スキャン作業は単調ではない
さまざまなデータを蓄積してライフログしています。そのなかでも重要だと考えているのが紙です。情報のうちかなりの部分を紙が占めているためです。紙をどうデジタルと融合し活用するかがキーなのです。紙をデジタル化するのがスキャナです。紙をスキャンする場合、その作業自体は、きわめて肉体労働的な単調な作業に思えるかもしれません。
単調でないわけはないのですが、コピーを取るときに、気配りのできるコピー作業者と、そうでない作業者の結果としてできたコピーのクオリティの違いを考えれば、単調に思えるスキャンの最中であっても、工夫できるところは無数にあるはずです。
気配りのできるコピー作業者は、たとえば書類の左肩をステープラーで、ひょっとしてもうすこし考えていれば再利用可能な紙留めで留めるでしょう。コピーの内容は、縦横を回転しなくてもよいように揃えられているかもしれません。極端に小さい文字の資料は、読みやすいように拡大されているかもしれません。
コピーでさえ、このようにさまざまに工夫するところができるわけですから、もっと工夫しがいのあるスキャン作業では、工夫できるポイントはもっと幅広いでしょう。いかに工夫するかで、スキャンじたいのクオリティを向上し、ひいては活用できるデータにできるわけです。
特に書籍をスキャンする場合には、本じたいに目を通す作業が必要不可欠になります。紙のかたちで目にするのはそのときが基本的に最後になるし、スキャンするときに、はさまれているチラシ類、カバーや表紙などは、サイズが異なるために、別行程で作業する必要があるので取り除く必要があるためです。このときは、ひとつの大きな発見のチャンスです。
既読の本の場合、ざっと見るだけでも、気になる場所に気づくことはしばしばあります。ふたつの実例をご紹介します。
記憶にもう一度近づく
筆者は内田百閒を25年くらい前から読んでいて、ねこ好きなのはその影響かもとか思うことがあります。2009年は生誕120周年ということで、最近ムックが発売されました。購入してめくっていたら、「ノラ」を探す凝ったチラシが見開きで収録されていました。う~ん、なかなかだなと感銘を受けました。
こんな印象深いチラシをわざわざ印刷して、新聞折り込みで配布したというのは、なかなかです。当然、このチラシを見たのは初めてだ、と感じていました。
別の日に、『作家の猫』をスキャンすることにしました。帯には、登場する作家の一覧が掲載されていて、ここにも名前がありました。ひょっとしてと思って該当するページを見ると、そこにもおなじチラシが収録されていました。
『作家の猫』を読んだのは、2006年。わずか2年ほどのことだというのに、すっかりその内容を忘れてしまっていたわけです。
ビブリオクラスト
最近、蔵書印に凝っていて、本を汚すこともいとわずに、押しまくっていると前回ご紹介したとおりです。
このような態度は、喜国雅彦の『本棚探偵の冒険』によれば、ビブリオクラスト(書物破壊症)というそうです。たしかに初版の本を開くときの感覚は、なにか独特のものがあることはたしかです。
いっぽうで、そもそもかつて本の出版時には、本の刷り部数を確認するために、作家は「検印」を押していたものです。昔の本には、「作者との合意につき検印廃止」などと書いてあったものですが、そう書いてあった証拠を探そうと、手許にあった本をだいぶめくったのに見当たりませんでした。岩波書店でさえない。
(1日経過)ありました。1985年刊行の故氷室冴子の『多恵子ガール』(集英社)にありました。
「著者と了解のうえ検印を廃します。」とあります。
で、現在発売されているほとんどの本は、検印なんて押されていないのです。それが普通です。
検印、署名、蔵書印、蔵書票…
逆にいえば、一般的な本でない本には、検印を押してあったり署名が入っていたりするのです。喜国雅彦の『本棚探偵の冒険』も、初版には検印が押してありますし、『本棚探偵の回想』には、蔵書票がついています。
本に蔵書印を押すのは、その本との間に特別な関係を構築する行為です。モノは、壊れることでしか個性を発揮し得ないし、不完全である故にいとおしさが生まれるのではないでしょうか。傷こそが経験を経験として刻印しうるのだと思うと、それを傷と捉えるか思い出と考えるかは、同じ行為を前にして正反対の立場に立つことであろうと思います。
そういうものに興味があるから、蔵書印を押すのであるし、検印に目が留まるわけです。単になんでもかんでも押しまくっているというわけではないし、ばらしまくってスキャンしているのではありません、と、なんかいいわけみたいですけど、ともかくスキャンの直前に本を見ると、いろいろなことに気づきます。
川上弘美の『東京日記2 ほかに踊りを知らない。』(平凡社)にも、検印があるのに気づきました。蔵書印を押したら、奥付に「川上」と青い小さな印鑑が押してあったのです。まごうかたなき検印でした。ほかの本には押されてません。なぜにこれだけ? 川上弘美さんに取材して聞いてみたくなりました。年内は無理ですかね。ふむ。
などといろいろなことに気づくものです。