Lifelog~毎日保存したログから見えてくる個性

第6回ハードウェアの近未来

対Google!?

Lifelogを実践し、10TBくらいのデータを蓄積し、日々運用&活用することは、規模や野心やらを考えると、ある意味Googleのやっていることを個人でやっているのにとても似ています。なかにはそれを、⁠Googleと闘っている」と評する方もいらっしゃいます。札幌大学の三上勝生教授とかですね。ありがたいご評価です。

規模からいえばおこがましいし、念のためにいいますけど、Googleと敵対しているわけではありません。もちろん、筆者とて、Googleの一ユーザーではあるわけです。かれこれ10年くらいは使っているのではなかったかと。

Googleのブックマークファイル
Googleのブックマークファイル
Googleのブックマークファイルのタイムスタンプを確認したら、2000年5月31日作成とあるので、10年は経ってないけど8年くらいですね。できて10年の企業ですし。

知識すべてを検索可能に

Googleのミッション─⁠─⁠人類の知識すべてを検索可能にする」には、とても共感を覚えます。筆者の年代だと、紙とデジタルとの境界を生きてきた感じがあって、25歳くらいまでの資料の大半が紙であるというのは、内心忸怩(じくじ)たるものがあるわけです。

Google風にいうなら、自分の体験すべてを検索可能にしたいと思う日々です。

blog

それなら、"blogを書き、自分の体験をFlickrに載せていったらどうなのか?"と、とときどき聞かれることがあります。以下のような事情や理由から、筆者は現時点でWebを個人的な表現手段としてはほとんど使っていません。

  • ホームページは一時期ひんぱんに作っていたが、飽きた。
  • 掲示板はスパムが多くて保守のたいへんさに音を上げた。
  • htmlを書くのも飽きた。
  • Webのインターフェースは稚拙で使用に耐えない。blogはhtmlと比較すれば簡単だが、インタフェースの研究をしているとひどくもの足りなく感じる。道具にはこだわるタイプなのです。
  • 容量が桁違いに多く、回線、容量共にインターネットにアップできる規模でない。
  • 日記その他は、毎日平均すると4000文字くらい書いているが、個人的なことが多く、公開には不向き。⁠アンネの日記』風にいえば、ほんとうのことを包み隠さず打ち明けるのを日記と思っている節があります。脚色したり、オブラートにくるんだりして書くと、そちらが「ほんとう」になってしまうことを危惧します。

blogを書いている友人はとてもたくさんいるのですが、やっぱりみんな脚色していたり、話題として扱いやすいことだけをとりあげて書く傾向にあるようです。他人事で老婆心ながら、それでいいんだろうか、という気がします。

愚考するに、よいことも悪いことも、ひっくるめて人生なのだと思うし、その取り返しのつかない一回性を生きていくのが人生なのだろうと思うためです。

ほかにも理由はいろいろあり、blogのバランスは筆者にとっては悪い、と考えています。

全体験と人と共有できることのギャップ
全体験と人と共有できることのギャップ
書いたことが次第に人生を侵食するような恐怖感があります。

ひとに話せる人生

オブラートに包んだ人生、ひとに話せることだけの人生には、なんだか薄っぺらい感じがするのです。語らなかったこと、自分のなかに秘めたものは、秘すれば花。わざわざ表現しなくても自分のなかに「ある」というのかもしれませんし、それは自然に薄れていってもいいのかもしれませんけれど、筆者は自分の内部にあるものと対峙して、自分を見つめることのほうに関心があるのです。嗜好/指向/志向の違いですね。

表現できたものの集合であるインターネットを検索しても、それが人の似姿なのかというと、なんかちょっとずれている気がしてならないのです。違和感を感じています。だから、Googleで検索できることには限界がある、と思います。仮面舞踏会の仮面をはずせなくなってしまったような、踊り子が靴を脱げなくなってしまったような、そんな感じを抱いています。

自分だけの人生

対Googleの観点でいうと、この筆者の、個人のもっている情報に注目している姿勢じたいが、Googleのもつ社会性と根本的に対立的だといえるのでしょう。

筆者自身の検索履歴をみると、3カ月で行った340回の検索のうち、Googleを使用したのは60回(18%)で、あとはローカルのファイルを検索している、となっています。Googleの比重は低いです。18%はもちろん数値としては低くはないですけれど。

あるいはたとえば検索履歴をGoogleが独り占めにしている、ということじたいに、なんだか釈然としないものを感じたりもします。それをユーザーが使うことができたら、もっと有意義なことに使えるだろうと考えたりするためです。

大容量のディスクはもうある

手法や戦略で対峙しているとはいえ、いっぽうで基本的にGoogleとはおなじことをしているとも感じています。おなじことをしている仲間あるいはライバルという感じもあります。デジタル化して情報を検索可能にし、それを役立てようとするモチベーションは、合わせ鏡のようにそっくりです。

おなじ技術を使っているなぁ、とも感じます。たとえば大容量のディスクです。検索のためのサーバーを、大容量のハードディスクを使って構築するとか、検索のために専用の検索ソフトを開発したりとか、検索だけでなくメーラーまで作っちゃうところとか、必要なツールはどんどん作っちゃうとか、そっくり同じようなことをしているなと感じることがしばしばあります。Googleブックスキャンと、筆者自身のスキャンプロジェクトとかも、やっていることはそっくりおなじです。

