マッシュアップ~コンピュータは見えなくなる
Webの時代の特徴として筆者が考えているのは、コンピュータじたいの性能とか、コンピュータの処理能力、コンピュータの技術的なルールは、どんどん見えなくなって、ユーザーニーズに即応したサービスのかたちでユーザーと触れることが増えてきた、ということです。
知りたいことがあったら検索のYahoo!やGoogle、メールにblogにショートメッセージに掲示板。どれもこれも、CPUの速度であるとか、通信速度であるとかいうような要素は、ほとんど関係なく、どんなサービスであるか、ということだけが重要になっているのだなぁと感じます。
PCを使う必要さえなくなり、携帯電話でもかなりのサービスを受けることができるようになっています。特にコンピュータを使わないユーザーの間では、携帯電話のほうが親密な道具になっているようです。
生情報であふれるWeb
Web時代のサービスのいっぽうで、Webの普及により、従来の公共機関や新聞サイトなどが、かなり定型化した一次情報を生のかたちで提供していることも増えています。列車の運行状況、天気予報、渋滞情報。図書館の休館情報などなど。
Webの上で、かなりしっかりした評論を読むこともできるようになりました。音楽や映像、小説やエッセイなども、Webでかなり簡単に手にはいるようになっています。手にはいるものは手にはいり、手に入れにくいものは相変わらず手に入れにくい、といったほうが正確でしょうか。
もうコンピュータは、単にコンピュータであるのではなく、さまざまなコミュニケーションを媒介するメディアなのだなぁと、しみじみ思います。
机の上に紙はない、は新しいスタイルとなった
そんななかで、ライフログをテーマとする筆者がこだわっているのは、紙をどうするか、ということです。
紙はいうまでもなく、コンピュータ以前には、あるいはそして現在もなお、もっとも基本的な情報のツールであるわけです。
紙は、軽くて取り扱いの自由度が高く、解像度が高く、安価で、直感的なダイレクトオペレーションを可能とする、とんでもなく優れたツールであると思います。
やっぱり紙はいい
先日ふとグラビアの雑誌を手にしてみたのですが、やっぱり紙の解像度というのは、ディスプレイに較べると圧倒的に高い。カレンダーや絵画などの印刷に使われる超高精細の細密印刷に至っては、もう目を見張るような、目の醒めるような高精細であり、とうてい現在のディスプレイではかなわない、と感じさせるところがあります。うわっ、と驚いて
しまいました。
紙のもつ質感、新刊の本のページから立ち上るえも言われぬ香り、ぱらぱらめくる感触
などは、どうしようもなく圧倒的な存在感をもっています。
データは紙よりよいこともある!
しかし。しかしですよ。紙には重大な欠点もあります。
それは、かさばって重くて検索できないということです。
紙が軽いのは1枚だけの場合で、いったん書籍のかたちで綴じると、これはもう途方もなく重量をもつ、かさばる存在と化してしまうのです。
旅行に行くかばんの中でいちばん重たいのは、旅行の日数分の冊数に膨れ上がった書籍であって、書籍の重さに較べたら、衣類なんてもう蒲公英の綿毛みたいなものです。
ぱらぱらめくり
書籍なら、ぱらぱらめくって探せるじゃないか、とおっしゃるかもしれませんが、1冊か2冊ならぱらぱらめくれるとしても、100冊や200冊となっては、それもたいへんな労苦となるでしょう。
ロシアの心理学者アレキサンドル・ロマノヴィチ・ルリアは、一度見たことを10年以上を経ても忘れずに再現できた超絶記憶の持ち主ソロモン・ヴェニアミノヴィチ・シェレシェフスキーについて『偉大な記憶の物語』という本を書いていますが、そのような記憶の持ち主でないわれわれにとっては、本のなかの決定的な言葉が、どこにあったかを探すことでさえ、容易ではないわけです。
情報を「使う」と考えると、紙に印刷された情報はとても弱い。活用とはかけ離れたところにある、と考えざるを得ない、と考えるようになりました。
そこで、机の上には(というかできるだけ身の回りには)紙をおかない、というスタイルを実践することにしました。その結果は、写真でご覧いただいたとおりです。