人間”を目指すべし!