失意で試される人間力
2011年に亡くなったスティーブ・ジョブズは、20代のわたしにとってはカリスマのひとりでした。コンピュータが広まり始める直前の1980年代末から1990年の初頭にかけて、スティーブ・ジョブズは自ら招いたジョン・スカリーによってアップルから追放され、失意のなかで不死鳥のようにNeXTコンピュータを設立したことがありました。
NeXTのモノトーンのデザインと相まって、失意と逆境のなかのスティーブは、人間的でわたしにはとても魅力的に見えました。どんな人間にも試練は訪れるものです。そこではそれまでの経験のすべてと自分の力のすべてを試されます。そのときになにをするかこそがその人間の底力であり魅力だと思うのです。NeXTでやり直したジョブズは、すべてを捨てる覚悟をもっているんだなと感じました。
シンプルにする
スティーブ・ジョブズのもつ価値観のひとつに、「シンプルに整理する」というのがあります。たとえばマッキントッシュのマウスのボタン、iPhoneのハードウェアスイッチなどなど。
ボタンやスイッチは少なくすればよいか、というと、必ずしもそうではありません。機能の数とボタンの数は基本的には比例するからです。
家電とAV機器を比較して考えればこのアナロジーは理解いただけると思います。すなわち、単機能の冷蔵庫には基本的にボタンがないかごく少数でよく、洗濯機も洗濯ボタンがあれば足ります。しかしながら、AV機器では電源のオン/オフ以外に、再生ボタン、記録(録画/録音/撮影)ボタン、停止ボタン、早送りと巻戻し(前と次)ボタン、一時停止ボタンがほぼすべての機器に共通で必要になります。ボリュームなども必要でしょう。これらの機能は、それぞれのボタンに割り当てるのが望ましいと考えられていますが、これだけでもボタン(や操作部)は8種類以上必要となり、ワーキングメモリと密接に関係するマジカルナンバー7(一度に記憶できる数)を超えてきます。
AV機器よりも格段に機能の多い携帯電話やコンピュータでは、機能をボタンに割り当てると、ボタンのお化けみたいになってしまいます。そこでどうするかの方式のひとつが、マッキントッシュ(Alto)以来のメニュー方式です(念のためにいえば、もうひとつの方式はUNIX伝統のコマンド方式です)。
どうすればシンプルになるか
ハードウェアのボタンが少なく、機能が豊富であれば、操作は複雑でめんどうになりがちです。これは厖大なデータを扱うライフログにも共通の悩みです。どうシンプルにするか、どうシンプルに見せるかこそが重要なのです。
40年分のデータなどは、どう考えても普通の方法ではシンプルにしようがないですよね。
方法はあるのでしょうか。もちろん「ある」とわたしは考えています。
その方法は、スティーブ・ジョブズの方法とは違っています。ライフログ的に解決する方法だからです。
違っていて、なおかつ独創的であると信じられるとき、わたしはジョブズとは違う道を歩いているのだと確信します。