コンピュータのある生活
Lifelogは、生活の中のさまざまなことを記録し、活用して生活を向上しようという試みです。
その道具として、コンピュータ(やデジタルカメラ、携帯電話)は、きわめて有効だと考えています。というか、コンピュータなしに、そういう記録をするのはむずかしいのではないかと思うのです。
筆者なんて、よくマメだといわれるのですが、じっさいにはかなりずぼらで手抜きすることばっかりを考えているタイプだと自分では思います。自己イメージが他人の評価とは違っているのです。手抜きをするために、自動化をし、道具に凝るわけです。スパムメールをいちいち削除するのはたいへんなので、ルールを自動分類しようとするわけだし、記録するのがたいへんなので記録するツールを作るわけです。
道楽としての仕事
先日公開されていた『崖の上のポニョ』のプロデューサー、鈴木敏夫さんが執筆された『仕事道楽-スタジオジブリの現場』(岩波書店)を読んでいたら、記憶を大切にしているというか、記録でできることは部下に任せると自慢げに話してました。
総理大臣でもプロデューサーでも、部下がいる人はいいなぁと。LifeLogは部下のいない人でも使えるツールとなるはずです。
記録だけならノートでもできる
記録するだけならノートと鉛筆だけでもできるし、わざわざ道具まで作ることはないんじゃないのという指摘はごもっともだと思います。というか、記録できることを記憶しておく必要がないから記録しているのです。記録したいからしているのではない。ここは明らかにしておきたいです。
自分の内面的なことを記録するのに、コンピュータに依存するのはいやだと考える方もいらっしゃるでしょう。そもそも自分の内面的なことは「貝になって」、墓場までもっていくのだという方もいらっしゃるはず。記憶と記録との関係は、人それぞれです。
念のために申し上げれば、別にそういうことを否定するつもりは毛頭ありません。Lifelogをしたから便利になったなどというつもりもないわけです。便利だからやろうなどというモチベーションでは、そもそもLifelogなんて続かないと思うんです。
タグつき写真、タグつきメール
写真も同様で、フィルムの写真でも記録はできますが、フィルムの写真の場合、どんなシチュエーションで撮影したのかという情報がまったく欠落してしまいます。
もっとも、ほんとうに情報が欠落しているのかどうかは議論の余地があります。充分な分析力をもった観察者ならば、ほとんどあらゆる要素を写真から読み取ることもできるだろうからです。
デジタルカメラの場合、撮影日時をはじめ、多彩な情報をタグとして付与できます。撮影と閲覧のタイムラグもないので、記憶が鮮明なうちにタグを追加することも比較的容易です。楽で活用しやすいわけです。
前回、『PileMail』を使うと、煩わされることがほとんどないという話をしたのですが、わざわざ記録のための記録をしなくてよいところがコンピュータを使うメリットであって、最初からぜんぶ忘れてしまってよいのであれば、コンピュータなんて使う必要はないというのはたしかです。
楽であることがよいことなのかどうかは、これまた議論の余地があります。
ログ機能
『PileMail』にしても、『PileDesktop』にしても、標準でログ機能がついているので、メールを送信する度、なにかオペレーションをする度に、ログが記録されていきます。いちいち記録するようなことは、あまりにもさまつでありながら煩雑なので、普通は行うことができません。人間にはそういう集中力も持続力もないのです。
ほしいログがなになのかはまだわかっていない
記録できることも人によりさまざまです。いまのところ『PilePaperFile』ではそこまではできませんが、よく記録したくなる記録に、1日の歩数とか、血糖値とか、GOTやGPT(血液検査での肝機能の値)とか、朝昼晩に薬を飲んだかどうかとか、ダイエットしている方なら身長体重とかウエストの値とか、ランニングしている方なら走行距離数とかが考えられます。
ほしいログにはいろんなものがあるわけです。もしも万歩計がないとしたら、一日に何歩歩いたかを知ることは、ほとんど困難であろうと思います。
筆者のほしいものといえば、だれと会ったかとか、食べたものとか、読んだ本(もっている本)とかですかね。GPSのような機械的なログ/タグでも相当なことができるのだから、もっと踏み込んだログでなにができるのかは、ほんとうに未知数で期待が高まります。
適切なログの単位
あまりにもミクロな記述も、使い道を見つけるのは困難です。強力なログ機能を使えば、キー入力を1文字単位、ポインタの移動を1ピクセル単位で記録することさえ可能ですが、このようなミクロな記録は、筆者にはミクロすぎて使い道が思いつかないのです。
Lifelogでは、適切な単位で、適切なログをとることが大切です。それは人間が記述するよりはすこし細かく、あとで活用できる単位で行うことが重要だと考えます。
結果として生活の向上がついてくる、ということはあります。Lifelogによって助けられることは少なからずあります。
単に記録しているだけのLifelogから、もう一歩進んだわけです。
その、結果としての+αがLifelogのモチベーションになるかもなとは思います。でも、筆者自身がそういうモチベーションでLifelogしているわけではないのでした。
コンピュータに依存する
コンピュータを使うということは、コンピュータに依存することと等しいです。そして、これまたよくわかっているように、コンピュータを使うと、コンピュータの内部の処理、ファイルの整理とかはうまくいくのです。筆者も、コンピュータ内部のファイルの整理には、さまざまなソフトウェアを開発して使っていますし、それなりにうまくまわっていると思います。
いっぽう、コンピュータの外にある物理的なものの整理を、直接コンピュータに行わせるのは、まだうまくいっていないのです。コンピュータのそとにあるものを処理するためには、コンピュータに目と手と脚が必要です。そのためにはロボットを作る必要があるのです。
どの程度のロボットを実用と評価するかは、そうとう難しいですけど、家庭に入って使えるロボットは、なかなか実現しないです。メイドさんは流行っているけど、『夏への扉』(ハヤカワ文庫)の「文化女中器」は、簡単には実現しないと思います。
ハードウェアの開発は、なかなか難しいものです。ハードウェアも何度かは作ったことがあるのですが、金型のデザインや修正、初期投資の費用などがとんでもない額になってしまって、ソフトウェアを作るのとはちょっと違う感じです。おいそれと手を出すわけには行かないです。
コンピュータの外の情報の整理
コンピュータの外にあるモノの整理はむずかしいです。たとえばキッチンの食品棚を整理したら、賞味期限の切れた食材が山のように出てきました。当然ぜんぶ廃棄です。
ああ、原材料の高騰、食料が値上がりしているとか、食料危機とか、地球温暖化とか、さまざまなキーワードが頭をよぎります。
まずは足許を見つめることが大切です。買った食材を無駄にせずに使うだけでも、充分値上がり分を賄えるんじゃないかと思うくらいです。
賞味期限が切れた食材だけでなく、使いきっていない食材をつぎつぎと購入しているのにもびっくりでした。マーボー豆腐のもとが5箱も出てきました。そのうち3箱は賞味期限切れです。マーボー豆腐が大好物というわけではぜんぜんないのに、このありさまです。
麹づけの素も4パック出てきました。いったいどうなんでしょうね。ICタグをつけて管理したら、こういうのがなくなるものなのでしょうか。
コンピュータを使うか使わないかは別として、こういう無駄はやっぱりよくないと思うのです。個人的によくないだけでなく、まわり回ってさまざまな問題を引き起こしているように思えます。
キッチンだけでなく、本もおなじです。ついおなじ本を何度も購入するということが増えています。
やっぱり、コンピュータの支援は必要だと思うんですよ。