21世紀初頭のトレンド

おそらく、これが21世紀初頭のトレンドなのだろう、とも感じます。過去をデジタル化していくこと。そうしてしばらくすると、それをどう活用するか、という話が出てくるわけで、じゅうぶんにデジタル化が進んでくれば、それについてやがてそれは時代の必然だったというように評価を受けるのかもしれません。

「仕事は、その遂行のために利用できる時間をすべて埋めるように拡大する」というパーキンソンの法則のように、情報は容れ物の容量まで増えるつづけ、それは、すでに存在する大容量のディスクあっての必然なのかもしれません。

アナログとデジタルの断絶
アナログとデジタルの断絶
いまそのギャップを必死に超えようとあくせくしているところです。

ディスクはハードディスク

なんといってもLifelogを基本的に底上げしポピュラーにした技術の筆頭は、ハードディスクの大容量化でありましょう。

市場での次世代DVDとしてのBlu-rayかHD DVDかの競争は、メーカーのエゴのβ対VHSの規格戦争がまだ性懲りもなく続いているのかと、どちらかといえば冷ややかだったようにも感じます。Blu-rayよりもYouTubeのほうがずっとホットだろうし、次世代DVDというのはメーカーの自己満足のような気がしてならないのです。ほんとうにそこにニーズがあるんでしょうかね? ま、余談です。

筆者のニーズはもっと先をいっていて、学会発表レベルでのBlu-rayの4~8層になっても容量はぜんぜん足りないので、はなから相手にしなかった、という感じです。光ディスクの開発の方々、すみません。10TBをバックアップするのに、現在はDVD-Rのディスクも併用していますけれど、その枚数は数百枚でとうてい検索は無理です。バックアップはあるかもなぁ、というレベルでしょうか。

Blu-rayになっても、枚数は1/5程度にしかならないのです。容量という点でいうと、1年分の情報を1枚のディスクに入れることもできないのです。これでは検索なんてしようがない。ディスクをえっちらおっちら手作業で入れ替えるなんて論外です。そんなことするくらいなら、デジタル化なんてしないで紙のままもっていたほうがマシかもしれないです。ああ、筆ならぬキーボードが滑りすぎかもしれません。光ディスクの方々、すみません…。

2000枚以上あるディスクの一部
2000枚以上あるディスクの一部
バックアップ用のディスクは3枚ずつ焼いているので、2000枚以上にはなっています。もはやぜんぜん探す気になりません。

ストレージの優等生ハードディスク

ハードディスクは容量の点で、この10年以上、あるいはもっと前から、きわめて優等生的に増えつづけました。MB(メガバイト)からGB(ギガバイト⁠⁠、そしてTB(テラバイト)へと。

統計的にハードディスクの容量は、5年で10倍のペースで拡大してきましたが、2000年前後は、これを上回るペースで容量アップを重ねてきました。最近もつぎつぎと限界を打ち破る技術が生まれています。

筆者はだいたいそのときどきの最大容量のサイズのハードディスクを順次追加購入して2008年6月現在に至りますが、ついに2007年の段階で4TBのディスクを購入する必要がなくなり、ディスクの容量の増加のほうがデータの量の増加率を上回るようになりました。一時期は、データの量の増加率のほうがディスクの容量の増加率を上回っていたこともあって、ハードディスクのメンテナンスがあまりにもたいへんで、1年ほどスキャン作業を停止せざるを得ないことがあったのが夢のようです。いまそのギャップを必死に超えようとあくせくしているところです。

容量の増加曲線
容量の増加曲線
ハードディスクの容量増加が停滞気味だった一時期、デジタル化をお休みしていたこともありました。

2TBの壁

それよりもびっくりしたのは、WindowsXPの限界です。標準構成では1ディスクとして扱えるディスクのサイズが2TBだというじゃないですか。ハードディスクはさまざまな制約を超えて進歩してきましたが、ここでまたひとつの壁に当たっているようです。

ディスクを入れ替えないという観点では、1ディスクであるかそうでないかには決定的な差がでてくるので、ディスク容量の上限というのは、いずれ撤廃してほしいものです。この点ではLinuxのほうが先んじています。2TB限界を解決ずみというWindowsVistaはベストバランスのマシンをまだ見つけかねていたり、ソフトの互換性や文字コードの互換性を考えてまだ二の足を踏んでいます。

フラッシュメモリに期待する

ハードディスクに較べると、光ディスクは論外。動作の安定性や静粛性、動作電力の点で注目してきたのがフラッシュメモリです。

2008年5月には、ついに128GBや250GBのフラッシュメモリの開発成功のアナウンスが行われました。もうちょっと遅いかもと思っていただけに、うれしいことです。もっとも発売は年内以降のようですから、手放しで喜ぶ程でもないし、価格にもよります。250GB×4台で1TBになることを考えれば、現在の全データをフラッシュメモリで蓄積する日も、ひょっとしてそう遠くないのかもしれません。10万円/250GBと仮定してみると、40万円/1TB。う~ん、もうちょっとですかね~。

Googleは今後のデータ蓄積をフラッシュメモリにするという方針を出したというので、大量使用による低価格化にも期待したいです。いくらGoogleとおなじことをしているといっても、規模の差は歴然としています。スケールメリットの恩恵は、Googleによってしか得られないです。ま、ここは素直に勝ちを譲ります。

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